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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
16/82

Part4 「鋼とひずめ」その1

 銀色の髪を揺らし、彼女は微笑んだ。


 黒いゴシック調の丈の長い衣服に肌を隠し、大貴の右手を優しく取った。


 苔の深緑が綺麗に消えていた。元々のネコじみた長い爪も、装備していた安いベニヤのような丸盾もない。


 白い金属質の小手の間から覗く肘や手首といった関節は球状に出来ていた。よく見れば指や肩もそうした特徴が見て取れる。基本的な構造は西洋人形を思わせた。腰に巻かれた端のみ淡く青い白マントのせいでわかりにくいが、下半身の関節もそうなのだろう。


 左胸――本来心臓がある場所――には、青々とした済んだ球体が埋まっていた。大半が体に埋まっているため正確な大きさはわからないが、大気に露出している面積は大貴の掌で隠せる程度の広さだ。


 ぺたぺたと体中を触ってみると、金属質の部分は目が痛くない程度に光沢が抑えられているものの、肌とは思えない硬さを帯びていた。頭にはバイクに搭乗するときに身に着けるジェットヘルメットのようなものが嵌っていた。耳元には【d】を傾けたようなブレードがアンテナのように立っている。


 ヘルメットの後ろからは髪の毛らしいものが少しだけ首筋に掛かっていた。おでこの少し上ほどの位置にはなにやらごつごつしたものがつけられている。手で下げて目元に掛かるようにできるようだ。どうやらゴーグルの役割を果たすものらしい。


 覗き込むと、目の前の景色はやはり少し違って見えた。目の前の彼女の体には三角形のターゲットマーカーが重なっている。――そのマーカーの位置がへその少し上くらいに位置しているのは、特別意図があるものではないのだろう。


 そのマーカーのほか、視界の端にはいくつかの大雑把なステータスと三本のゲージが並んでいる。ゲージは体力や攻撃のチャージを意味しているらしく、いずれも戦闘時に関係するものだ。どうやらこのゴーグルは戦闘支援を行う装備のひとつらしい。


 ――こうした、簡単な身体検査を経て。


 自分の体が「別のものになった」ことを理解した。


 ネコやイヌのような動物の特徴が表れているアバターがどう変化しても、この形にはなりえない。


 何かを「装備した」のでも「埋め込まれた」のでもない。


 まったく別の何かに「変わった」のだ。


 この体は、動物はおろか有機物の気配すら希薄だ。人の姿を取っているものの、まさしく機械や工芸品のような無機物のそれだった。


 大貴にも、物語の世界でだけなら覚えがあった。


 「自律的に作用する人型の機械」のこと。さながらそれは自我を持っているようなもの。その名前は。


「アンドロイド……ロボット、なのか? 俺?」


「イエス」


 一通りの確認を終えてもまだ混乱が抜けない大貴の額に、彼女はぴんと指をさした。脳裏から頭蓋にタンと撃ち抜かれた音が響き。


『アウェイキング。マナン・システム・スタート・アップ。スタンダード・オペレーション・システム・チェック。コンプリート。アドバンス・オペレータ・チェック。コンプリート。システム・オール・グリーン。スタン・バイ・レディ』


 目の前の彼女とも違う声が、頭に突き刺さった。


 大貴は驚いて両耳――現実では両耳がある、今の頭のブレード部分――を押さえた。それでも何の引っかかりもなくその言葉は頭の中に流れてくる。


 テレパシー。実はマイクを引っ張っている。超小さい妖精さんのようなものが耳元でささやいている。可能性を大貴なりにあれこれとめぐらせ――。


『トーキング・サポート・スタート。申し遅れました。私は本機・汎用自律行動人機、カテゴリ【マナン】の総合支援を担当すべく開発・搭載されましたサポートAI【ニル】です。ベース・システムはバックパックに格納されています。以後お見知りおきを』


 ――いちおう大貴の疑問を汲んだ自己紹介を添えて、ニルは説明をまくし立てた。


 しかしそれでも、相も変わらずポカンとして、大貴はおそるおそる後ろを振り向いた。ランドセルの半分程度の厚さの直方体が体にしっかりマウントされている。片手で外そうと上下左右に引っ張ってみるも、びくともしない。


