第二章-1-
《子供》
爽やかな朝日が注ぐ森の中から、場違いな喧騒を不審に思って桜蘭と我路が近づいてみると、数人の男達から逃げ惑う子供の姿があった。子供はひどく怯え 着物も泥で汚れているが、決して捕まるまいと叫び声を上げながらこちらに向かって走って来る。桜蘭は進み出るとサッと子供を抱き上げた。
「おい、女!その子供をこちらに渡せ!」
一目で荒くれ者だと分かる男達の中から、頭らしき中年の男が凄みながら桜蘭に片手を差し出す。
「この子をどうするつもりですか?」
乙女では無いのですが…と心の中で思いながらも、毎度毎度 否定するのも面倒で、桜蘭はそう問いかけた。
「貴様らが知る必要は無い!」
桜蘭の問いに一喝をあげた男は更に一歩踏み出したが、二人の間に我路がスッと立ちはだかる。桜蘭の腕の中で子供はブルブルと震え 今にも気を失ってしまいそうだ。
「困りましたね、事情を話して頂けないのなら お渡しする訳にはまいりません。だって この子は嫌がっておりますから」
落ち着いた様子で、荒れくれ者共相手に はっきり拒絶すると、彼らは笑った。
「はははっ!身の程知らずなガキ共よ、それならどうするつもりだ?俺達に敵うと思ってんのか?」
「頭、子供を手に入れるついでに、この女も連れて行きましょうぜ!高く売れるに違いねぇ!」
「おいおい、売っちまう前に味見させろよ」
頭が声を張ると、後ろに居る男達もニヤニヤしながら下卑た笑いを浮かべる。我路はその様子が気に食わずギロリと一同を睨みつける。その迫力に 男達は少し後ずさった。
「…オイ、やるぞ!」
手下が怯んだのを目の端にうつして、喝を入れる様に頭が怒鳴る。途端に男達が一斉に我路に襲い掛かる。
昨夜、死霊相手に圧倒的な剣術を披露していたので 桜蘭は何も心配していなかったのだが、予想に反して我路は男達の攻撃をもろに受けていた。素早く避けはするものの、いかんせん数が多い。桜蘭は驚いて声をかける。
「我路様、大丈夫ですか?」
「さっさと逃げろ!」
あっという間に倒すと思っていたのに、まさかのタコ殴り。我路が反撃しないと見ると男達は血気づいた。「やれやれ!」と声が上がる。その内の一人が我路の後ろに居る桜蘭に手を伸ばすと、「やめろ!」と声をあげはするが攻撃をしない我路に、仕方なく桜蘭は片手で、向かって来た男の腕を軽く叩く。すると、男は石像にでもなってしまったかの様に、ピタリと動きを止めた。殴る蹴るに夢中になっている男達を一人ずつ、ポンポンと背中を叩いて回った。全員の動きを止めてから、桜蘭は転がっている我路に片手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「お前…その力…」
「殺していませんから安心して下さい。一時的に彼らの時間を止めただけです。1時間もすれば自然と動き出すでしょう」
桜蘭の手を借りて起き上がった我路の顔はあざだらけで血も滲んでいる。パタパタと着物の汚れを叩き、口の中に溜まった血を、ブッと地面に吐き出した。
腕の中の子供はいつの間にか気を失って、ぐったりと桜蘭の胸に身を預けている。
「どこかで手当てをしましょう、向こうから水の音がしますよ」
少し歩くと細い川に行きあたった。我路は両手でバシャバシャと顔に水をかけて汚れを落とす。桜蘭は彼に手拭いを渡し、もう一つ出すと木の根元に座り、腕に抱えた子供の顔を優しく拭き始めた。
「どこか体の調子でもおかしいのですか?」
先ほどの、防戦一方の我路の様子を思い出しながら 桜蘭が問いかける。
「…あいつらは、只の人間だったからな。”悪斬刀”では切れない…」
どさりと桜蘭の隣に座りながら我路が答える。
「…後、俺は手加減が苦手なんだ。」
「…手加減…」
桜蘭が言葉を繰り返すと、ブスッとした顔で我路が返す。
「軽く打ったつもりでも、遠くまで吹っ飛ばして頭でも打たれた日にゃ 人間なんて簡単に死んじまう。悪霊狩りが人間を殺したとあっちゃ大目玉じゃすまねぇよ」
「はあ、成程。」
つまり悪鬼怨霊ばかり相手にしていて、人間相手のいなし方が解らず、大怪我をさせてしまうのが恐くて 手を出さぬようにしていたのだろう。
