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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第1章 「藤林大貴」
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Part3 「この足跡はぼくのもの」その2

 問いただそうとして、しかし空気を喉奥で噛んでしまったのか言葉が続かない。げほげほと気管を整理する大貴に構わず巧は話を続行した。


「心配するな。ミスりそうになったら遠隔操作で助けてやるから。ゲームとはいえ、仮想現実で颯爽と助けられたら、そりゃあ絢音も「やだ……かっこいい。抱いて!」ってなるに決まって――」


「――そこ……ッ! 自分の妹、安売りするな!」


 片手で胸元を撫で回して気を落ち着かせつつ、巧をびしりと指差した。巧は苦笑してパソコンデスクからUSBメモリを手に取った。メモリを指先でちょんとつつき、居間に戻るよう提案する。ゲームは居間でと決めているようだ。


 一夜越えた後の巧の少々よろよろした足取りが大貴を先導する。居間に入るとテーブルの隅に並べられたリモコンを拾い上げる。モニターに向けてかちかちといくつかのボタンを押し込み、信号を飛ばした。


「……パソコンもそれで?」


「できるんだ。できるようにしてある」


 コントローラーを拾い上げ、適当なポートにメモリを挿し込む。LEDが青く発光して読み込みを伝え、巧はソファーにどさりと座った。巧に勧められ、大貴もソファーに座ろうと足を休めて。


 ふと、【エッグ】のモニターが光っていることに気が付いた。


 表示を読みやすくするようモニターが淡く光ることは珍しい話ではない。無論【エッグ】にもその仕様はある。


 これは、そういう意味ではなく。


 絢音が乗り込み【SYSTEM DIVING】と文字が出たあの時と、光の色が変わっているのだ。白色光が青色に。


 黄色の発光。それはまるで【警告】のようだ――大貴はごくりと生唾を飲み込む。


 読んだ本には基礎知識しか記述されていなかった。【エッグ】の仕様については知らない。【警告】がそのように知らされるものなのかも知らない。【エッグ】というその製品の常識を、大貴は知らない。


 巧は特に反応を示していなかった。コントローラーを握り、クマのできた目でじっとパソコン画面を見つめている。


 ――問題のない話なのか? それとも、ギラギラした鋭すぎる感覚が意識の外の情報をカットしているのか?


 ――確かめなければ。


 なにかが腹の底からぐつぐつと粘っこい手を突き上げた。胃液を掻き分け肉壁を掴み、のそりのそりと喉元に近づく。息苦しさを覚え、大貴は細ネクタイを緩めて【エッグ】に近づいた。


 なんだ今イベント中だとぉ、と向こうで巧が声を跳ね上げた。大貴は振り向かない。振り向けない。その余裕がない。


 質量感のある【エッグ】のしなやかな曲面に手を添えて、大貴はぐっと液晶パネルを覗き込んだ。


 文字は【SYSTEM DIVING】ではなかった。


 【注意】。その下には「当機はイベント参加中です。終了まで強制排出を行わないでください」とあった。


 一見、なんともない文章だ。騒ぎ立てるほどではない――。


 大貴はほっと腹の空気を吐き出した。息苦しさはべっとりと張り付き、手汗ほど簡単に引いてくれない。


「ほら、さっさとやるぞ。大貴、お前のログインパスワードは?」


 巧がモニターの前で声を上げた。大貴はふらふらとモニターの前まで歩いていき、ソファーにかしこまって腰を下ろす。


「携帯のアドレスと誕生日……って、俺、体験版しかやったことないんだけど大丈夫なのか?」


「製品版でログインすればそのまま使える。もっとも、製品版限定のカスタムをしたら戻れないがな」


「家で出来なくなるじゃないか」


「大人しく買え。それに製品版じゃないと自家製パッチはあてられない」


「ううっ……金あるかな」


 大貴が財布をいそいそと取り出し中身を確認する傍ら、巧はログインを終える。サーバーに保存された大貴のアバターデータが引き出され、三角耳と細く長いしっぽの生えた黒髪の人間が表示された。簡素な布の軽装で、左腕に付けられた木の丸盾が申し訳程度の装備品の様だ。


