表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂に還るまで、君の名前を  作者: 百花繚乱


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

終章 名前の残り方

夕陽は、ピラミッドの縁から落ちるように沈んでいった。


王の間からの脱出は混乱の連続だったが、ユーナの攪乱とハリドの保安経路の知識のおかげで、三人は辛うじて地上へ戻れた。保全局は記録核喪失で対応に追われ、個々の追跡は甘くなった。奇跡みたいな、でも現実的な逃げ道だった。


地上へ出たとき、風が吹いていた。

日中の熱を失い始めた風。乾いているのに、どこか優しい。


サラはスフィンクスの影のふちに座り込んだ。

足の力が抜ける。

掌にはもう何もない。

なのに、軽くはなかった。


ユーナが隣へ座る。

少年は沈む太陽を見つめたまま言った。


「ごめん。もっと早く動けたかもしれない」


「謝らなくていい」


「でも」


「今日、君が来なかったら、私は一生、半分だった」


ユーナは唇を結び、それから小さく頷いた。

その横顔には、年相応の疲れが出ていた。

やっと子どもに見える。


ハリドが三本の温いボトルを持って戻ってくる。

砂漠で冷えた飲み物を期待するほど、彼はロマンチストではない。


「飲め」


サラは受け取って、一口飲んだ。

塩と柑橘の味がした。

喉の奥がじんとした。

生きている舌の味だ。


「これからどうするの」


ハリドが訊く。


サラは夕陽を見た。

ピラミッドの面が赤く染まり、巨大な石の一つ一つに影が溜まっていく。時間が形を持つ瞬間だった。


「追悼考古士は続ける」


「だろうな」


「でも、やり方を変える」


「どう変える」


サラは少し考えた。

言葉が、前よりも素直に出てくる。


「国家や制度が捨てた記録を拾う。名前のない人を、ちゃんと人として残す。ライルみたいに、“機能”だけで数えられた人を」


ハリドは短く笑った。


「面倒な仕事だ」


「知ってる」


「手伝ってやってもいい」


「貸しの精算?」


「半分はそれ」


サラも少し笑った。

頬がまだ痛い。泣きすぎたせいだ。


ユーナがボトルを両手で握りながら訊く。


「僕も、行っていい?」


その言い方があまりに真っすぐで、サラは瞬きをした。


「危ないよ」


「今日でもう知ってる」


「給料安いよ」


「今もない」


「朝、弱い?」


「強い」


そこで、三人とも少しだけ笑った。

ほんの少し。

でも確かに。


太陽が沈みきる直前、サラは風の中に目を閉じた。

砂が頬を撫でる。

遠くで観光ドームの夜灯が点き始める。

電子音楽と、売店の呼び声と、子どもの笑いが混じる。

世界は、誰かの喪失と無関係に、ちゃんと今日を終える。


それが前は、残酷に思えた。

でも今は少し違う。


終わるから、次が来る。

失うから、名を呼ぶ。

呼ぶから、残る。


サラは目を開けた。

夕闇の向こうで、ピラミッドは黒い三角になっている。

何千年も前の墓であり、未来の保管庫であり、今日だけは、ひとりの弟を見送った場所でもあった。


「ライル」


呼ぶ。


返事はない。

でも、もうそれでいいと思えた。


風が吹いた。

砂が足元を流れた。

流れて、止まらない。


サラは立ち上がる。

膝が少し笑う。けれど、ちゃんと立てた。


半分ではなく、全部で生きるのは、きっと痛い。

思い出すたびに痛いし、幸せになるたびにも痛むだろう。

それでも、その痛みを見ないふりしなければ、人はようやく前へ歩ける。


彼女はピラミッドに背を向けた。

ユーナが立ち上がる。

ハリドが歩き出す。

三つの影が、夜へ向かって伸びる。


誰かを失った日が、誰かと生き直す日に変わることがある。

奇跡ではない。

たぶん、それが物語のいちばん本当のところだ。


砂はすぐに形を失う。

でも、名前は違う。


呼ばれた名前は、

誰かの中で、明日へ残る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