「どうせ殴る蹴るされた所で、俺が死ぬ事は無いしな」
「でも痛覚はあるのでしょう?そうやって腫れたり傷口から血が流れたりするのですから…」
我路の口の端から流れた血に、桜蘭は手拭いでソッと触れた。途端、我路はビクリと震え 固まってしまった。
「あ、すみません、痛かったですか?」
その様子を見て、桜蘭は慌てて手を引っ込めたが、離れていく手を思わず掴んでしまい、我路は、更に固まる。何も言わない我路に 桜蘭が首を傾げる。なんとも言えない空気になってしまった。
その時、桜蘭の腕の中にいる子供が「うぅ…」と薄目を開ける。
「あ、気が付きましたか?大丈夫ですか?」
まだボンヤリとしているが、「…みず…」と口にしたので、桜蘭は持っていた竹筒から水を飲ませてやった。ふう、と 人心地ついたのか、子供は桜蘭とボロボロの我路を見回して頭を下げた。
「助けて頂いて…有難うございます…」
歳の頃は五つくらいだろうか、血色の悪い顔に細い体、しかもその足首には枷が嵌っている。まだ下界に来たばかりだが、この子が不自由な生活をしているのが直ぐに分かった。
「これでは足首の皮膚が擦れてしまいますね、とってしまいましょう」
「え」と言う子供の声より早く、桜蘭は片足に嵌められている枷に手をかざすと、力を入れる事もなく パキリと二つに割った。
「…お姉さん、力が強いんですね…?」
驚き眼を見張る子供が、ボンヤリと答える。普通、この枷を見れば、何処からか逃げ出した罪人に違いなく、関わり合いになる人間は居ない。それも、こんな風に枷を壊してしまうなんて…、と子供は思った。
「そうですか?。あ、足首に傷がついていますよ…」
桜蘭があらわになった子供の足首に手を伸ばすと、子供は慌ててそれを両手で隠した。
「…だ、大丈夫です…ッ。これは…!」
「…”白血”か…」
その様子を黙って観ていた我路が、ポツリと零す。それを聞いて、子供が警戒の瞳を我路に向ける。
「”白血”? て、何ですか?」
キョトンとして桜蘭が我路に問いかける。桜蘭はまだ生まれたばかりだが、あの双帝の分身だ。頭の中には双帝が把握している事柄がギッシリ詰まっているのだが、それは図書館のように 沢山の本が整然と並んでいる様子に変わりなく、ひとつひとつ手探りで探すよりは、こうして知っている人間に聞いた方が早い。
「…成程、それで逃げ出して来た訳か。……”白血”とはその名の通り、血の色が赤ではなく白いんだ。それだけでも珍しいが、その血を飲むと病や傷が治ると言われている」
「へえ、そうなんですか」
ひとりで何やら納得した様子で我路が説明すると、成程 と頷く桜蘭。それを見て子供が声を上げる。
「…それだけですか?お姉さん、驚かないんですね?」
「…普通だったら、アイツらみたいに捕まえて金儲けの道具にするだろうな。何しろ、一滴で とんでもねぇ値がつくと言われてる」
続けて言う我路に、子供が怯えて桜蘭の胸に縋り付く。
「そんなに怯えなくても、この我路様はとても優しい方なので、大丈夫ですよ。ほら手当しましょうね」
子供の頭を撫でながら、足首をそっと拭うと白いハンカチをキュッと巻いてしまった。
「あっ…こんな、上等な布…僕には返せるものが何もありません…」
子供は俯いてしまう。
「子供がそんな事を気にする必要はありませんよ。そうだ、貴方の名前は何ですか?親御さんが心配しているかも知れませんから送って行きますよ」
優しく問いかける桜蘭に、子供がブルリと震え唇を噛む。
「お前、本気か?…足枷付けられてるヤツに、親なんかいる訳ねぇだろ。大方、隙を見て牢屋から逃げ出してここまで来たんだろうよ。」
我路の言い様に子供が更に震える。顔色も悪い。
「そうなんですか、もし行くあてが無いのなら、私と一緒に来ますか?」
微笑んで誘うと、子供は これ以上無いくらい瞳を大きく開いた。
「…おい!面倒を背負い込むつもりか?」
我路に睨まれても どこ吹く風、ニコニコと桜蘭が答える。
「『旅は道連れ 世は情け』と言いますでしょう。」
(それに、民の幸せは私の宿命でもありますから )
と心の中で桜蘭が独りごちる。
