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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
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Part4 「鋼とひずめ」その2


 大貴は細く息を吐いた。右手を小さく開け閉めする。


 意識を集中する。後ろから迫る圧迫感。巨大な破壊の歩み。ゴーグルの端で三角形のターゲットマーカーがちろちろと小刻みに震えていた。


 背を向けていても、その強大な存在感は消せるものではなかった。


 大貴の背後で、今、グランゲイターが大顎を開いている。丸のみにしようとして。


 来る。今――顔面から突っ込んだ。


 瞬間、大貴は身を翻した。目が合う。グランゲイターの眼光がより鋭くなった。


 ――看破された。そう直感した。


 捕食する飢えた獣のグランゲイターに対し、大貴はまさに食われるだけの小さなネズミだ。


 それ故に、歯を立てる。


 捕食される者が窮地に放つ【捨て身の意地】を、グランゲイターはこの瞬間に察したはずだ。1体の野獣の本能として。


 ――「だから」。


 大貴は背を向けていた。目を見られれば気付かれる。大貴がグランゲイターの目から戦意を読み取ったように。


 十分近付く前に気づかれ、あの炎で遠距離から焼かれては意味がない。


『【スレイプニル】モードA、リリース』


 右腕を虚空に払い、腕にまとわりついた輝きを散らした。


 やはり黒く、アクセントに赤いラインが入った金属パーツだ。リニアモーターカーのように流麗な艶のある曲面のボディで大貴の腕を覆っていた。


 甲に接する部位には門が開いており、鋭い鏃が覗いている。――先にニルが説明した通りの特徴を持った代物だ。


 手の甲をなぞり、小さく鋭利な矢が撃ち出された。その尻からは陽光に煌めく細い線が尾のように伸びている。ワイヤーだ。


 先端の鏃はグランゲイターの角を捉えた。巻きつくワイヤー。大貴はグランゲイターの口に半分体を呑まれかけ。


「――ッィィ!!」


 大貴は間髪入れずに手首を引いた。ぐんと引っ張られる。強い力。ワイヤーの張力。腕が引かれ、大貴の体は浮き上がる。


 グランゲイターの顎が閉じる。鋭い黄ばんだ獣の牙が大貴から光を遮ろうとする。


 手を伸ばす。細く小さく、途方もなく遠くに感じる外界に。むかい。


 全てはワイヤーより細く収束された。


 グランゲイターが石畳を噛み切る。砕石を火山弾のように激しく撒き散らし、その場の原形はデータの向こうへ砕け散った。


 鋼の体など、なんの意味も成さない破壊の渦。大貴は息を呑んだ。


 ――後一瞬でもタイミングが遅かったなら、大貴もまたあの岩石と同じように跡形も残っていなかった。


 グランゲイターの一本角に巻きついたワイヤーを頼りに背中に張り付いて息を殺し、また生唾を飲み込んだ。


 グランゲイターはまだぴりぴりとしている。疑念を抱いている。大貴が間髪逃げ果せたかもしれないと。


 ――違う。


 息をひそめ、じわじわと回復していくエネルギーゲージを横目に、大貴の感性は伝えていた。


 グランゲイターの捕食者としての本能は、目で大貴を捉え、耳で大貴を包囲し、肌で大貴を定めていた。それは酷く大雑把なものだ。


 大雑把。それはグランゲイターの根幹をなす言葉だろう。大貴に攻撃の意識を差し向けられるまで、赤ん坊が積み木を崩すように意図もなくいたずらに街を壊し続けていたように。


 気まぐれで飽きっぽい。はじめに大貴を狙ったのも攻撃の逆襲などではない。殴った拳に残る手応えのなさがそれを保証する。


 大貴が目の前でちょろちょろして、目障りだから追ってきたのだ。捕食者とは上位種であり、弱く小さいものを支配する者だ。無闇に楯突く存在は許容できない。


 大貴は――今回紙一重で避けられはしたが――ただのひと噛みで終わる力関係だ。今のところ、グランゲイターは上手く大貴を噛み砕いたと錯覚してくれたようだった。


 だが、ただの一噛みの報復で、挑発された捕食者のプライドが満たされるはずがない。しばらく不機嫌に、荒れに荒れて建物を壊し続けるはずだ。背中に大貴を乗せているとも気づかないまま。


