表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂に還るまで、君の名前を  作者: 百花繚乱


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/8

第五章 王の間の嘘

扉が開いたとき、まず匂いがきた。


乾いた石でも、古い金属でもない。

長いあいだ密閉されていた記憶特有の匂い。

紙に似ていて、でも紙ではなく、雨の前の土に似ていて、でももっと静かな匂い。


王の間は、想像していたよりも暗かった。

高い天井。中央に据えられた石棺型の記録槽。壁面には古代の継ぎ目が残り、その上へ後世の保全装置が格子状に巡っている。千年単位の技術が、ここでは無理やり同居していた。


ユーナが記録槽へ走る。

認証印を重ね、隠し鍵を差し込む。

装置が目覚める低い音が、床から足裏へ伝わった。


「あと一段階」


「急げ」


ハリドの声に緊張が混じる。上層で追跡が本格化しているのだろう。

だがサラは、装置ではなく壁際の記名パネルに目を引かれていた。


そこに、父の名前があった。


イーム・ナディーム


そのすぐ下に、もうひとつ。


ライル・ナディーム


指先が勝手に伸びる。

触れた瞬間、パネルが個人認証を感知し、小さく開いた。


中に入っていたのは一枚の記録片。

掌サイズの、古い形式のもの。

ラベルには乱れた字で書かれている。


サラへ


サラは息を吸うのを忘れた。

体が先に理解して、心が追いつかない。


「再生しろ」


ハリドが短く言う。


サラは頷き、記録槽の補助端末へ差し込んだ。


映像が立ち上がる。

父がいた。

七年前の、最後に見た年齢のまま。

制服の襟は裂け、頬に砂が張りついている。背後では警報灯が回り、誰かの叫び声が遠くで反響していた。


父はまっすぐこちらを見た。

その目に、サラは見覚えがあった。

弟が高熱を出した夜、母の遺体に最後の布をかけた夜、同じ目をしていた。耐えながら、決めてしまった人の目。


『サラ。これを見ているなら、たぶん私はもう、おまえの前に戻れない』


映像のノイズが走る。

サラの膝が震えた。


『時間がない。だから先に謝る。おまえから、父親である権利を奪ってしまってすまない』


「……なに、勝手に」


声が漏れた。

ひどく小さかった。


『ライルの事故は、自然災害だけじゃない。あの日、保全局は試験中だった。砂嵐粒子に記憶素子を混ぜ、広域保管する計画だ。だが制御を誤り、避難区画の子どもたちへ未調整の記憶波が流れ込んだ』


ユーナが息を呑む音がする。

ハリドの顔から表情が消えた。


『ライルは、その過負荷に巻き込まれた。体は生きていた。だが、別の問題が起きた』


父はそこで一度、目を閉じた。

開いたとき、瞼の裏まで疲れていた。


『ライルの脳内に、保全計画の中核鍵が定着した』


サラは意味を理解できず、ただ立っていた。


『子どもの適応率が異常に高かった。ライルは偶然、国が欲しがる“生きた鍵”になった。保全局は彼を回収しようとした。私は逃がした』


映像の向こうで警報音が強くなる。

父が一度だけ振り返り、また戻る。


『サラ、おまえは弟を見失ったと思っているだろう。違う。私が、おまえから引き離した』


サラの喉が焼けた。

息を吸っても空気が足りない。


『おまえはあのとき、ライルの手を離していない。最後まで離していない。離したのは私だ』


世界が、音を失った。


七年間、自分を責め続けた一点が、形を変えて目の前へ落ちてくる。

信じたい。

信じたくない。

どちらも同じだけ重い。


『ライルは泣かなかった。おまえの名前を呼んだあと、こう言った。“ねえちゃんは悪くないよ”』


サラの視界が滲んだ。

床の輪郭が歪む。


『私は彼を保全層へ隠し、鍵を分離する方法を探した。だが保全局は、彼を人として残す気がなかった。鍵として保存し、いずれ分解するつもりだった』


「嘘だ……」


『だから私は、ライルの人格記録を分割し、一部を封印した。全部を奪われないように。全部を国家のものにしないように』


映像が乱れる。

父の輪郭が砂みたいに崩れかける。


『その結果、彼の記録は公的には不完全なノイズになった。おまえに知らせれば、おまえまで狙われる。だから私は死んだことにした』


サラの頬を涙が伝った。

温かいのに、落ちるとすぐ冷えた。


『憎んでくれていい。だが、もし間に合うなら、今日、王の間の中心層を開け。そこにライル本人の最後の選択が残っている。決めるのはおまえだ。彼を鍵として残すか、人として終わらせるか』


映像が切れる寸前、父は初めて小さく笑った。

それは、サラがよく知っている笑い方だった。

嬉しいときの顔ではない。泣かせたくない相手の前でだけ作る、不器用な笑顔。


『サラ。生きろ』


暗転。


その瞬間、サラの膝が折れた。

石床へ手をつく。冷たさが掌に刺さる。

呼吸がばらばらで、涙が止まらない。


「……最低だ……最低だよ……」


許しを乞うには、遅すぎる。

隠すには、多すぎる。

守るというには、傷が深すぎる。


でも、弟の手を最後に離したのが自分ではなかったと知ったとき、胸のいちばん黒い場所が、音もなく崩れた。そこにあった自責が消えたのではない。形が変わったのだ。怒りと悲しみと安堵が、泥のように混ざった。


ユーナがそっと近づく。


「サラ」


「まだ、あるの」


「中心層の記録が」


サラは頷こうとして、うまくできなかった。

代わりにハリドが肩を支えた。大きな手。重い体温。


「立てるか」


「……立つ」


声は震えたが、嘘ではなかった。


ユーナが最後の認証を走らせる。

石棺型の記録槽がゆっくり開き、中央に小さな光球が浮かび上がる。

砂粒の集まりみたいな記憶核。

淡く、でも確かに脈打っている。


その中に、ライルがいた。


八歳のまま。

少し癖のある前髪。

笑う前に、必ず鼻先に皺を寄せる顔。


サラは一歩、近づいた。

喉が締まり、声が出ない。

やっとのことで名前を押し出す。


「ライル」


光球が揺れた。

少年が顔を上げる。


『ねえちゃん』


たったそれだけで、サラの心は壊れた。

壊れて、それでも立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