「……なるほど。大貴、お前はまずド素人がソロプレイで最もしちゃならないミスを犯してる」


「そうなのか?」


「まったくそうだ。初期の特に火力が足りない時期に、ストライクアタックも満足にできないド素人がパワー不足のスピードキャラを選択するのは間違いだ。あり得ない」


「? 逃げ足は速いぞ」


「それでどうやってボスを撃破するんだ」


「……できませんでした」


「それでダンジョンと街を行ったり来たりか。死ぬ前に戻って拾ったアイテムを売って生計を立ててる感じだな。レベルの割に金だけあるな。でもまぁ、ひっでぇ装備」


 ステータス画面を閉じて、巧は怪訝に眉をひそめた。大貴もはてと小首を傾げる。


 街に人が見えないのだ。いつもはアバターで溢れている大通りが、今は道に敷き詰められた石畳が顔を出している。


「まるでゴーストタウンだ。みんな、その……イベント? で、外に出てったのか?」


「可能性はある。順当に行けば今は第4弾の発表みたいなものだし、なによりエンブレムホルダーになれるチャンスだ」


「そうなのか?」


「そのはずだ。対策を練られる次回より、全員が初見の今回の方が【おこぼれ】を狙いやすい。ふとした即死トラップにトッププレイヤーが引っかかった話はいくらでも聞いたことがある」


 だから、多くのトッププレイヤーはすぐに動かない。


 陣地を取り、互いを牽制し、情報を集め、一気に攻め落とす――。


 そのため【成り上がり】を目指す下位クランが打って出るのは決まって序盤だ。イベントに科せられた試練を一番に突破するには、トッププレイヤーが手出しを控えている間が最も確率が高い。トッププレイヤーが動き出せば、試練とランカー両方に注意を払わねばならないためだ。


 ならば、試練にのみ集中できる序盤の方が勝率は高い。


「だが、それにしても……」


 極端だ――巧はコントローラーを大貴に投げて渡した。自分もログインしようと新しくコントローラーを取り出して、またゲームを別窓で起動する。


 巧のログインを待とうと大貴はソファーに身を沈ませコントローラーを握って感覚を確認し、いつもとは違うモニターにも慣れておこうと目を凝らして。


 街角に小さく、それを確認した。


 ごつごつとした岩のような連なり。しかし苔のような深緑色であり、鈍い光沢を持っている。暖色系の煉瓦や石の建物が殆どな街並みには決して馴染まないそれは、小さいながらもすぐに目に付いた。


 逃げる。近づく。戦う。調べる――。1秒程度の間にいくらかのアプローチが大貴の中であぶくのように膨らんでは消えた。


 その間に、それはのっそりと、しかし躊躇いなく行動した。


 重苦しく角張った大顎を広く開け、青紫の長い舌と涎に濡れる無数の牙を大気に突き立て。


「――回避だ! 前!」


 喉奥から吐き出された音の衝撃は赤い閃光を帯び、大貴が棒立ちしていた通りを焼き切った。


 スピーカーが地面を引き裂いたような重低音にもがき、巧の助言を打ち消した。画面上では煉瓦の建物を抉り融かし、瞬く間に大貴のアバターの体力ゲージは底をついた。


 1秒足らずで閃光は消え、後には黒く煤けた痕をバックに【GAME OVER】の文字が浮かんでいた。


「まさか【グランゲイター】とはな、恐れ入った……大型種モンスターの中でもボス級の奴だ。攻略法は研究され尽くしてるが、特技の熱波攻撃は火力や有効範囲がケタ違いだ。ハマれば狩れるが油断してるとバッサリやられる。トッププレイヤーでも油断できないモンスターの代表だ」


「……なんでそんなのが街に?」


「そういう設定なんだろう。今回のイベントのな。攻勢に出たレイダースが街を襲ってきた……とかなんとか。第一波がコレなら、いつも通りにトッププレイヤーはまず様子見だろうな。日和った中堅以下のクランは残らず駆逐されてもおかしくない」


