表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
口福道中  作者: 夏野 零音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/3

第一章

『序章』



この世界 金雲星(きんうんせい)は、光帝(こうてい)によって作られた。

 何も無い空間に現れた光帝は、光を創り、水を創り、大地を創った。そしてもっと広い世界を創る為に、自身の分身を創った。光帝の分身である双帝(そうてい)は、光帝の片腕として、この世界を天界、下界、冥界に分けて管理する事にした。しかし広大な世界を全て管理するのは難しく、それぞれに王を置き、自治に任せる事にした。


 双帝は沢山の神官を創り、その者達と共に 魂の生まれ変わりや、下界からの報告に対処する忙しい日々を送っている。

「双帝様、また沢山の魂が上がって来ているのですが…」

 見目美しい神官が、おずおずと書類を捲っている双帝に進言して来た。

「また?つい昨日も、沢山の魂が上がって来たばかりじゃないか…」

 天界には光帝と双帝、そして沢山の神官達が暮らしているが、双帝によって創られたこの者達は命の限りが無く、老いる事も死ぬことも無い。下界は 陸地と海地に分けて管理されているが、どちらにも生命体が暮らしており、生まれては死ぬ を繰り返している。そして生き物が死ぬと地下にある冥界へ行き、魂の善悪が計りに掛けられる。悪しきものは罰を受け、善しきものの魂は、天界へと上がり、魂の浄化を経て下界へと戻される。この循環を繰り返してこの世界は成り立っていた。


「どうやらまた、激しい争いが起こっているようですので、暫くは沢山の魂が上がって来るかも知れませんね…」

 双帝の隣で書類を纏めている神官が口を挟んでくる。

「ああ、人には命の限りがあるというのに、どうして殺し合うのだろう…」

 上がって来る魂は人間だけでは無く、動物や植物も含まれる為、争いが続けば巻き込まれた動植物も多く、魂をより分けなければならない冥界は天界よりも もっと忙しい。

 冥界が”善しきもの”と判断した魂だが、もう一度天界で 1つひとつ確認して、浄化を施さなくてはならない。記憶を消さずに下界に落とすと、色々不都合があったからだ。ただでさえ忙しいと云うのに、こんなに連日魂の浄化を施さなければならないなんて、いつになったら終わるのか。下界に住む者からの嘆願にも目を通さなければならないし、各地の王から寄せられる要望書の数も決して軽視出来ない。全てを統治しているのは天界であり、双帝、光帝であるのだから、仕方の無い事かも知れないが。


 双帝は長いため息をついた後、先日 下界に降りた時に飲んだ珈琲の味を思い出していた。天界は一年中 花が咲き乱れ、神官達は花弁や花の蜜を飲んで暮らしている。しかし消化器官がある訳では無く、睡眠も必要ない。よって永遠に働き続けられる訳だが、疲労は人と同じように感じる。花弁や花蜜によって疲労は軽減されはするが、それでも交代しながら管理にあたっている。

 しかし双帝は光帝の代わりだ。その光帝が休まず仕事にあたっているので、彼の分身である双帝が休む訳にもいかず、こうして粛々と仕事をしているのだが、ついつい ため息は増える。

 光帝はこの世界が好きで、やりたくてやっている仕事、まさに天職な訳だが、分身である双帝はそこまででは無い。勿論、この世界を愛しているが、彼は下界で美味しいものを食べる事に重きを置いている。度々、『視察』と云う名目で下界に降りるのはその為だ。しかし、こう忙しくては下界に視察(あそび)に行く訳にも行かない。

 

「双帝様、下界の民から届く嘆願が飽和しそうです…!」

 生命体は天に祈る事を知っている為、困難な事が有ればその瞳は自然と天を向く。争いが多くなれば助けを求める声も多くなる。しかし他の生命体と比べても、人の願いは底が無く、全てに対応するのは どれだけ神官を増やした所で無理がある。それで嘆願の内容をより分け、重要度を1~5にランク付けし、重要度の高いものから対応にあたっているのだが、それでも手が足りないのは火を見るよりも明らかだ。双帝は頭痛を抑えながら、粛々と対応にあたる為に立ち上がった。


 ✿✿✿✿✿

「よし、桜の花にしようかな」

 何日か経ったのち、仕事の合間に 立派な宮殿を後にした双帝は、色とりどりの花や木が咲き乱れる帝園で、立派な桜の木の前に立ち止まった。満開の花は瑞々しく、とても良い香りが漂っている。咲いている花を手に取り、霊光をあてながら息を吹きかけると、たちまち 14、5歳の桜色の髪をした少年が現れた。

「…おや、まだ満開ではなかったか。でもまあ、この位でも可愛らしいかな。さて、君の名前は何にしようか。」

 桜の花は五分咲き未満だったらしく、双帝によって創られた分身は成人していない容姿だったが、それもまた良しとし、双帝は彼に名を付けようとしていた。

「双帝閣下、どうぞご随意に」

 少年は後ろで結わえてある長い髪を揺らしながら 礼の姿勢をとった。

「ふふ、そう畏まる事はないよ。君は眷属では無く私の分身なのだから。…そうだね、では桜の文字を入れよう。”桜蘭(おうらん)”、君の名前は 今から”桜蘭”だ。」

「素晴らしい名前を有難うございます。」

 桜蘭と名付けられた少年は、ニッコリと笑って礼を言う。

「さて、桜蘭。私が君を創ったのは、私に息抜きを献上して貰いたいからだ。」

 双帝は優しい声で桜蘭に言う。

「…”息抜き”…で、ございますか?」

 意味が分からず、桜蘭はキョトンとした顔になる。

「ああ、今までは、時折 下界に降りて視察をして周りながら、土地の物を食べたり飲んだりする事が私の息抜きだったんだ。しかし今はとても忙しくてね、暫く下界に降りれそうもない。そこで、君に視察に行って貰い、食べたり飲んだりする時に、私と『共感』して欲しいんだよ。」