「…本当に、僕が一緒に居ても、良いんですか…?」
恐る恐る子供が尋ねる。その顔には期待が浮かんでいた。
「ええ、貴方さえ良ければ。ただ、何処へ向かうという目的は無いんですが。」
「…それなら……あ、でも…」
優しい雰囲気の桜蘭に心を許して子供が何か言いかけるが、隣の我路の事を気にして 言葉を飲み込んでしまった。
「何だよ、言いたい事があんなら言えば良いだろう?」
ジロリと睨む我路に、桜蘭が諌める。
「そんな恐い顔をなさったら、何も言えなくなってしまいますよ。我路様のお顔は、折角 整った造形ですのに、勿体無い」
「は、はあ?…別に俺は…ッ」
悪霊狩りとなって早幾星霜、昔ならいざ知らず、顔の造形を褒められる事なんて とんと無い。我路は赤くなった顔を見られたくなくて 桜蘭から瞳を逸らした。
ふたりの様子を観て、幾分 我路に対する警戒を解いた子供が話し出す。
彼の名は壱葉、物心ついた時から牢屋で暮らしていた。足枷から伸びた鎖は、壁に固定されていて逃げ出す事は出来なかったし、そもそも 外の世界を知らなかったので、逃げ出したいとも思って居なかった。
彼の日々は、三度の食事と、時々 血を抜かれる事だけだった。腕を切られて血を出されるのは、痛くて辛かったが、それ以外は平穏な生活を送っていた。
それが変わったのは、母親だと名乗る女性が忍び込んで来た時だった。
「…ソイツは本当に母親だったのか?」
「分かりません…さっき言った様に、物心ついた時から牢屋にいましたので…母親の顔も覚えていないんです。ただ、…そうだったら、良いな…とは思いました。」
夜中に忍んで来た母を名乗るその女は、ソッと壱葉の牢の鍵を明け、扉から中に入ると、足首から繋がっている鎖も切ってくれた。不思議な事に、紙を鎖の上に乗せただけで、パキリと切られたのだ。壱葉が不思議に思って問いかけても「今は時間が無い、道士様が対峙しているモノは、本当に凶悪だから 少しでも遠くへ離れないと…」と言って応えてくれなかった。
手を引かれるように ひた走り、ようやく大きな屋敷から外へ出る事が出来た。その時初めて、自分はこんな大きな屋敷の牢屋に居たのだと知った。庭も広く、門まで遠い。それでも何とか 護衛達と出会わずに済んだのは、彼女の言った道士様とやらが、屋敷で騒ぎを起こしているらしく、そちらに駆けつけているからだ。しかしそれも、門から外へ出て、町の中へ逃げるうちに 追っ手が声を上げて走ってくる。後ろを気にしつつも、女は 林の中に待たせておいた馬を見つけると、飛び乗るようにして壱葉を抱えて跨った。暫くは森の中を走らせたが、また追っ手が迫ってくる。後ろから放たれた矢が馬に当たり、2人は振り落とされてしまった。それでも女は壱葉の手を引き ひたすら森の中を彷徨う。
「…そして小さな祠がある所で、とうとうその人は動けなくなりました。放たれた矢は馬だけでなく、僕を抱えていた女の人の背中にも たくさん、刺さっていて…そこからはひとりで走りなさいと言われました。そう言われても、僕には行くあても無く、どこへ走れば良いか分かりませんでした。それでも、そこまでして僕を逃がそうとしてくれる女の人の気持ちを無下にする事は出来なくて…前に向かって、ひたすら走りました。そして、あなた方と出会ったのです…」
戸惑いながらも、歳よりも明瞭に話す子供に感心した。もしかしたら、牢屋の生活は、我路が想像するよりも悪くないものだったのかも知れない。誰かから学を学べなければ、こんな風に話せないだろうから。
「…成程。壱葉くん?では、その人と別れた祠まで行ってみましょうか?」
壱葉が、パッと 期待と不安を混ぜた瞳で桜蘭を見る。
「…追っ手が、たくさん居るかも知れません…でも、あの人がどうなったのか心配です…助けてくださいますか?」
恐る恐るそう問いかける壱葉に、桜蘭は ニッコリ笑った。
「ええ、勿論です。その前に、まずは着替えと食事をしましょうね。」
壱葉は桜蘭にそう言われてホッとしたが、我路が反対するのでは無いかと、そうっと我路の方を窺う。2人の話を聞いていた我路は、ため息をひとつ零しただけで、賛成も反対もしなかった。




