第二章-2-
《美味しいものは 皆で》
子供――壱葉を抱いたまま桜蘭は先程出て来た宿屋へと、我路と共に戻った。汚れた子供を連れて戻った桜蘭らに 宿屋の女将は驚いたが、快く部屋を貸し食事の支度も頼まれてくれた。
「精のつくものを用意してやりたいけど、生憎とウチは野郎共が多くて、酒のツマミみたいなモンが大半なんだよ。でもまあ、粥くらいは作れるから、先に子供を湯に入れてやりな」
我路は、先に女将に金を払うと子供に着せる服は無いかと尋ねた。それなら少し行った所に服屋があるから、そこで聞いてみろ と助言を貰い、直ぐに向かった。桜蘭は昨夜と同じ部屋に荷物を置くと、壱葉を連れて1階の湯処へと向かい、ついでに自分の身も清める事にした。
「…ふわぁ」
十人は一度に入れそうな湯船に二人で浸かると、壱葉は満足そうなため息を洩らした。
「…これが”お風呂”ですか…。凄く気持ち良いですね…」
頬はピンク色に染まり トロリとした瞳は閉じてしまいそうだ。
「ええ、私も昨夜 初めて入りましたが、これはとても良いものですよね。」
(出来る事なら、双帝様にも味わって頂きたいものだ)
双帝の分身である桜蘭は、『共感』を通じて食べた物を双帝に送る事が出来るが、今はまだ食事のみで ”湯に浸かる”などの体感を送る事は出来ない。だが、双帝がそう望めば出来ない事は無いだろう。今はまだ 必要としていないだけで。
「…我路様は、一緒に入られないのですか?」
ここに居ない事に、自分を嫌っているのでは無いかと少し不安げな顔をする壱葉。桜蘭は頭を撫でながら言った。
「貴方の服が随分と汚れていましたので、今 新しい服を買いに行って下さってるのですよ。」
「…!そんな、僕は…返せるものを何も持っていません…」
血を売るか…と顔を歪ませる壱葉に、桜蘭が微笑んだ。
「心配は無用です。こう見えて、私は『お金持ち』なんですから!」
下界で飲食する為に、双帝から金の財布を持たされている。週始めごとにその中に必要なお金が転送されて来るのだが、大金と云う程では無い。でも、出逢ったばかりで萎縮しがちな壱葉を安心させる為に、少し大袈裟に言ったのだが、半目で見られてしまった。しかし、壱葉は気遣いを有難く頂き、素直に頷く事にした。
湯船には、網の中に果物の皮が纏めて入れられており、とても良い香りがする。実を食べた後にこんな使い方をして、どこも無駄にしない女将の仕事振りに感心した。
湯船でしっかり温まり部屋へ戻ると、我路も服屋から戻った所だった。
「子供用の服はあまり無いらしくてな、それで我慢しろ」
「有難う御座います。」
我路に礼を言って両手で壱葉が受け取る。着替えると少しサイズが大きかったが、特に問題は無さそうだ。壱葉は改めて頭を下げた。そこへ、食事を持った女将が部屋へとやって来た。
「肉があったから、多めに焼いといたよ!ほら、坊ちゃんにはこっちね、熱いから気をつけな」
そう言って3人分の食事をテキパキと用意すると直ぐに下へ降りて行った。
壱葉には、ほかほかの卵粥。桜蘭と我路には肉と野菜を甘辛く焼いた物と お握りと漬物、それに豆腐の味噌汁だった。
「昨夜も今朝も美味しかったですけど、こちらも美味しそうですね!」
『食べる』事を使命とする桜蘭は、嬉しそうに両手を合わせた。普段、食事を摂る事をしない我路も、嬉しそうな桜蘭を観て、頬が緩んでいる。
人前で霊光を指先に集める訳にもいかず、かといって普通に食しただけでは下界に降りて来た意味が無い。少し考えて桜蘭は舌に霊光を集める事にした。双帝は霊光を指先に集めて唇をなぞれ、と言ったが 指先に集めれるのなら、舌にも出来る筈だ。指先を唇にあて、舌へと意識を集中する。すると直ぐに舌が暖かくなるのを感じた、上手くいったようだ。
この辺りは小さな村だが、大きな町との中間地点で、旅人の出入りが多い。物々交換も盛んで、珍しい食品が手に入る事もある。宿屋で提供される酒がその最たる物だ。
握りたてのお握りをひと口食べると、塩っけと共に甘いご飯粒が心地よい。米の粒も大きくふっくら炊けている。すかさず味噌汁を含む。出汁の効いた優しい味付けで、口の中で混じるとまた風味が変わる。美味しい。正直、このお握りと味噌汁だけでも充分に満足だが、香ばしい香りを放つ肉野菜炒めも味付けが濃くて お握りに合う。女将の言った通り肉が多めで食べ応えがあり、これなら双帝様も喜ばれるだろうと、桜蘭はひとりでニコニコと笑った。
ふと横を見ると、壱葉も行儀よくお座りして匙で卵粥を掬って満足そうに食べている。普段は食事を摂らない我路も、頬を昂揚させている。
「皆で食べるともっと美味しいですね」
3人は穏やかな時間を堪能した。
《母親》
食事と湯浴みを済ませた桜蘭一行は、壱葉が母親だと名乗る女性と壱葉が別れた場所へと向かっていた。
大通りは旅人や荷車を押す馬で賑わっていたが、壱葉が通って来たのは森の獣道だ。よって一行も壱葉の記憶を頼りに歩を進めていた。子供の足ではろくに距離は走れなかったらしい、足枷を嵌めたままだったのだから それも当然の事だろう。そもそも、壱葉は四畳半の牢屋から出た事が無い。
