Part2 「じめじめとした嫌な予感」その2
結局、自分は真面目などではないのだ。
そうであったなら、三好の異変にもっと気づけたはずだ。
そうすればもっとなにか行動も取れたはずで、もしかしたら今ごろ三好の激が飛ぶ中、海原と教室の隅で練習を見ていられたのかも――。
その映像を思い浮かべかけ、大貴は頭を左右にぶんぶんと振った。考えても仕方ないことなのだ。やってしまったことが変わらないからといって、やらなかった今を変える方法はどこにもない。大貴は知っている。骨身にしみて知っている。
海原は隣に座っていた。学校を出てすぐ捕まえたタクシーは朝の通勤ラッシュ時にもかかわらず軽快に走っている。
一度海原が目的地の住所を教えてから、初老の運転手は何も言わずにタクシーを動かす。学生服であることもわざわざタクシーを捕まえてそんな場所まで行くことも怪訝に思っただろうが、決して口に出さなかった。
ラッシュのある大通りを避けて車両一台程度しかない幅の脇道に逃げ、入ったこともないような並木道を通り、難解かつ小刻みなルート変更を乗り手に不快感として覚えさせない見事な配慮だった。
車体に揺られ、ぐらぐらした思考に身を任せる時間もほどなく終わる。乗り込んでから数十分後、赤信号もない場所で停車して、海原は腰を浮かしごそごそとなにかを探り。
「……藤ちゃん。悪い。払っといて」
「はっ………………え?」
おいちょっと待ってください今月もうお金が――そう大貴が制止するのも聞かずに海原はタクシーから飛び出した。
後部座席にひとり取り残され、空手が空を掻く。
ため息を一つついて、仕方なしに財布を取り出した。
「いくらですか?」
指された液晶メーターの額を財布から引き抜く。数枚の紙幣を受け取って、初老の運転手は釣り銭を探した。運転とは違い、こちらはあまり慣れていないようだった。
「君も大変だね。学校は?」
釣銭を探す間繋ぎなのか、初めて運転手が口を開いた。運転の配慮と同様の穏やかな声だった。
「すぐ戻ると思います」
――嘘でもそう言わなければ今すぐ補導されてしまいそうだ。
「……時に、君は神様を信じるかな?」
「神様?」
――いきなり何を言い出すんだ?
聞き返す大貴と目を合わせず、運転手は依然として手元で釣り銭を探っている。ジャラジャラと金属が衝突する音が耳をがりがり引っかき続ける。
「八百万の神だとか唯一神だとか色々諸説はあるが、とにかく、それは絶対的で、あらゆる運命を操作できる……そんな存在だ。それを信じるかな?」
妙な話題だった。新手の宗教勧誘のようにも思える。この手口が法に触れるかどうかは大貴にはよくわからない。
「……私は神様がいると考えている」
大貴が答えに迷っていると、運転手は口火を切った。なにかの詩を朗読するような、淡々とした調子だ。
「とはいえ、だ。たとえば、そういう運命を創り出したり組み替えたりできる高次的な存在を信じたところで触れ得ない事実は変わらないし、仮にその操作した【運命】に従う人間の一挙手一投足が筒抜けなら、それを信じて潔白に制を過ごしたところで醜悪な本性も同じくお見通しなのだろう。誰にでも、見限られる切り欠きは様々にある。
……だから私は、私の歩むレールを敷いた神様に負けない生き方というものを選択する必要があると考えているんだ。――さて、妙な話を聞かせてしまって申し訳ない」
ひとつ頭を下げ、初老の運転手は小銭を差し出した。初めて正面から見た顔にはあまりしわが入っていない。かといって瑞々しい訳でもなく、肌の艶も張りも白髪混じりの歳相応のものだとすぐにわかった。
大貴はお釣りを受け取って――首を傾げた。多いのだ。10円の代わりに50円が紛れている。
「あいにくと小銭切らせていてね。どうでもいい無駄話に付き合わせたお詫びと思ってくれないか。はした金だがね。……落ち着いたかな?」
「え?」
「乗車前から、いくらか気分が優れていない様子だったので。妙な話を聞いて、少しは気が紛れたかな?」
ぽかんとする大貴に運転手は微笑を送る。間違いなく、その人は大貴の知らない人物だった。
(……初めて会った人に気を遣われちゃうほど顔に出てのか? 俺ってそんなにわかりやすいの?)