『私の支援概要は大きく3つに大別されます。行動設定がセミオート選択時に本機の操作を一部担当する点。戦闘時その他自由行動時に全身のセンサから得た周辺情報を整理・判別し判断に有益な提案を行う点。本機搭載の【安定器】兼【主兵装】である【トライトランストリガー:T3・タイプN】、ペットネーム【スレイプニル】の設定・変形・管理と本機動力源【クリスタル・ジェネレータ】の動作設定・管理を行う点です。これらの設定は任意で解除可能です』


「……も、もす少し簡単にお願いします」


 噛んだ上に意味もなく口調に敬語が混じる大貴である。


『ラジャー。私は初心者をサポートする機能です。使用されますか?』


「さ、されます」


『ラジャー。動作続行します』


 返答一発、肯定の意を示してニルは沈黙した。大貴は変わらず背中のパックをじっと見つめる。特に震えたりも飛び跳ねたりも外れて歩いて行ったりもしない。これと今まで話していたと思うと、ひどく不安定な気分になった。


 ――これが巧の言う【追加要素】。イベントを終わらせる力を持っている、かもしれないもの。


 どうやら初心者の大貴にも安心なサポート機能が満載のようだが、これは。さすがに。


「なんていうか……なんかすごく歯茎がかゆいな。これが機械の体? ってこと? ……なれるかな」


「……慣れます。慣れますよ。元の体なんて忘れてしまうほど」


 軽く首をかしげる大貴に彼女は薄く笑いかけた。初めに投げられたものと同じ、作りの良い可憐なほほえみ。見ているととても落ち着かない。


 大貴は思わず後ずさった。背後は淡く緑色の光に埋め尽くされている。ぐるりと見れば、それは半球状にドームを作っている。この中は大貴と彼女以外に誰もいない。


「君は誰なんだ?」


「妖精。この海の妖精」


「なにを言って……?」


「大貴。あなたの夢は?」


「夢?」


 聞かれ、大貴は反射的にイメージした。


 夢。理想の姿。理想の自分。


 強く、大きく、揺らがず、動じず、進み続ける自分。


 大貴は少しだけ納得した。硬く強く重々しい鋼でできたこの体。それはある意味では大貴の渇望した姿だった。


「夢は叶いましたか?」


「これ……君が俺のために?」


「違います。ただ、いのちの代価です」


 そう言って、彼女はやがて背中に大きく羽を広げた。鳥のそれとは趣が違う。光に透け銀色に煌めく、薄い扇のような蝶の翅だ。


 ひとつ、翅が弱く空を叩いた。大気は歪み、光のドームがぐらりと揺れる。


 ふわり、翅が大きく光と風を吸い込んだ。ドームの光は大気に馴染み、外の景色を露わにする。


 すっと、翅は銀色の鱗粉を吹いていく。大貴の視界は銀色に包まれ【妖精】は光と鱗粉の中に消えていく。


 差し込む陽光を受け、銀に煌めくコロイドのような鱗粉の中――。


 大貴は瓦礫の中で目を覚ました。







 * * * * *







 胸元が燃えるように熱かった。内側に流れる血液のマグマを冷まそうとラジエータ代わりらしい腰に巻かれたマントが風にはためき、球の関節の隙間や喉の奥から幾多も蒸気の帯が漏れていた。


『アテンション。本機は正常に動作しています』


「……まだなにも聞いてないんだけど」


『初回起動で少々ジェネレータにダストが溜まっていたようです。放っていても指数関数的に解消していきます。熱異常も一時的なものです。特に性能向上を示した現象ではありません。勘違いしないでください』


 語気をいささか強めてニルはそう断じた。そう勘違いするユーザーを予見しての初期設定なのか、はたまたニルという一個人の主張なのかは大貴には推し量れなかった。


 ――推し量る以上に、目の前の惨状に目を向けておく必要があったのだ。


 砕かれた家々。踏み潰された門。


 大貴が逃げ込んでいた袋小路の姿はどこにもなく、そこには視界が開けた瓦礫の絨毯と、辛うじて難を逃れ傷だらけの基礎の上でどうにか原形のみは保ち続けている建物達と――その惨状を創り上げたグランゲイターの巨体だった。


 仮に――大貴は後ずさり、小さく身を屈める――あの巨体と戦うとしたなら。


 かしゃん、と小気味よく額のゴーグルがスライドして大貴の視界を覆い隠した。グランゲイターの体に、敵ユニットを知らせる黄色い三角形のターゲットマーカーが重なった。目端の隅に大貴のステータス評価が表示される。