 グランゲイターは街を駆け抜ける。突進して建物を壊し、ジャンプして石畳をばらばらに砕き、尻尾を振って門を叩き――壊す。壊しつくすまで。なんでも見境なく壊す。より激しく。大貴のせいで。


 ――たかだかゲームの街、偽物の街だ。いくら壊されようと構わない。


 ――そう断じられるほど、ドライにはなれなかった。


 捕食者だけに集中する逃走劇から、捕食者の暴力を隠れ忍んで観察する立場になってようやく、大貴は自分が【瓦礫】や【建物】と無機質に呼んでいたものの正体に気がついた。


 たかが一週間程度、最初のダンジョンを行ったり来たりするだけの毎日だったが、それでも知っている。


 今壊された建物には、プレイヤーが運営していた道具屋があった。その上の階ではプレイヤー達のクランがたむろっていた。


 大貴が目端にしている青看板にも覚えがある。最初のダンジョンへの行き方を教えてくれた店だ。酒場よりも喫茶店の雰囲気に近く清潔感がありオープンで明るく、初心者の大貴にも入りやすかった雰囲気だった。


 ――ここには交流があり、営みがあった。


 偽物だったとしても、本当に生きづいている人間がいた。何人も何人も。


 それを知っていて、必死に逃げるでもなく隠れるだけ。壊し続けるだけの巨体を黙って放っておける訳もなかった。


 倒さなくてはならない。そう大貴は決意した。


 これを暴れさせている責任を取らなくてはならない。この区画を壊しつくされる前に。


「……ニル、俺にこいつを倒す方法はないのか?」


『メッセージ。ウィークポイントを狙いストライクポイントが発生するタイミングで攻撃を積み重ねれば、このレベル差でも与ダメージが期待できます。

 ストライクポイントとは敵の攻撃の際に生じる【隙】を視覚化したものです。発生はターゲットマーカーが赤くなることで知らされます。これは身体的な弱点であるウィークポイントを狙い重複させることができれば、レベルの低い攻撃でも粘り強く積み重ねれば大型種の高い体力を削りきることは不可能ではありません』


「……質問を変える。『いま』だ。今、すぐにこいつを倒したいんだよ、俺は。時間をかけていられない」


『何故です? 失礼ながら、あなたの操作練度は高いものとは言えません。レベルの水準もプレイ時間から推し量れば低いと言えます。長期戦は確かに不利ですが、技量と経験と勘が必要な一発勝負の【ぶっぱなし】に賭けるより堅実です』


「……なるほど。つまりその【ぶっぱなし】ならすぐに倒せるんだな」


『回答を。あなたは何故、事を急かすのです?』


「簡単な話だよ。当たり前のことだ。俺は、俺のせいで誰かや何かを傷つけたくないんだよ。

 それに……黙ってられないときになにもできない力なんて、ないのと同じだ。きっと、また……伝えられない」


『意味は不明瞭ですが、主張を【練習でできないことは本番でも不可能】という統計を指しているものと判断します。私は主張におおむね同意します。バグを残したプログラムはまず正常に動作しません』


「そうそう、そういうこと。……たぶん?」


『ラジャー。――では、次のプランを推奨します」


 噛み締める大貴に、ニルは耳元で逆転の鍵を囁いた。


 ――緊張が一層強まった。吐き気すら覚える。


 望みの幻想が輪郭を取り、実現の領域にまで降りてきたのだ。


 問題は、その領域に上手く手を伸ばせるのかという話。初心者の大貴にそのタイミングが図れるのか。誰の助けもなしに。


 事を自分ひとりが背負い込んでいる重圧を骨身の芯から実感する。その意識は大貴を強く充実させた。かつて機械だった大貴は、この重圧の正体であるリスクを受け入れたくてもできなかったのだから。


 視界の隅でエネルギーゲージが緑色で満たされた。充電は完了だ。あとは。


『【スレイプニル】モードC、リリース』


 ニルが宣言し、大貴の固めた左手が黒金に覆われた。


 鋼の細腕が丸太のように肥大化する。今までの自分が野球ボールを握るような感覚でスイカを掴むことができそうなほど広く大きな掌だ。


 だが、その巨大な拳以上に目を引くのは【肘】の部位である。


 腕の骨が肘を突き破って露出している、とでも言えば適切だろうか。


 大きく屈強に変わった拳の太さそのままに、それは肘の関節を突き抜けて天を指している。その突き抜けた部分だけで、あわや大貴の身長に迫りそうである。


 重く長く大きく太い。左腕だけが丸太にすけ替わったようだった。他の部分が細身のままな手前、かなり持ち回りが難しい――いざ装備しての正直な感想だった。身軽さはまるで期待できないが、確かに一撃の重さは信頼に値する。


