序章 朝、ガラスの砂漠
主人公
サラ・ナディーム(29)
職業:追悼考古士
遺跡から抽出される“残響記憶”を読み解き、遺された人へ届ける仕事
長所:観察力が高い、優しい、耐える力がある
短所:抱え込みすぎる、他人を救うことでしか自分を許せない
過去:弟を砂嵐事故で失い、その最期の記憶だけが欠けている
欲望:弟が最後に何を見て、誰を許し、何を望んだのか知りたい
欠点:真実より「自分が耐えられる答え」を欲しがっている
朝の光は、未来になっても容赦がなかった。
ギザ保全区の東端にある作業棟の窓は、夜明けと同時に白く灼ける。
サラは遮光膜を半分だけ下ろし、薄い手袋をはめた。机の中央には、拳ほどの大きさの砂塊が置かれている。乾いた琥珀色の塊。遺跡周辺の採取砂を圧縮し、微弱な残響記録を抽出するための媒質だ。
彼女は指先で表面をなぞった。
ざら、と小さな音がした。
それだけで、胸の奥の古傷が目を覚ます。
「おはよう、先生」
背後の端末から、補助AIの柔らかい声が流れた。
「先生はやめて。年寄りくさい」
「では、サラ。今日の追悼依頼は三件。通常案件が二件、緊急案件が一件です」
サラは息を吐き、椅子に腰を下ろした。
カップの中のミント茶はまだ熱く、葉の匂いが鼻の奥に青く広がる。外では観光ドームの開場準備が始まり、磁気レールの低い振動が床を伝ってきていた。
こんな朝は嫌いじゃない。
仕事がある朝は、まだ自分が誰かの役に立てる気がする。
彼女は砂塊に抽出針を差し込んだ。
空間投影が起動し、ぼやけた残響が宙にほどける。
女の笑い声。
遠くで鳴く鳥。
鍋の蓋が跳ねる音。
そして、幼い子が「熱い」と舌を出している。
依頼人の老婦人は、その映像が安定した瞬間に両手で口を覆った。
映像の中では、二十代のころの彼女が朝の台所に立ち、夫に焼けすぎたパンを差し出している。夫は笑い、わざと大げさに肩をすくめた。
老婦人の肩が小刻みに揺れた。
泣いているのに、口元だけは笑っていた。
「この顔……この人、こんな顔で、毎朝……」
サラはなにも言わなかった。
こういうとき、言葉は遅い。
人は思い出した瞬間にしか、本当に会えない。
映像が薄れ、砂塊がさらりと崩れた。
老婦人はその砂を掌で包み込むように受け取り、額に当てた。
「ありがとう」
その二文字は軽いのに、サラの胸には重かった。
老婦人が去ったあと、部屋に静けさが戻る。
サラは空になったカップを見つめた。
茶の底に、細い葉が一本沈んでいる。沈んで、揺れて、また止まる。
七年前の朝も、こんなふうだった気がした。
弟のライルが、靴も履かずに廊下へ飛び出して、父に叱られて、笑って。
あの笑い方だけは、まだ鮮明だ。
けれど、最後がない。
最後の数分だけが、砂嵐の中に裂けて失われている。
彼が何を見たのか。
誰を呼んだのか。
なにを怖がって、なにを信じたのか。
サラには、そこだけがどうしても思い出せなかった。
端末が小さく鳴る。来訪通知だった。
「予約外。未成年の来訪者です」
「こんな朝から?」
「かなり急いでいる様子です」
サラは手袋を外した。
窓の外では、太陽が保護ドームの曲面に反射して、世界が砕けた鏡みたいに光っている。
その朝が、静かに終わったのは、そのときだった。