 肩をすくめて巧が言った。大貴は乾いた掌でコントローラーから手を放し、そこでようやく呼吸することを思い出した。


 ――緊張していた。自分でも気が付かない間に。


 この1週間ほど、大貴はこの【ガーデン・レイダース・ネットワーク】を毎晩プレイしていた。


 それはフィールド上でほそぼそと生息していたモンスターと戦ったり、初級ダンジョンの1フロアで買いだめた回復薬をすべて使い切って街にとんぼ返りするようなド素人のプレイだった。家の十数インチの液晶モニターで、両親が起きてこないかと気もそぞろなキーボードでのプレイだった。


 安全にゲームを楽しめる環境で、かつこんなに大きなモニターで、その上あんなに大型のモンスターと相対した経験など、一度たりともなかった。


 巨大なモンスターと相対する機械など、現代社会に生きていては、まず経験し得ない。


 当然だ。これはゲームの世界での出来事だ。


 それ故の異質感。異物感。――にもかかわらず。


 あの目には、不思議な迫力が籠っていた。


 それは覇気であり、破壊衝動であり、圧力であり、殺意であり、威圧感であり、凄みであり、「暴力の熱」であり――生命力に似た奔流であり、それは大貴を硬直させるのに十分な【現実感】を顕していた。


 水前寺の家の環境と【ガーデン・レイダース・ネットワーク】のグラフィックは、間違いなく非現実のそれを現実と錯覚させる勢いを持っていた。モニター越しの大貴に。


 ならば。


「……こんな中に、水前寺が?」


「そうだな」


 ――モニター越しに見る世界でもこれならば、「もしその世界に潜っていたのならば」。


 ――「トッププレイヤーでも油断できない」――「中堅以下は残らず駆逐される」――。


 巧が言っていたことも納得だ。あの圧力を肌で感じたなら、並の人間ではまず怯んでしまう。慣れていない大貴など、潜らずしてそうなのだ。


 痛いのは怖い。それは生き物としての本能だ。


 アレに対抗できるのは、それに慣れた人間だ。恐怖に心を壊した人間か、恐怖を乗り越えた人間。どちらもそう簡単になれるものではない。


 ならば、大貴とそう始めてからの日数が変わらない絢音は?


 あの怪物に襲われて動けなくなってしまっているのではないのか――?


「……コンティニューだ」


 手から零れていたコントローラーを拾い、【GAME OVER】の下の【CONTINUE?】にカーソルを合わせた。途端に巧が大貴の右手首をつかみ取った。ギッと強い握力に圧迫され、大貴の親指は決定ボタンから離れていく。


「おい、さっき瞬殺されたんだぞ?」


「わかってるよ……!」


「ならやめておけ。仮にあのモンスターをどうにか振り切っても、イベントがそれで終わるようなことはまずあり得ない。何日続くかなんて俺が知ったことじゃないが、肝心の安全地帯であるはずの街でもあれじゃ、体勢も立て直す暇もない。お前は1時間も生き残れないぜ。