『グランゲイターの表皮硬度は評価Cです。攻撃力評価が同等以上ならば貫通も見込めます。ですが本機搭載の攻撃デバイスでは、この場のこの姿勢からその水準の攻撃を繰り出すことはまず不可能でしょう。足場の変更を推奨します』


 ニルの解説を耳に引っ掛け、大貴は跳んだ。グランゲイターの背中から、それが踏み荒らした瓦礫の山へ。


 中でも比較的足場が綺麗な場所に着地して、左右非対称故のアンバランスさに苦しんで、よたよたとその場で何度か足踏みしてしまう。


『グランゲイターのウイークポイントを狙う必要があります。こうした大型種の場合、腹や角、アキレス腱というのもありますが、もっとも確実なのは――』


 ぎょろり。建物の破壊に夢中になっていたグランゲイターが大貴に気が付いた。瞬間、視線が血走る。捕食者の圧力が大貴を地面に押し付けた。


 息を呑む大貴の真正面でグランゲイターは大口を開けた。――はじめに大貴を焼いたあの【炎】だ。


 両者の間合いは十数メートル。踏みつけられないものの、グランゲイターにしてみれば数歩で殺せる、そう広くない間合いのはずだ。


 一応、追いつけないほどの速度で逃げられたことや、先の噛み付きで仕留められなかったのを顧みてくれたのだろう。そう結論付ける。


 真実はどうであれ――大貴としては願ってもない。


 後ずさる大貴は左腕を突き出した。重苦しく関節はきしみ、球体関節に埋め込まれた肩と肘のアクチュエータから小さな悲鳴が聞こえてくる。


『くちのなか、です』


 ガン、と左腕が【回った】。肘を中心に180度。突きだしていた左の掌は大貴の背後を向き、代わりに天を指していた肘先の角が正面を突いた。長すぎて気が付かなかったが、この腕は単純な【角】ではなく【筒】のようだ。


 言うまでもなく。本来回らない挙動である。それが今、まさに、自分の体で起こっている――目の前にして、かなり歯茎がかゆくなる光景だった。


 その筒の【持ち手】に手をかけて、両足のスタンスを大きく取って腰を落とした。


 さながら空手の正拳突きのような構え方だ。もっとも、それなら腰だめにしているはずの左拳は、大貴の背中でそっぽを向いているのだが。


「チャージ」


 大貴が宣言し、筒が震えた。胸のクリスタルがじわりじわりと赤みを帯びて、筒の先がびりびりと緋色にスパークする。


 左足を退き、重心をやや右足に乗せる。対するグランゲイターの舌先に炎が球になって固まっていく。


 ひとつ。グランゲイターの口元の火は輝きを強め。


 ふたつ。炎は一層激しさを増して。ターゲットマーカーが赤く滲み。


 ――みっつ。


 筒の支持を固め、目を見開いた。胸のクリスタルはワインレッドに染まっている。血のような赤。淡い光。その色彩に視界は焼かれ。


「――っけええええええええぇ!!」


 左拳を握りしめ、大貴は撃った。【拳を打つ】という意識を引き金に筒の震えは一瞬弱まり――炸裂。


 紫電を巻いて閃光が突き抜けた。風を焼き切って加速するそれは一瞬すら追い越して、炎を溜めるグランゲイターの口の炎弾を撃ち抜いた。


 既に大貴ひとりを塗りつぶすには十分以上の大きさだった炎弾を貫き、炎がグランゲイターの口内で爆発した。爆炎に淀むグランゲイターの雄叫びは大貴の閃光に押し切られ――。


 ――沈黙。


 砲口は閃光に代わって白い煙が太く吐き出した。胸のクリスタルは夕陽のように既に赤い。


 肘や膝、肩や首もと――関節という関節から蒸気が噴き出し、体に巻きつく熱と白煙に大貴は地面に片膝をついた。パンと弾けて砲身は光の粒子に変わって大気に溶ける。


 かしゃん、と小気味よい動作音を立ててゴーグルが視界からスライドアウトして額に戻った。元に戻った掌で石畳をこすり、その場で大の字になって寝転がる。


 頭上で重く低く地面が震えた。見上げたそこにあるのはグランゲイターの崩れた姿だ。【捕食者】の覇気が目から失せた姿。――戦闘不能になった骸。


 熱と白煙と内側の鼓動に体を預け、大貴は深く深く、腹の底から空気を吐き出した。わずかに体が冷める感覚。その場に存在しない空気を吸い込み、吸い込んだ気になり、鼓動のリズムがじわじわと弱く整えられていく。