 それは、なにより雄弁だった。


 姿形が変わっても、大貴自身のレベルは相変わらず初期レベルに毛が生えた程度。各種ステータスも以前の値とそう代わり映えしていなかった。


 ニルのサポートの程度はわからない。だが一撃でも受ければ即ゲームオーバーだ。脅威とピンチは依然として目の前に転がっている。


 ――大人しく逃げるべきだ。


 まだ絢音を見つけてもいない。絢音を助けにきたのに、会いもしない内から終わる訳にはいかない。


 ステータス画面いわく、大貴はもう残機のストックがゼロ。どうやらあの【妖精】の「いのちの代価」とはそういう意味――だったのかもしれない。


 身を屈め、瓦礫に紛れて逃げようと道筋を探す。


 ――ほどなく。見つけた。見つけてしまった。


 瓦礫の下敷きになっている巧のアバターを、だ。


 巧はもがいていた。アバターに瓦礫を吹き飛ばすだけのパワーがないのだ。


 すぐ近くで、グランゲイターが歩いている。


 大貴がアレを見えているように、アレも大貴を視界に捉えているはずだ。


 しかし、アレは気を留める様子も見せない。ちょうど、人が道端の石ころを意識しないように。


 おそらくグランゲイターは瓦礫の山も気にしないだろう。あの巨体だ。小さいものなら踏み越えられるし、踏み砕くことも難しい話ではないはずだ。


 ――巧が下敷きになっている瓦礫など、せいぜいマンホール程度にしか思わない。遠慮なく踏みしめる。砕く。潰す。その下のもののことなど知りもせず。


『ワーニング。あれは強過ぎます』


「……見ればわかるよ」


 そこまで馬鹿じゃない。


『レベル差にしておよそ30。勝利する期待値は極めて低いと言えます。撤退してください』


「……するよ、いますぐ」


『――では、あなたはなぜ、あれを見据え、前傾姿勢を取り、拳を握り、センシブ・パラメータが高い戦闘意欲を示しているですか?』


「――逃げるついで、だよ!」


 振り払うように頭を前に振り、大貴は地面を蹴り飛ばした。


 今までより数段重い鋼の体は一歩一歩が小さな攻撃力を持っている。ただ走るだけで足元の石畳には細かいヒビが生まれ、飛び出た欠片を足の裏で粉砕する。それはグランゲイターおろかグリーントータスにも及ばない重さの蹴りだが、その満ち満ちたパワーに大貴は心を震わせた。


 この瞬間ならば、なにかができそうな気がした。ささやかな万能感。


 それに反して、脳裏には警笛が響いていた。眼前に収まりきらない体躯。大貴の重さでさえ攻撃力となるのなら、あれの力は計り知れない。


 見上げたグランゲイターの目は、にわかに曇っていた。


 攻撃の意思は極めて希薄だった。先ほど大貴が感じたような【捕食者の覇気】の牙は剥き出しになっていない。肌をちくちくと刺されるような緊張感は受けるが、四肢を凍らされる圧力にはほど遠い。


『コンバットモード・オン。T3・アクティブ。【スレイプニル】モードB・スタート』


 ニルがささやき、風を切る膝から爪先までが、カッ、と焼き付く。


 ガコン。足音が変わった。


 靴底から地面を掴む感覚が変わり、溜め込む力も、飛び上がる自分に掛かる加速度も、体を取り巻くつむじ風すら一変した。


 足は黒く変わっていた。厳密に言うなら、足は「何かに覆われていた」。


 元々今の大貴の足は小さなショックアブソーバー機構がアキレス腱からくるぶしまでを支えていた。既にそうしたブーツらしいものが履いていたはずだが、どうやらこの黒はそのブーツを更に覆っているようだった。今まで以上に厚く重く、しっかりとした造り。 例えるならスキーブーツのようだった。


 おそらく、単純な衝撃吸収を主眼に置いたものではない。これは、それ以上に「強度」を突き詰めたものだ。


 しかし――。


 足が酷く重い。そして硬い。地面を蹴りにくく空を掻きにくい。


 履き心地は最悪だった。走るのには極めて不向きな代物のように思えた。


 大貴はニルがの「撤退すべき」という案を想起した。顎の裏がひんやりと萎縮する。――こんなのを履いて、逃げれるものなのか?