頭の周りをぼんやりとした「?」がぐるぐると回る。事柄のキャンプファイヤーの周りで疑問符がフォークダンスを踊っている。
はっとして大貴はまた頭を左右にぶんぶんと振った。このまま小一時間タクシーに乗ったままぼーっとしかねない。営業妨害もいいところだ。いくらか落ち着いたからと言って、そこまで悠長に構えていられない。
「あ、ありがとうございました」
「では、お気をつけて」
お礼を言ってようやく下車した大貴に軽く手を振って、タクシーはぶんと道路の先に消えていった。その後ろから視線を外し、大貴は近くの一軒家に目を向けた。
【三好】の表札の下がった家だ。すぐに見つかった。
赤い屋根の三階建ての一軒家だ。庭は乗用車3台を押し込むので精一杯といったくらいで、砂利で埋められているところを見ると実際そうした使い方をしているのだろう。
玄関先に目を向けると、ちょうど扉が閉じようとしていた。海原が中に入ったのだ。大貴は急いでそれを追いかける。
扉のノブに指を引っ掛け、開こうと――思いとどまり、インターホンを鳴らした。間髪入れずに扉が開き、大貴は慌てて飛び退いた。
「後輩っす。十奈西の1年で藤林って言います。こいつも上がらせていいですか?」
海原が尋ねた。彼を頷きで迎え入れたのは老婆だった。黒い色素が微妙に残った灰色の髪を束ねたしわだらけのおばあさんだ。高校の制服姿の海原と大貴の突然の訪問にもさほど動揺した様子もなく柔和な表情を浮かべていた。
しわの数だけの年月と経験を体に染み込ませてきたが故の柔らかさが、こうして向き合っただけでもじんわりと伝わってきた。人の温かさ。包容力。そういったあれこれが人格の中に織り込まれたような佇まいだった。
三好の演劇で時折見せる柔らかさの源流を見つけた気になって、大貴は思わず口元を綻ばせた。
「おら、ぼさっとすんな。んじゃ、お邪魔します」
肩をはたいて海原は大貴を急かす。靴を綺麗に脱いで三好のおばあさんに一礼し、大貴は海原の後に続いていく。
玄関先の階段を上り、廊下を奥に進んで突き当たりの左に構えたドアの前で海原は止まった。ドアには【香苗】と掛かっている。三好の下の名前だ。
一拍――海原はひとつ、大きく間を取った。呼吸を整え、手の甲でドアを3度叩いた。乾いた木がコンコンと音を立てる。返事はない。
「……三好ちゃん?」
先のおばあさん以外にも該当する人間がいるかもしれないこの家で、海原はドアの向こうに呼びかけた。返事はない。
「……カナちゃーん?」
ノックを語尾に添えて呼び掛ける。返事はない。
……こういうとき、どうしたら当たり障りがないだろう?
