第四章 スフィンクスは見ている
縦穴は狭く、らせん状に下っていた。
一歩降りるごとに空気が熱を失い、代わりに湿った古さを帯びる。
上では乾いていた砂の匂いが、ここでは石の汗に変わる。壁へ触れると、ざらつきの下にかすかな冷気があった。
先頭を行くユーナの灯りが、時々揺れる。
小さな背中だ。
頼りないのに、止まらない。
「君、ほんとは誰なの」
サラは背中へ向けて訊いた。
ユーナはすぐには答えなかった。足音だけが続く。
やがて彼は立ち止まり、半分だけ振り返った。
「僕は、記録保全施設の養育区画で育った」
「孤児院みたいなもの?」
「もっと静かなところ。泣く子が少ない。みんな、泣くより先に慣れるから」
その返答に、サラの喉が小さく詰まった。
「親は」
「知らない。でも、残されたデータの整理をしているうちに、ライルの記録に当たった」
「どうして」
「彼の記録だけ、削除対象なのに異常に保全処理が重かった。誰かが、消したいのに消えないようにしてた」
サラの足が止まる。
誰かが。
消したいのに、消えないように。
矛盾した行為だ。
でも、父ならやりそうだと思ってしまった。
あの人はいつも、正しいことより、最悪を避ける方を選ぶ人だったから。
「それで僕は気になって、追った。そしたらあなたのお父さんの名前が何度も出てきた」
「父は生きてるの」
ユーナは首を振った。
「公式には死亡」
「公式には?」
「記録上は、七年前の事故処理中に死亡。実際は不明」
サラは笑いそうになった。
この一日で、父は二度目の失踪をしたことになる。死んでいるのか、生きているのか、捨てたのか、守ったのか。なにもかも半端だ。
「最低」
口に出すと、心が少しだけ軽くなった。
軽くなって、余計に空虚だった。
下りきった先は、低い回廊だった。
天井に埋め込まれた古代石材と近未来補強材が、継ぎ目だらけの時間を見せている。壁のレリーフには王の船、星、麦穂、鳥。そこへ後世の技師たちが引いた配線が這っていて、神話と工業が雑に手を繋いでいた。
ハリドが急に手を上げた。
止まれ、の合図。
次の瞬間、通路の先で白い光が走った。
保全局の巡回ドローンだ。静音型。観光層では使わない、地下専用機。
「しゃがめ」
三人で壁の窪みへ身を押し込む。
ドローンが頭上を滑る。冷たい風圧。微かな機械音。
サラは息を殺した。ユーナの肩が彼女の腕に当たる。震えている。
ドローンが去るまでの数秒が、ひどく長い。
石壁の冷たさが背中から脊髄へ上がってくる。
そのとき、サラの鼻先に、微かな匂いが届いた。
ミント。
汗。
機械油。
ハリドの匂いだ。
昔、彼と整備区画の屋上で風に吹かれながら、同じ匂いを嗅いだことがある。
そのとき彼はまだよく笑って、サラは未来なんて壊れないものだと思っていた。
ドローンが遠ざかる。
ハリドが「今だ」と囁いた。
窪みから抜け出そうとしたとき、ユーナの足が石の出っ張りに引っかかった。体が前へ倒れる。サラは咄嗟に腕を伸ばし、その細い体を抱きとめた。
軽い。
子どもを抱えた重みだ。
ユーナは顔を上げ、驚いたようにサラを見た。
その目が一瞬、ライルと重なる。
砂嵐の直前、振り返って何か言おうとした弟の、あの大きな目。
サラはすぐに手を離した。
離したのに、胸の奥がざわついて止まらない。
「ごめん」
「謝らなくていい」
「慣れてないから」
「なにに」
「守られるの」
その一言が、通路の空気を変えた。
サラは喉の奥で息を呑んだ。
ユーナはそれ以上言わず、先へ歩き出す。
背中が少しだけ速い。
照れたのか、痛んだのか、分からない。
回廊の先に、円形の扉が見えてきた。
旧式の封印扉。中央に三つの認証溝。
「ここを開ければ、王の間へつながる主軸だ」
ユーナが端末片を取り出す。
ハリドは周囲を警戒し、サラは扉の表面へそっと触れた。
石は冷たい。
だが、その冷たさの奥で、何かが眠ったまま脈を打っている気がした。
スフィンクスは上で黙っている。
でも、その沈黙の下では、名前を呼ぶ準備をしたものたちが、まだ目を覚まさずに待っていた。