『ファイア』


 瞬間――足が、燃えた。


 熱流が地面を炙り、風を焦がし、大貴の体を空のうえまで向けて押し上げた。ロケットのように熱が噴き出る。


 重量感のあるブーツが虚空の靴底に風の質量を感じさせた。なにもないこの無空を『蹴り飛ばせる』。感覚はそう強く訴えていた。


 感じるままに、大貴は蹴った。


 押し込まれる右足が熱を噴き、体を力強く突き上げていく。


 飛び出す前まで十数メートルはあったグランゲイターとの相対距離がぐんぐん縮んで――。


「……っ!」


 ――グランゲイターの鼻先をすり抜けた。


 じろりとグランゲイターの眼光が突き刺さる。惚けた傀儡の目に「感情」の火が点った。捕食者の意思が唾液を垂らす牙を露出させた。


 憮然とした目。投げやりな殺意。であるにもかかわらず、本能的に敗北を感じさせる眼光。


 それに貫かれただけで、体に大穴があいたようだった。胃液が液体窒素にでも変わったかのようだ。やり過ぎなほど寒々しい。


「うっ……あああああああっ!!」


 身体に張り付く冷気を払いのけるように絶叫した。大貴は拳を握る。


 宙空を蹴り、熱流が背を押して――グランゲイターの眉間に拳を打ち込んだ。


 じんと胸まで衝撃が伝わる。大貴は思わず顔を歪ませ。


『アラート。止まったら死にます』


 ――ニルの警告。


 拳を広げた。捉えていた眉間を弾く。体を浮かせ、グランゲイターの脊椎を滑り、尻尾の付け目あたりで蹴り下りた。


 空を蹴り、さらに加速する。猛ダッシュでその場を後にした。振り向きもせずに歯を食いしばり、大貴は必死に逃げ続ける。


 確信があった。体感は極めて雄弁だ。


 捕食の意識は既に大貴を貫いている。グランゲイターは捕食者として、大貴を追ってやってくる。


 もちろん、それで巧が安全になる保証はどこにもなかったが、当面の危機は去ったはずだ。とにかく、ベストは尽くした。


『どうするのです? 虎穴に入った割に手ぶらで逃げていますが』


「はは……で、でも、この足なら逃げ切」


『アラート。ニア・エンプティ・ゲージです』


 えっ、と目を丸くする大貴をよそに足から熱流が消えていく。靴底からはぶすぶすと熱の残り香が漂い、厚い金属に固められた両足は今までの疾走が嘘のように重々しく、とても走れたものではなかった。


「う、おっ……なんでっ……?!」


 よたよたと情けなく走る大貴の足からスキーブーツからふっと消えた。


『エネルギーゲージが枯渇手前になっています。モードBではゲージを消費してブースターを作動させます。ゲージが足りなければただの重りですので仕舞わせてもらいました』


「枯渇手前……ガス欠ってこと?」


『イエス。その例えですと、スタンドなしでも自然回復する点は本機の強みといえます』


「……枯渇手前っていうなら、もうちょっと頑張れたんじゃ……?」


『完全にゼロになれば十数秒間動作不能となります。まず踏み殺されますが、それでも?』


「……すんません」


 舌打ちして、大貴はなお走る。


 背筋が凍る。グランゲイターが近づいてくる。早い。


 恐怖の指先が手首に絡む。引き寄せ、呑み込もうとする。


 大貴は視界を広げた。隠れる場所は。――ある。見つけた。今度は。


 手近の路地に駆け込んだ。狭い道にはあの巨体は入れない。


 が、あれは軽々と建物を粉々にするだろう。それでも、じりじり距離を詰められたりあの大口から撃たれる炎の射線上ではらはらするよりよほど安心できた。


 汚い路地をがむしゃらに走った。走っている感覚は【元の体】よりいくらか速い。それでも、背後から迫る破壊の足音は決して振り切れない。


「その、えーっと……そう、エネルギーゲージ! それどうやったら回復するんだ!?」


『本機搭載の【クリスタル・ジェネレータ】は【クリスタル・コア】が放つエレク・エナジーを基礎とし、ワールドを伝わることで生じるハイドライブ現象から――』


「そういうのは今いいから! どうしたらまたさっきみたいに走れるんだ!?」


『自動回復します。ですがベーシック・アクションにもエネルギーは消費するためこうして全速力で移動を続けていますと、傾向としては右肩下がりです』


「立ち止まれっていうのか……?!」


 それでは追いつかれる。本末転倒だ――。


 考える。大貴は考える。


 グランゲイターが追ってこれない場所。休める場所。すぐに移動できる場所。そんな場所は――。


「……ニル。相談なんだけど」


『ラジャー。なんでしょう』


 大貴は立ち止まり、喉を鳴らした。



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