大貴が思考を回しはじめ、しかしそれはすぐさまストップした。
海原がドアを開いたのだ。無遠慮にも。鍵はかかっておらず、何の引っかかりもなく開いて、カーテンで陽光を遮った薄暗い部屋があらわになった。
苛立たしげに舌打ちする海原に、また目を丸めてしまう大貴。それに構わず海原はずかずかと部屋に入っていく。
一見して、部屋はそう広くはなかった。
ベッドが部屋の敷地の3割程度を締め、学習机やクローゼットが並んでいる。残ったスペースで床にあぐらをかいた数人が丸テーブルを囲める程度である。比較的綺麗に整理されているが、それでも少々の圧迫感を覚える程度の広さである。
桃色のカーテンは締め切られ、部屋の隅には掛け布団がひとつの山を作っていた。人ひとり分はあるかというサイズの山である。
脇目も振らずに海原はその山の前に立った。布団の端を掴み、無造作に剥ぎ取る。
三好の姿が、そこにはあった。変わらない高校の制服に袖を通し、指定の黒い靴下を膝の上まで履いている。ベッドの上で体育座りをして――表情は、見えない。
「んだ、これ」
吐き捨てるように海原は呟く。強いて言えばそれは、ジェットタイプのヘルメットに似ていた。圧迫感も少なく視界も狭くない。蒸れなくていいが向かい風をシャットアウトできている訳ではないからスピードを上げるといくらか口元に風が当たり、雨の日にはフルフェイスほど雨水を防げない。
だが、大貴は知っていた。それがそうした機能のために存在するものではないと知っていた。見たことがあるのだ。
海原が手を伸ばしてヘルメットを掴んだ。ギョッとして、大貴は海原の手首を握った。
「取る気ですか?」
「ったり前だろーが。なんだこいつ、なんかヤバいモンキメてんじゃねーだろーなぁ!?」
「違いますたぶん。それに、これ取ったら危険です。最悪死にます」
「はぁ? んな訳――」
「【サイバーブルース】による事故はプレイ中の物理的な通信障害が大半なんです」
「……さい……ああ? なんだって?」
海原は舌打ちして三好のヘルメットから手を離し、怪訝に大貴を睨み付ける。大貴は学習机の上を見るよう目で促した。
学習机には綺麗に教科書が揃えられ、カレンダーには授業の日程と宿題の提出期限が青く書かれ、部活の予定が赤で書かれていた。
そして、文房具も整えられた机には、薄型のノートパソコンが置かれていた。
パソコンのUSBポートは2カ所塞がれ、ひとつは海原の足元に転がるゲームコントローラーに繋がれていた。もうひとつは赤外線通信を行っているようだ。おそらく三好のヘルメット型の【サイバーブルース】との通信用なのだろう。
「本に書いてあったんです。【VR対応ゲームで遊ぶ上での諸注意】って風に。安全面を考慮して、ある時間以上の連続使用は規制されてるんです。初期の推奨設定では1時間以上の使用は推奨しない。再使用は数十分の休憩をはさむこと……って。
これは【ゲームと現実の同一視】を避けるため、深くゲーム世界に依存してしまわないようにするためです。モノによっては薬物中毒的な症状を使用者に与えかねないそうです。
とにかく、だから、時間になればこれは止まります。止まるんです。今、無理に剥がさないほうが安全です」
「……詳しいのな。っていうか、俺が知らねーだけなのか? お前がついてきてくれてよかったわ」
自嘲気味に乾いた笑いを上げて、やがて海原はがっくりと肩を落とした。わざとらしく大げさに、苛立ちを腹の奥から吐き出すようなため息をこぼし、海原は大貴に向き直った。
依然として目から焦りと怒りが混じった色は抜けていない。だが、「暴力の熱」は荒れ以降強まっていない。最低限度には落ち着きを保っているようだ。
「勢い込んできたのに拍子抜けたなクソが……少し外で話すか。その推奨時間くらい」
いくぞー、と海原は大貴を残してどたどたと三好の部屋を後にする。残された大貴は、女性のプライベートルームに残された大貴は、【サイバーブルース】で頭を包んで寝入る三好から目をそらし、そそくさと海原の後を追っていく。
視界の端に引っかかったパソコンモニターには、銀色の蝶が舞っていた。
「で、俺がフケてた1週間、三好ちゃんも来なかったってか?」
三好の家から一番近かったファーストフード店で適当なセットメニューを注文し、大貴と海原は向かい合っていた。「少し外で話す」と言って、三好家の軒先で座り込んで1時間待ちかねない海原を、大貴がわざわざ引っ張ってきたのだ。
財布を忘れた海原はテーブルに頬杖を突き、大貴のプレートからフライドポテトを一本撮む。大貴は特別、この場ではそれを咎めもしない。先のタクシー代ともども、後できっちり貰わなければ今月のやりくりに困るのだが、それよりこの場は海原が不用意に三好の部屋に突っこむことを留めておく必要があったのだ。
