Part3 「この足跡はぼくのもの」その3
「では、【一発逆転インターセプト大作戦】の作戦を説明する……名前、長くし過ぎたな。言うのが面倒だ」
「……ならなんでそんな名前に?」
「勢いだ。他になんか理由、いるか? ――ほら」
新たに自室から持ってきたノートパソコンから目を離さず、巧は【サイバーブルース】を差し出した。ラグビーやアメフトで使いそうなヘルメットのような形状のそれには、LEDや液晶画面やアンテナといった非凡な電子機器が小綺麗に取り付けられていた。
絢音の入っているような体を包み込む【エッグ】に比べれば、インターフェースとしての信頼性はいくらか落ちるのであろうが、三好が使っていたものよりもさっぱりとしたデザインだ。それが簡素で安価ということなのか、小型技術の粋を集めた高級品なのか、大貴には判別できなかった。
「お前、それで【潜れ】。アバターを動かせるようになったら速攻でダッシュだ。メニューからの街中ワープはモンスターがああいう風に平気な顔してうろついてるのを考えれば使えないだろうし、使えたとしてもワープ直後の隙を狙われたらどうしようもない。ワープ先でモンスターが待ち構えていないとも限らないしな。
前に案内した【掲示板】がある通りに来い。そこで落ち合って【黄泉路扉】に行くぞ」
「【黄泉路扉】……って」
「中から【地獄の番】に喰い殺される噂が立って一時的に閉鎖している裏路地、ってのが今のところの設定だ」
「設定? 本当は違うのか?」
「違う。かなり深刻なバグが見つかってメンテナンスに入ってるんだ。だが、一度書いたプログラムコードを新たに書き直すなんてそうしない。手間がかかりすぎるし、サービスを長い期間停止しなければならない。非効率的だ。
壁を作ってプログラム条件で【入る条件】を潰しただけで、その場所自体は消えていない。前に灯台から見て、グラフィックが残っているのを確認できた」
「でも【入れない】んだろ? それにどうやって入れって――」
「あのデカブツにぶっ壊してもらえばいい。現にあいつはプレイヤーの攻撃では破壊できない街の建物をバカスカ壊してる。これでバリケードひとつ壊せないなら失笑モノだ。
……いや、それならそれでバリケードを盾に使って倒せるかもしれないぞ。どっちにしても【黄泉路扉】に向かう価値はある」
「なるほど。……それで、俺がこいつを付ける理由は?」
軽く【サイバーブルース】を手のひらで叩き、大貴はそれを頭に被せた。目の前の液晶に【SYSTEM READY】の文字が流れ、続いてメニュー画面が表示された。対応のゲームタイトルの選択やプレイヤーの簡単な健康状態の分析を載せている。
「あいつがバリケードに近寄らない場合だ。最終手段として、お前には自力でバリケードを攻略してもらう。運営に目を付けられる行為だが、ああいう荒れたイベント中だ。いつもより平時のチェックは緩くなっているはずだ。
ストップを掛けられる前にやらなきゃならない。コントローラーで操作するより直感的かつ機敏に応答できる【サイバーブルース】での操作はまず必要になるはずだ。特に、高速移動コマンドも実操作能力もない初心者でやるならなそれに、運営のアプローチが繊細で慎重になるはずだ。時間も稼げる」
「わかった。とにかく最終的に【黄泉路扉】に行けばいいんだな?」
「そうだ。後はこっちに任せろ。考えがある。信じろ」
巧に言葉を返さず、大貴は心身ともに健康であることを確認し、ゲームを起動する。
頭のてっぺんからぴりりと疼いて、目の前の液晶画面に視界が滲んでいく。尻や背中に接していたソファーとの境界線が体にじわじわ馴染んでいき。
すっ――と意識が落ちていった。
* * * * *
大貴が【潜る】のを確認し、巧もゲームを起動した。カン、と警告音がひとつだけ響き、ウインドウがパッと開く。
それは、イベントの注意事項だった。大貴のIDで開いた時は適当に読み飛ばしたルールである。
ひとつ、レイダースの大侵攻が始まった。灯台の【大恒石】を目的に、大都市4つを同時に攻撃する。
ひとつ、侵攻する4部隊の隊長を打破し、【星】を奪取して敵の総隊長を討て。【星】は隊長のみが持つ「ワープ装置」である。これを利用せずに総隊長が構えている敵本陣に侵入することはできない。
ひとつ、プレイヤーは2度のコンティニューが許可される。3度目のゲームオーバーを迎えると【ヨミ】に送られることになる。
