表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂に還るまで、君の名前を  作者: 百花繚乱


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/8

第三章 旅のはじまり

地下保守道の終点は、スフィンクスの西側顎下にある旧点検室へつながっていた。


ハッチを開けると、砂の匂いが一気に流れ込む。

外へ出たサラは、思わず目を細めた。スフィンクスの影が大地へ長く落ちている。巨獣のようでもあり、眠れない番人のようでもある。風が吹くたび、石の表面からかすかな粉が舞い、光の中で銀色にきらめいた。


観光区画から少し外れているため、人影は少ない。

遠くに見えるドーム列から、楽器の練習のような電子音が聞こえる。どこかの売店が、古代風の音階を観光用に流しているのだろう。


「ここから先は歩きだ」


ハリドが肩掛けバッグを渡してきた。中には簡易灯、解錠器、保存ジェル、水筒。


サラは水を一口含んだ。

ぬるいのに、喉には優しい。

飲み込むとき、自分が思ったより喉を乾かしていたことに気づく。


ユーナが前へ出た。


「王の間に入るには、まず旧中継室を通る。そこに保全局の副認証が残ってる」


「詳しいね」


「知ってるから」


言葉が短い。

秘密が短くなってきている。

時間がないのだろう。


三人でスフィンクス脇の保守路を降りる。

石段は長い年月で角が丸く、靴底のゴムが擦れるたび、乾いた粉が舞った。


途中、サラは立ち止まった。

壁面に、誰かが古い方法で彫った文字が残っていたからだ。観光用ホログラムではない。手で刻んだ、本物の傷。


「忘れられるのは死ではない」


指でなぞると、溝に砂が溜まっている。

ざらりとした感触が爪先に残った。


「古い避難民の落書きだ」


ハリドが後ろから言う。


「戦災期、この辺りは記憶保管庫の出入口でもあった。遺体を運び込む奴、生体データを預ける奴、家族の名簿を彫る奴。ひどい場所だった」


サラは手を離した。

石の冷たさが指先から抜けていく。


「ひどい場所だったのに、綺麗に見える」


「そういうもんだ。遠いものはたいてい綺麗に見える」


「人も?」


「さあな」


ハリドはそれだけ言って先へ進んだ。

サラは彼の背中を見た。

昔、好きだった。

いや、今でもたぶん、好きなのだと思う。

ただ、その感情にはいつも砂が混じっている。掴めば崩れるし、握れば痛い。


旧中継室は、岩盤をくり抜いた小部屋だった。

中央の認証台は割れている。壁沿いに並ぶ記録ラックの半分は空で、残りの半分には無数の薄板が眠っていた。風が入らないはずなのに、どこかから微かな砂の擦れ合う音がする。


ユーナが最奥の端末へ駆け寄る。

小さな手で手際よくコードを繋ぎ、認証印を浮かび上がらせた。


「ここまではまだ使える」


「まだ、ね」


ハリドが銃型スタンナーの安全装置を確認する。

穏やかな旅ではない。

その事実が、部屋の温度を少しずつ下げていた。


サラは記録ラックの端で、一枚の薄板を見つけた。表面のラベルが擦れてほとんど読めない。だが、かろうじて残る文字の形に覚えがあった。


NAD—


胸が、ぎゅっと縮む。


「サラ?」


ハリドの声が遠い。

サラは薄板を端末へ差し込み、再生を試みた。


投影はひどく乱れていた。

砂嵐のようなノイズの向こうに、男の横顔が見える。父だ。七年ぶりに見る、父の顔。頬が痩せ、目の下に影がある。誰かに向かって早口で何か言っているが、音声は途切れ途切れで聞き取れない。


ただ最後の一文だけが、不自然に鮮明だった。


「サラには知らせるな」


映像が切れた。


サラの中で、何かが硬く音を立てた。

期待が折れたのか、怒りが戻ったのか、自分でも分からない。

ただ、掌の薄板が汗で滑りそうになる。


「守るためかもしれない」


ユーナが小さく言う。


「知ってる」


サラは即座に返した。声が冷たかった。

「そういう解釈が一番、人を傷つけるってことも知ってる」


彼女は薄板を棚へ戻した。

乱暴に見えない程度に、少しだけ強く。


ユーナが端末を起動し、副認証路が開いた。

壁の一部が低い唸りを上げ、奥へ続く縦穴が現れる。


王の間へ至る古い保守シャフト。

熱い空気が下から吹き上がってくる。

石と鉄と、閉じ込められた時間の匂いがした。


サラは最後に一度、外を振り返った。

スフィンクスは相変わらず黙っている。

何千年分の別れを見ても、まだ黙っていられる顔だ。


「行こう」


そう言った自分の声が、少しだけ変わっていた。

朝の自分より硬い。

でも、逃げていない。


旅とは、遠くへ行くことじゃない。

戻れない場所へ、自分で足を向けることだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