1時間程歩くと霧が立ち込めるようになった。我路の瞳が眇められる。フワリと現れたのは死霊だった。先頭を歩いていた壱葉の足が止まり、顔が青ざめる。
「おや」
壱葉の体をソッと抱き締めて桜蘭が言った。
「…どうやら、聞いてた女はもう亡くなってるらしいな。」
ずいっと我路が前に出る。しかし、その手は 刀を握っていない。我路が刀――悪斬刀を振るのは怨霊や悪霊だ。しかし、想いが強過ぎればやがて変質してしまう。
「…そうですか…」
背中に矢が刺さり動けなくなっても、壱葉の心配ばかりしていた姿を思い出し、半ばそうだろうと思っていたが、いざ死んでいると聞かされて壱葉は肩を落とした。
「…その人はどうなるのですか?天国に送ってあげる事は出来ないですか?」
うるうると瞳を滲ませて、壱葉がどちらへとも無く問いかける。
「そうですね。亡くなった方は、まず冥界へ行くのですよ。そこで過ごした後に天界へと運ばれます。この方は貴方に伝えたい事が有るようです、それでここに留まって居られるのでしょう。」
そう桜蘭が答えると、二人が驚いたように桜蘭を振り返った。
「…お話が…出来るのですか…?」
彼女のお陰で壱葉は牢屋から逃げ出せたが、そのせいで彼女は命を落としてしまったのだ。
「………」
我路は何も言わず、ジッと桜蘭を観ているだけだ。
『…あなた様は…精霊ですか?私の言葉が分かりますか?』
ユラユラと揺れていた死霊が、真っ直ぐ見据えてくる桜蘭に声をかけた。
『精霊ではありませんが…まあ、似た様なものです。この度は大変でしたね。』
人が死ぬと まず死霊となり、怨みの濃さや悪業によって 怨霊、悪霊へと変質してしまう。それとは逆に徳を積んだものが死霊となった後に、精霊となる事がある。その精霊が更に徳を積むと人神と成る。しかし、天界の神官と違って、人々の信仰によって神力を左右される精霊や人神は、信仰が無くなれば消えてしまう。
『あの子に…壱葉に、相楽城へは近付いてはいけないと伝えて下さい!出来るだけ遠くへ連れて行って下さい!お願いします!』
強い想いが溢れ、死霊の光が強くなる。
『相楽城と言うのが、壱葉くんが牢屋に閉じ込められていた所なんですね?』
独特の音波で話し合う死霊と桜蘭を、二人は黙って見守った。
『ええ、私は相楽城がある町、戸夏で産まれ育ちました。しかし、子が産まれて直ぐに取り上げられてしまい、何とか取り返す方法を探していたのです。』
『取り上げられた…壱葉くんが白血だからですね?』
『ええ、町の規則で 子が生まれると、相楽城に参って検査を受けなければいけないのです。城主はそうやって、白血の子を集め、各地の金持ち相手に商売をしているんです!』
『そんな事をしていたら…国主に制裁を受けるのでは…』
国主は各地に散らばる村や町、そこを納める領主達の元締め、この国の代表だ。
『ええ、ですから城主は宗教を立ち上げているのです。人神に財と信仰を捧げ、その見返りに病や怪我を治して貰う…そうすれば、国主も取り締まる事が出来ません。』
『成程。しかし、それなら良く 牢屋から壱葉くんを逃がせましたね、警備が凄かったでしょう。』
事実、大勢の追っ手に追われる事になった。
『ある伝手から道士様と知り合いまして…、「そんな蛮行は見逃せない」と私に力を貸してくれたのです。道士様が人神と対峙している間に、貰った呪符で牢屋の扉を破りました。こんなにお世話になったのに、もう自分でお礼を言う事も出来ません…』
シオシオと死霊の光が弱まる。
『分かりました。貴女の想いは必ず私が伝えます。心置きなく旅立って下さい。』
ニッコリ桜蘭が微笑むと、人魂となってしまった死霊が、もう一度 壱葉を振り見る。そして、ゆっくり一回りすると、その光は地へと吸い込まれて行った。地下に存在する冥界へと旅立ったのだろう。
「…あ」
その様子を見て壱葉が声をあげる。
「…桜蘭様、あのひとは…」
光が吸い込まれた地面を見たまま壱葉が問いかける。
「…旅立たれました。壱葉くんを牢屋から救い出す事が出来て、ホッとされたのでしょう。まだ亡骸があるでしょうから埋めて冥福を祈りましょう」
三人は無言で辺りを捜索し、やがて目的の人を見付けた。まだ野犬などに荒らされておらず、壱葉は横たわった母親に静かに手を合わせた。
埋葬を終えると、我路がどうする?と聞いてきた。
「どうする?とは?」
「…長々、何か話していただろ。牢屋から連れ出すなんて、そもそも無茶な話なんだ。まだ解決はしてねぇんだろ?」
我路の話を聞いて壱葉の顔が青ざめる。それはこれからも追っ手に追われるという事だろう。自分が居ては二人に迷惑がかかってしまう。
「あの…おふたりには、本当にお世話になりました。母の埋葬も手伝って下さって…御礼のしようもありません…」
ここで別れる、と切り出す前に 桜蘭が言った。
「ええ、問題は解決しなければなりません。あの方の願いは、壱葉くんが牢に囚われず、幸せに暮らす事なんですから。」
「それで?」
そう言う桜蘭に、我路がそっぽを向いたまま問う。
「今から、城主に天誅を下しに参ります!」
桜蘭は片手を握り天へ上げ、力強く宣言した。