ひとつ、イベントへの途中参戦は許可される。ゲーム中の各施設は【原型が残っている場合に限り】平常通り使用可能である。
ひとつ、イベントで最もポイントを稼いだプレイヤーにはMVP特典として【テンス・エンブレム】が贈呈される――。
「……大体いつも通りか」
眠気と疲れをあくびで体の外に追いやって、巧はウインドウを閉じ、自分の【マスター】を街中に出現させた。
待ち合わせの【掲示板】の前である。周囲にカメラを回し、ひとまず周囲に敵がいないことだけは確認する。
よくよく見れば建物の端々には焦げが見え、遠くの空からは煙も上がっている。妙に通りが閑静なのは、突進や口から出されるビームなど直線的な攻撃が多い【グランゲイター】対策でもあるのだろう。
何人かのプレイヤーは瞬く間に【ヨミ】に送られたのかもしれないが、自分たちに有利な地形を探し、そこで陣取っているに違いない。敵が狙っているというものがある灯台のふもとに集まっているのかもしれない。
キーボードで操作するため、機敏な運動を要する格闘タイプから定位置からの魔法攻撃を主とする遠距離タイプに変更する。続いて設定できる8つのアクションコマンドの2つを魔法攻撃に傾倒させ、2つを移動と回避に充てる。残りのスロットは空けておき、操作ミスの可能性を減らしておく。
――巧も決してネットゲームが上手い訳ではなかった。ただし決して下手ではない。
手先も器用で要領もよい巧は、なにをさせても人並み以上に上手にこなせた。いわゆる天才肌で、それは彼がとっかえひっかえ物事に挑戦する一因でもあった。
ただそれは、それだけでは、専門分野のプロフェッショナルに比肩するのはまず不可能だった。
表面をさらりと撫でる普段のスタイルではなく、学び分析し理解し努力して艶やかな鏡面に磨き上げるように姿勢と時間が必要だ。絢音や大貴よりも初プレイから日が経っている巧だが、その他様々に関心を散らかしていた手前、その腕前は熟練者の技術に遠く及ばない。
率先して【潜っ】て神経をより酷使している絢音の方が、あるいは巧よりも手慣れているかもしれない。大貴に「恥をかくぞ」と言ったのにはそうした理由もあった。
果たして真っ当にプレイして大貴と巧がこのイベントをクリアできるのか?
――考えるまでもない。だからこそ、巧は用意をした。
作成したアバターの更新処理され続けるデータを別のアバターに肩代わりさせる【データ分配】プログラムを一部変更し、更新データを【まるごと移し替える】。
常にやりとりしなければならないのは、アバターを動かす指令系、特に【サイバーブルース】によるプレイではより繊細な【自我】データにあたるものだ。
これは、ステータスのリアルタイム更新頻度や装備変更の反映速度といった【一般的にゲームを楽しむために求められる要素】より、ある意味で極めて重大かつ重要だ。
それは人の感覚であり、人格であり、手足であり、人そのものとも言えるもの。体から抜け出した神経を伝わる電気信号は、電極を伝い回線を飛んでゲームのホストサーバーを介して処理されアバターの動きに反映される。わずかな通信遅れが現実の体を侵食し、深刻な弊害を生むことも考えられる。
擬似的にとはいえ、脳から【人間】を取り出し電脳空間のキャラクターに押し込んでいるのだ。大胆な技術であり、繊細な問題を抱えている。故に通信環境は厳格に指定され、使用時間も必ず設定されている。
――巧が用意したプログラムは更新データ、すなわち【自我】を別のアバターに移し替えるというものだ。ゲームのホストサーバーに保管されているアバターデータと手元のパソコンを繋ぐバイパスを別のアバターのものに繋ぎ換える処理である。
自作パッチやチート行為に対して比較的寛容な【ガーデン・レイダース・ネットワーク】の運営だが、他アカウントに実害があった場合は規約違反である。アバターは凍結されIDは削除される。最悪裁判沙汰、仮に【則る】相手が【サイバーブルース】を使っていたなら傷害や殺人の罪に問われかねない話である。
ならば、【乗っ取る】アバターは稼働しているプレイヤーアバターより、プレイヤーへの実害も考えなくていい分NCPにした方が無難だ。
しかし、【戦闘可能なNCPアバター】となると、その数はひどく限られてくる。大貴をこの危険な街中にもう一度送り出し、【黄泉路扉】に向かわせた理由もそこにあった。
――【黄泉路扉】の先は、元々ミュージアムだった。