『――モードCは左拳と連動したナックルとレーザーキャノンを兼ねた重兵装です。5段階のチャージを重ね射撃を繰り出します。連射には不向きですが、一撃の威力・範囲は無改造段階においても評価Cを誇ります。この際、大きく反動がかかりますので安定した足場が必要です』


「へぇ……っ」


 適当に聞き流し、大貴は左胸のクリスタルに目を向ける。体の熱とともに赤が抜けていくのを確認した。残量ゼロでも十数秒程度で全快できるようだ。


 ふと、クリスタルの中で小さな光がパンと弾けた。このアバターで【サイバーブルース】の使用が初めてである手前、仕方ないかもしれないが――知らないエフェクトだった。


『レベルアップしました。先ほどのモンスターはかなり暴れていたようです。個体経験値が少々高めですね。他のプレイヤーを何人か倒しているのでしょう』


「……そうか」


『そう仮定した場合、我々と戦闘に突入した段階で、体力がある程度削れていた可能性があります。ウイークポイントとストライクポイントがマッチングしていたとはいえ、このレベルで一撃で倒せた理由がわかりました。

 元が低いとはいえ、8つもレベルが上がるはずです』


「はぁっ!?」


 大貴は思わず耳を疑った。8つ。大貴が毎夜毎夜一目を盗んでコツコツ遊んで、一週間かけてようやくレベル7だったというのに。――もっと言えば、ゲーム開始時のレベルは5なのだが。


『相対力量差30オーバーのモンスターでしたから、まぁ上がり様としては概ね予想通りというところでしょう。これでレベルは15。最初から2つ目のダンジョンの中ボスくらいなら、なんとか正面からでも倒せるでしょう。私の的確なサポートがあれば』


「ははぁ……」


 最初期のダンジョンのちょっと強めのザコ敵も倒せなかった大貴には考えもつかない例えだったが、それでもあのグランゲイターを打破したという結果はひとまず手に入れた。ニルと、巧と――銀色の妖精から貰ったこの力で。


「……とにかく、ありがとうニル。君のおかげだ」


『いえ、私がサポートでも本機のスペックではまず勝利は不可能でした』


「えっ」


『それでも勝利を収めたのは単純なステータス以外の要素です。私が低いと断じた操作練度です。

 ――何故、あの【炎】のストライクポイントが現れるギリギリまで引きつけられたのです? 初発にも関わらずモードCの【発射までのラグ】も加味した判断は見事でした』


「……あー、あの炎さ。アレ、一回食らってるんだ。あの時はぜんぜん迎え撃てなかったけど、口を開いてからのタメはちょっと覚えてたんだ。

 一応そこは狙ったけど、先に当たるかは賭けだった。すぐ発射しなくてハラハラしたよ。弾速が速くて助かった。本当、運が良かった」


『いえ、失礼ながら、その評価は違います』


「なんで?」


『運の要素が強かったのは否定しません。ですが、我々とターゲットの間にはラックだけで埋められ様がない差がありました。あなたはその中、私の推奨に背いてまで強く戦う意思を見せました。それを敵の眼前でも曲げず、消しませんでした。それは敗北の経験を殺さず味方につけました。

 ――あなたは、あなたの力で【勝利可能なステージ】までよじ登り、最後の幸運を引き寄せたというだけの話です。あの差では、ただの偶然だけでは勝利し得ません。それはお忘れなきよう』


 機械的だったそれまでのいかなる言葉よりも、それは真に籠る――「感情」を帯びている。そう大貴には感じることができた。


 ――それは、おそらく。


 この「支援AI」の潔い敗北宣言であり、最大限の賛辞なのだろう。


 それを理解して、大貴は胸の奥にうごめく種々の感情を総括した一言を、彼女に送った。


「……ありがとう」


『いえ』


 返事もまた、機械的な短いものだった。


 しかし、どことなく――笑っているように思えた。

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