「たぶん5日くらい前からです」
「たぶんってなんだたぶんって。真面目なお前は毎日顔出してたんだろどうせ。……ああ、テメー女持ちか。それであっちこっちいっぱいおっぱ――」
「違います。女は持ってません」
「即答かよ……つまんねーの」
「すみません」
「……まぁいいや。でまぁ、気が付いた中じゃなんか変わったことはなかったのか?」
「……劇の演出やら台詞回しのテンポやら曲のテンションについての言い争いはいつものことですよね?」
「呆れるくらいにいっつも通りのお話だーな」
カリカリとポテトをかじり終え、また海原は大貴のプレートからポテトをつまむ。今度は3本だ。
「先輩は、なんであれから顔を見せなかったんですか?」
「あぁ、俺? 自主トレしてた」
「自主トレ?」
「台詞回しがショボいって言ってたろ? だから図書館のAVコーナーに通ったり、ビデオ借りたり、バイトついでに映画のぞいてみたり、まぁいろいろだ。いろいろ……」
海原の目が窓の向こうに逃げていく。行きかう自動車をぼんやりと眺め――がりがりとまた奥歯を軋ませた。
「いろいろやらせてセンスナボゥな修正をしてやったっツーのに、ぬぁぁぁぁのにあいつはヒキーでゲムーってか?」
「ひき…………え? げむー?」
「あーあーあーあー。なんかもうががががー」
苛々とテーブルに爪を立てて癇に障る高音をがなり立て、眉間に幾重も皺を寄せた。
「ぐあー、なんかもう苛々してきた。藤ちゃん俺もうイライラしてきた。もう1時間経ったよな?」
「……15分ぼっちです」
「ちぃ」
ぐでんとテーブルに上半身を寝転がせ、また大貴のプレートから穂手とをつまむ。今度は9本。迷わず口に放り込んだ。
「三好ちゃんもそうだけどさ。内田も板垣も高松も、うちのメンツはみんなマジメでよぉ。
特に三好ちゃんはあの通り、繊細に立ち回れてバランスがいい上手さだ。で、うちの役者チームの中でも内田も結構イケてる口。なんつーのかな、声に幅がある。中学じゃ合唱団やってたからかな。とにかく台詞のノリが上手い。感情の乗せ方っつーの? ただあんまり動きに強くなくて、声の表現力ほどじゃないのがツラいかな」
「ははぁ……」
てっきり恨み言がまた口を突くのかと思って身構えていた大貴は内心で首をひねった。
きょとんとする大貴を置いて、海原はポツリポツリと部のメンバーの評価を口にしていく。
それが正当であるかどうか、まだ演劇に関わりはじめてから日の浅い大貴にはわからなかった。
しかしはじめの三好に関する評価だけならば心から肯定できた。入部以来、大貴は部長の彼女の活動を見る機会に恵まれていたおかげである。
海原は、適当にこなしているように見えてちゃんと「観」ていたのだ。語彙にいくらか不安が残る脚本担当だが、その感性に外れがあるとは大貴には思えない。
「高松はコソコソなんかやってるな。あいつは何つーか……企画っつーか会計っつーか渉外っつーか、なんか帝のいい雑用みたいになってんだよな。何故だか。小道具の材料調達とかも手伝うし。俺の方が向いてるっつーの。……あーっ」
ぐしゃぐしゃとプレートに敷かれていた宣伝広告を丸め、海原は大きく大きくため息をついた。
怒りのピークが過ぎたというか時間制限というか、どうやら感情が振り切ってしまったらしい。大荒れに荒れていたテンションが鳴りを潜め、一気に深海の底まで沈んでいく。
「俺、借金してたんだな、きっと。アクの強ぇーメンバーとの兼ね合いとかまとめる大変さとか形にする難しさとか、全部あいつに押しつけてたのかもしんねーな。軽いと思って全部の荷物をアイツに持たせてたのかもしんねーよ。つ稀に積まれて押しつぶされちまってたのかもしんねーよ。押しつけてできた余裕で遊んでたんだ、俺。本当は払いきれないくらいため込んでたってのに」
「……い、いや、そんな落ち込まなくても……」
「落ち込むだろー。俺、なにかやってたと思ってたけど、もしかしたら何にもやれてなかったかもしんねーんだぜー。俺の持ってた荷物、空の発泡スチロールの箱くらい軽かったのかもしれねーんだよ。さすがに結構、ダメージくるぜ。しかもなんか勢いでお前ボコってるしさ。まじだっせー」
「……」
うだうだとだらけた様子でテーブルに突っ伏している海原の言葉が、なぜだかひどく胸に刺さった。
相手にとって、もし仮に、自分の存在が驚くほど「軽かった」なら――。
誰かにとっての大貴はどうとして、大貴にとっての三好の存在は、まさしくそうだった。
無意識に、大貴の「本性」は――「そう」してしまっていた。
今朝、海原がさわきだすまで何のアプローチもしてこなかったのがその証左だ。
学校。部活。責任。そういったあれこれに押しつぶされている彼女の姿を、大貴は全く気に留めていなかった。
なぜか?