そしてそこは以前、アップデートの折に【古代の力】が隆起した場所でもあった。ゲーム中、【ベル】と呼ばれる召喚魔法がデモンストレーションされたのである。
追加要素のデモンストレーションはこのアップデートの目的のひとつでもあった。ゲーム全体を巻き込んで進行しているイベントがのろのろと攻略されがちだった第2アップデートの反省を踏まえたシステムである。膠着状態のプレイヤーらの間に割って入り、強制的にイベントを終わらせていくという寸法だ。
つまり、そこにはこのイベントを終わらせるだけの力があるNCPアバターがあるかもしれない、ということだ。
無論、今度もミュージアムから実際に出てくるとは限らない。だが以前のデモアバターのパスだけでも判れば、今回のデモンストレーション用のパスが割り出せる可能性はある。――否、割り出さなくてはならない。
いつになく、巧はやる気を見せていた。
いくらゲームとはいえ、絢音に対して(一定以上の好意を持っていることだけは間違いないが)ひどくよそよそしい大貴が、ようやく執着を見せたのだ。
一人でため込む傾向の強い大貴が、不器用ながらも自分の胸の内をぶちまけてまで、だ。それは初対面の頃以来、久しく見ていなかった表情だった。
当たり前の人間として、また一人の友人として――水前寺巧はそれを助けてやらないわけにはいかなかった。
あれ以来、ずっと思い悩んで立ち止まっていたのであろう藤林大貴が、ようやく自分で歩き出そうとしているのだから。
「……大貴、調子は?」
ヘッドセットのマイクをつまみ、巧は隣で寝入り【潜る】大貴に言葉を投げた。モニターでは三角耳を頭にした少年が立っている。安っぽい布製品の軽装に、申し訳程度に小振りの木製の丸盾を左手に装備していた。右手には何も持っていない。爪で引っ掻いて戦うのだろう。
「……へんな感じ」
返事はスピーカーから返ってきた。長いしっぽを揺らし、せわしなく周囲に気を配っている。かわいらしい風貌とは裏腹に、緊張感に顔を固めている。
「絢音とお揃いのいい返事だ。ついて来い、エスコートしてやる」
言って、巧は自分のアバターを操作する。カウボーイを意識した佇まいには変わりないが、武器は魔法攻撃主体にスイッチした都合、細身の剣から鞭に変更していた。
鞭の扱いは剣ほど簡単ではないが、変則的な挙動で技を絡めやすいことと広い打撃有効範囲で高い人気を誇る武装である。ちなみに、直接攻撃力を優先した斧や持ち回りのしやすさが目立つ短剣をメインに据えた武器攻撃を重視したカスタマイズのアバターの副兵装として、極めて有名だ。
「さぁて……」
キーボードをたたきし、巧は上唇をひと舐めした。注意深く大通りを横切り、狭い路地に入った。ぎこちない動きで大貴が続くのを確認し、巧はアバターに腰の鞭を構えるよう指示を出す。機敏にアバターは指示に応え、鞭のグリップを握りしめた。
街に入り込んでいるモンスターがあの【グランゲイター】のような大型種のみとは考えられなかった。普通、潜入ならば目立たない小型種ほどやりやすい。そもそも、街中から上がっている煙は1匹の破壊活動だけで出来るようなものではないはずだ。
そもそも巧には、どういう流れでモンスターが入り込んでいるのかはまるで絞れなかった。
――本来、ゲームの設定という意味だが、街で魔法は使用できない。魔法はゲーム中【イリス】と呼ばれ、まぁ細々とした設定があるわけだが、街はそうした魔法を封じる【壁】に護られている。
故に街で模擬戦闘ができるのは「魔法封じ」を無効化している闘技場のみだ。
【壁】をモンスターは触れられず侵せない。いくら強力なモンスターであろうと、有象無象では壊せない。そうでなければ、いくら「設定」といえど成立しない。ある程度まとまった組織的な攻撃が必要なはずだ。
「部隊が侵攻した」というイベントの説明に合ったように、おそらくその判断は正しいのだろう。そして実際、こうして街のあちこちからは黒煙や破壊音が響いている。大貴も先ほど目の前で一度【焼き殺されている】。
せり立っていた【壁】は一部大穴が空いており、街並みも炎と黒煙にまかれている。街の西端に位置する灯台に近づくたび、それは顕著に表れているようだ。
攻撃の目標も戦力もまとまっているようだった。しかし、妙に【統率】されていないように思えたのだ。
たとえるなら、小学生が学校で受けるサッカーの授業だ。ポジションの割り振りもなにもされず、ただただ全員が戦術も戦略もなくボールに突っ込んでいるような――。