 ……絢音に格好をつけられないぞ。恥をかくだけだ」


「違うよ、違う。そんなの……関係ない」


 何が違うのか。何が関係がないのか。


 大貴はよく自分でも理解せずに言葉を出していた。


 巧がなぜそんな台詞で投げかけたのかも理解しようとしていなかった。


 ただ頭はぐるぐるとまわり、記憶のいくつかが深く暗い心の海から気泡のように浮かんできて、あぶくのように弾けていく。


 絢音に嘘をつきたくない。


 絢音と「向こうで会う」と約束した。


 絢音を助けてあげたい。


 絢音に格好をつけてやりたい。


 その、どれもが理由ではない――気がする。


 本当のところ、大貴には何もわからなかった。わがままで身勝手で醜いと思っている自分自身の本性を、まったく理解していなかった。


 ただ、その本性が打ち鳴らす「衝動」は正しいことだと直感していた。


 ――だが、藤林大貴の理性は言う。


 みにくい本性が差し出した衝動はエゴの塊だ。それが「正義」であるわけがない。仮にそうであったとしても、それはただの結果論にすぎない。


 ――だが。それでも。


 他ならぬ藤林大貴という自分自身は、それを問題にしていなかった。


 結果は後からついてくるもの。「終点」など、疲れ切った燃えカスの残骸でしかない。


 なんなら、今の藤林大貴にとって、「始点」さえ問題でなかった。靄が掛かって見えないこの衝動の根源のことだ。


 この衝動に乗れば、すぐに「始点」から離れるのだ。であれば、それに何の意味がある?


 たとえば違っていたとしても、今、「藤林大貴」は「そうしたい」のだ。


 今、何にも代えがたく、差し替えられない今この時に。


 「動かない」。


 ――そう考える自分の存在は決して許されない。藤林大貴が許さない。


 仮に許してしまっては、その【自分】はもう【藤林大貴】ではいられない。


 この感情は、藤林大貴の心臓だ。この衝動がなければ、少なくとも、大貴はこの時、この場所にいなかったはずだ。あの日までの「ヒト」として固定されていた。敷かれたレールを制限速度で走るだけの機械のままだった。


 ――「考えてもわからないことは、きっとどうでもいいこと」。今だけは、絢音のその言葉に寄りかかっていた。


 頑なに、決して、藤林大貴は今ここで、じっとしているわけにはいかなかった。


 ――動きたい。


 やりたい。


 やるのだ。


「イヤなんだ。ただこのまま黙ってるのはイヤなんだ。どうしても、絶対に」


 吐露した巧への抵抗は、酷く不細工な言葉だった。


 飾り気のない、ただの子どもっぽいわがままだった。醜悪でじたばたするしか知らない大貴の本性が絞り出す言葉は、こんなにも安っぽい。思わず大貴は顔を伏せて奥歯を噛んだ。


 ――今の表情は誰にも見せたくない。きっと、最低な顔をしている。


 イヤな人間だ。なにが真面目だ。落ち込んでいる三好部長を放って海原先輩に任せているくせに。


 弱っている部長と傷つきそうな絢音。何が違うというのだ。


 なのにこんなに必死になって。みっともなく執着して。ばかばかしい。


 本当に――最悪で、イヤになる。


「ばかものめ。ゲームだぞ? そんな顔するな。世界を滅ぼす大魔王を見つけたみたいに血の気が引いてるぞ、今のお前。酷い顔だ」


 巧は大貴の手首から手を放した。垂れていた大貴の頭を撫でてみせる。犬猫をなでるそれとは違い、町の床屋でシャンプーをしてもらった時のような、がしがしと引っ掻くような乱暴な扱い方だった。


「お前は深く考えすぎなんだ。もっと肩の力を抜いて楽しんでみろ。少しくらい自分勝手に、いろんなことをな。今度もそうで、いつもそうしろ」


 パンと最後に頭を掌で叩き、巧は大貴に視線を合わせた。


「自分のこと、わがままな人間だと思ってるのか? ほかの誰かに言われるような、生真面目な人間じゃなく」


「……そうだ。そうだよ。自分でも意味わかんないけど……駄目なんだよ。抑えられない。いくらフェアにやろうとしたって、やっぱり変えられないんだ。

 でもしょうがないじゃないか……それが俺なんだよ」


「そうか。嫌か?」


「イヤだよ。イヤに決まってる」


「……人間は全員そうだろうな。皆、自分の悪い部分があるのを知ってる。ただ見ないようにして蓋をして、目を閉じて触れないようにしているだけだ。完璧ではないんだからな。皆、自分が好きで、嫌いなはずなんだよ。たぶんな。

 ……だから落ち着け。あと泣きそうな顔をするな」


 大貴の目に映った巧の顔は、絢音に似た太陽のような笑顔だった。


「作戦名は【一発逆転インターセプト大作戦】だ。――俺とお前の本気で、全部のプレイヤーの常識をひっくり返す。きっと最高に面白いぞ。絶対にな」


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