――ひどい回答だ。言葉にもしたくない。
醜悪で身勝手。最低な自分の本性が見え隠れして、体の内側に溜まったありとあらゆるものを吐き出してしまいたい気分になる。
「なんつって。ブルーモード終了」
「えっ」
いつの間にやら苦々しく顔をゆがめていた大貴の鼻先にびしりと人差し指を突き付けて、海原は口端を吊り上げた。
――かと思うと、すぐさまポテトに手を伸ばした。
ばりばりと豪快に食べる様は今しがた沈んでいた感情の海底まで噛み砕こうとしているようでもあり、ひどく野性的で――痛々しくもあった。
「うぉうし。んじゃ、学校に戻ったら早速根回しだな。三好ちゃんがゲームに引きこもるのがイヤになるくらいの夢の部活に仕上げてやっかな。まったく、ムードメーカーは辛いぜ」
やれやれだぜ、と海原は型を回しながら席を立った。
追いかけようとプレートの残りを全てゴミ箱にぶちまけようとした大貴を慌てて制止して、海原は。
「別にお前は付き合わなくっていいんだぜー。あとは自由行動だ。三好ちゃんに会うのはやめだ。明日から本気出すから、後は適当にな。お前どうする?」
「どうって……」
「思いつかねーならゆっくり食べとけ。食べ物粗末にしてあいつに会ったら、結構キレられるんだぜ」
冗談か、あるいは経験からかそう言って、大貴をひとり残してふらりとファーストフード店を後にした。
空になった向かいの席をぼんやりと見やり、大貴はカップに残ったアップルジュースを口にする。しつこくない甘さが口の中に広がり、続けて食べたフライドポテトの塩味がじんわりと際立った。
意味もなく――鼻の奥につんと響いてくる味だと思った。
唇を噛んで、大貴は携帯電話に手をかけた。時刻は8時半過ぎ。海原の「3限に間に合わない」というのは、ここから歩いていった場合の話だろうか。それとも方便か。
どうにせよ、1時限目には間に合わないのは間違いない。もう授業が始まるはずだ。西高でも、絢音の女子校でも、巧の通う私立校でも。
連絡を入れるのは憚られた。だが、一刻も早く確認をしたかった。安心が欲しかった。
――絢音はあんな風になっていないのか?
あんな風に、現実から逃げるようにゲームをしているのではないのか。大貴にそれを気付かせないように笑顔を振りまいて、ただ押し殺しているだけではないのか。
それが、藤林大貴は――なにより怖い。
「……最悪だ」
今実際に三好の姿を見て、抱える問題を垣間見てもなお、自分の本性は勝手なままだ。
自分の安心のためだけに動こうとしている。
――なにより最悪なのは、それを大貴が抑えきれないということだ。
醜悪な本性が囁いている。「三好香苗などどうでもいい」「水前寺絢音が心配だ」「一刻も早く、彼女の心に枷がないと知って安心したい」
――「もし」「彼女の心に」「現実に」「三好香苗のような」「立ち上がれないほどの【重り】があったとしたら」――。
その存在を、自分の本性を知っても尚、大貴には海原のように開き直るだけの強さがない。
しかし「人に序列を付けていた」――その事実は、決して消えない。
大貴の性根はそう言っていた。断言していた。腐っている。最低に醜悪だ。
そんなもの、受け入れられない。許容できない。許してしまっては、藤林大貴は、いったいなんのために――。
「……くそ」
ハンバーガーをひっつかみ、大貴は荒々しくそれを口に押し込んだ。呼吸も苦しくなってマスタードが喉奥にこびりついて目尻に涙が溜まった。
(――「そうやって反省してくれるのはいいことだけど、あんまり自分をどん底に落としすぎちゃうと、なんにもできなくなっちゃうよ」――)
絢音はそう言っていた。けれど大貴にこの思考は、とても止められるものではなかった。