ふいに、路地の片隅で何かが蠢いた。のそりと重苦しい動きで角から首を伸ばし、目だけをこちらに向けていた。
亀である。巧や大貴のアバターの胸元ほどの全高で、アバターの胴周りより太く長い首には苔のようなものが生えていた。
「【グリーントータス】か」
「知ってるのか巧」
「中型モンスターの中じゃ厄介な部類だな。あいつの体の苔は触れた相手に寄生する」
「寄生されたらどうなるんだ?」
「まず動きが鈍くなるな。ゲージを吸って成長する。苔が体中に回ったらアウトだ。アバターが爆発する」
「……最悪だ。絶対触りたくない」
「俺もゴメンだ。が、あいにく目的地はこの先だ」
ゆっくりと【グリーントータス】は身を乗り出した。前足が石畳を踏み、身震いして落ちた汗の雫が水溜まりのように地面に広がり、白い足場を深緑の菌でまだらに染め上げていた。甲羅が路地の両脇の壁に引っかかり、ゴリゴリと削り痕をつけていく。
「デカい体で細い道ふさぎやがって。迂回するより戦った方が安全か。体力がある上防御力も高くて面倒だが……遠距離技なら物理技より魔法技が有効だ。俺が――」
巧が言い終えるのを、相手は待ってくれなかった。野太く鈍い怪音を大きく開いた口の奥から響かせ【グリーントータス】は一歩巧たちに近付いた。
モンスターの雄叫びにはいくつか種類がある。威嚇であったり攻撃そのものであったりだ。そのひとつに【仲間を呼ぶ】というのもある。近隣の同種のモンスターに居場所を伝えるのだ。もっとも、その使用はもっぱら瀕死状態なのが普通だ。
地鳴りのようなこの雄叫びの意図はさしずめ【威嚇】だろう。しかし一気に倒せない手前、長引けば、この雄叫びが仲間を呼ぶものに変わる危険は高い。
加えて【グリーントータス】は道幅を甲羅で塞いでいる上、道の周りを苔で汚していた。クリーンなエリアは多くなく、もし後ろからモンスターに挟み撃ちにでもされれば、逃げることさえ難しい。
――それでも、やる他はない。
巧がコマンドし、【マスター】の左手に付けた腕輪の宝石が赤々と発光した。発光するのはクリスタルだ。アバターひとり分に対してひとつ必ず配給されるアイテムである。――設定では、これが【心の力】を現実に変換するインターフェースの役割を担っているらしい。
顕わされる属性の色に輝くクリスタルの光が握る手のひらに移り、ゴルフボール大の炎の球がボッと燈った。【心の力】の総量を示したMPゲージの緑色の棒の端がフッと消える。
「大貴、後ろで控え――」
指示を送りかけ、巧はハッと息を呑んだ。
大貴が走っていた。路地をまっすぐ正面に、【グリーントータス】に突っ込んでいくのだ。
「おいこらっ!」
「待ってられない……ッ! 急いでるんだよ!」
巧は制止しようとする。だができなかった。セットした4つのアクションコマンドの中に、そんな動きは入っていない。
大貴が低くジャンプした。ヘッドスライディングのような格好で【グリーントータス】の腹と深緑でスパッタリングされた地面の間に飛び込んだ。頭が視界から消え、背中が消え、股が消え、つま先が消え――大貴の体が【グリーントータス】に隠れていった。
あるいは、屈み込めば見えるかもしれない。大貴の無事を確認できる。
だができなかった。やはりそんなアクションコマンドはない。大貴と同じ動きをして追いかけることもできない。
そもそも首を長く伸ばし頭をゆらゆらと揺らし――攻撃の意識を見せている。
【グリーントータス】から注意を外すなど、巧にはできなかった。大貴を全面的に心配してやれるほど巧の力量に余裕はない。
かぱり。また【グリーントータス】の口が開く。
その口の奥に与ダメージを向上させ敵を怯ませる【ストライクポイント】を知らせる三角形の赤い光が重なった。
巧は押し込んでいたボタンを離し、左手に溜めた炎を発射した。炎の弾丸が宙空を一直線に駆け抜けて、【グリーントータス】の舌に着弾した。
口から煙を上げて怯む【グリーントータス】を確認しつつ、巧はまた手の中に炎を溜める。
まだゲームを起動したばかりとあってか、アバターのテクニカルゲージ――消費して大技を繰り出すものだ――が溜まり切っていない。溜めるにはダメージを負うか、ストライクポイントに攻撃を叩き込むか、特定のコマンドやアイテムを使うしかない。
それまでは、ちびちび削っていくしか手がないのだ。
少なくとも、中堅レベルにも満たない今の巧程度では。