「『共感』ですか。」

「そう、食べる前に こうして霊光を集めた指先で唇をなぞれば、私の唇と共鳴し、君が食べたり飲んだりした物は私の口にも入るんだ。」

「なるほど!それなら下界に降りる暇が無くても、美味しい物を食べられる訳ですね!」

 ポンッと桜蘭が手を打つ。

「そうそう、天界(ここ)では花弁と蜜を食べる事くらいしか必要としていないだろう。勿論、色とりどりの花はとても美味だと思うが、下界の焼いた肉や蒸した野菜、芳醇な酒は、仕事が忙しければ忙しい程 欲しくなるんだよ。」

「分かりました、双帝様。この桜蘭、沢山の美食を双帝閣下に献上致しましょう!」

「頼んだよ。あ、それと左耳に付けている耳飾りは、私との連絡をとれるようにしてあるから、何かあったら使いなさい。」

「はい!有難うございます。では 早速、行ってまいります!」

 そう言うと、桜蘭は張り切って下界へと降りて行った。

 


『下界』



桜蘭が天界から降りたった場所は、森に囲まれた細い道の上だった。辺りは薄暗く 人の気配は無い。下界には生命体が殆どで、桜蘭のような神官は居ないため、身分が露見しないようにしなくてはならない。そうで無ければ 神だなんだと祭り上げられ、際限のない嘆願を聞かされる羽目になるだろう。下界(ここ)へは食事をする為に来たのだから、使命を全うしなければ。

 桜蘭が よし、と気合いを入れていると、後ろの方でカサリと邪悪な気配がした。振り返って目を細める。木々に遮られて何も見えないが、何かが、ソワソワしている雰囲気がある。


 桜蘭は、ふむ と考える。下界は生命体が営んでおり、寿命や不慮の事故によって その命が終わると、体から魂が離れ 魂は地下へと沈んで行く。地下には冥界があり、そこで魂の善悪が計られ、善きものは天界へ 悪しきものは罰を受ける。罰を受け終わったものは、善きものと同じく天界へと上がる。そして、また天界からこの下界へと生まれ戻るのだが、想いの強い者、特に殺されたり強い憎しみを持ったまま 体から魂が離れると、魂は地下へとは落ちずに下界に留まる。

 それらは『死霊』と呼ばれ、時間と共に地下へと落ちて行く者も多い。それでも留まり続けるものは『怨霊』となり人々に悪影響を及ぼす。更に人に取り憑いたり、死へと追い込んだりすれば『悪霊』となり果てる。こうなってしまっては自ら地下へと落ちる事はなくなり、冥界の王の眷属で構成された悪霊狩りにしか、地下へと落とす事は出来ない。


 生命体は只でさえ命の限りがあると言うのに、このような死霊共にも気を配らなければいけない。なんと難儀な事であろうか。天界へも”何とかしてくれ”という嘆願は度々上がっているのだが、何ともなっていないのが現状だ。そもそも天帝が愛した”人間”は情緒が豊かで想いが強い。他の生命体と比べてもそれは明らかだ。人間から感情を抜き取ってしまえば こんなイザコザも無くなるだろうが、天帝はそれを良しとしないだろう。そういう訳で、現状、冥界の王に頑張って貰うしかない。


 カサカサと動く気配は段々と近づいて来る。

 気配から判断して相手は『死霊』であると思われるが、なにぶん 桜蘭も生まれて間も無い為、絶対とは言い切れ無い。死霊であれば特に気にしなくても良いが、怨霊 または悪霊であったなら、ここで 地下へ送還した方が良い。だが、桜蘭は生まれたての為 戦闘の経験が無い。そもそもの話、神官が戦闘する事は無く、天界で事務職をする為に生まれてくる。下界に降りる神官は極僅かだ。しかし、遭遇したのなら 何かしらするべきと思い、双帝にご意見を伺おうと思った。双帝に聞くにしても、先ずは相手が何なのか見極めるべくその場から動かなかった。


 そこへ。


 奥の木々の影から黒い物が飛び出して来るのと同時に、後からも黒い物が飛び出して来て、桜蘭の前に立ちはだかった。風を切る音が響く。黒い影達は幾らかやり合った後、バッサリと後から飛び出して来た人物に斬られてしまった。たちまち斬られた黒い影は地下へと沈んで行く。

「おい!何をボーッと突っ立ってやがんだ!危ねぇだろうが!」

 地下へと落ちて行く影を見ていた桜蘭は、それを斬った男から罵声を浴び、ハッと顔を上げる。男は年の頃が17程で、スラリと背が高く、良く鍛えてあるようだ。黒い着物に身を包み、腰にはこれまた黒く長い刀を佩いている。先程、黒い影を斬った刀だ。

「ああ、これは失礼しました。助けて頂いて有難うございます」

 場違いな程柔らかい微笑みで礼を言う桜蘭に、毒気が抜かれたのか 男も鼻を鳴らす。

「ここは通行禁止だろう。何故、大通りを迂回しなかったんだ?何の用でここに居る?」

 どうやらこの辺りの町では、この道を封鎖していたらしい。多分、あの黒い影が人に悪さをしていたのだろう。


「通行禁止?そうなんですか。なにぶん、下界へ来たのは初めてなもので」

 桜蘭がそう言うと、男の目には鋭い光が宿る。音もなく刀を抜き、真っ直ぐに桜蘭の喉元に突き立てる。

「…貴様、何者だ?そんな言い訳をするのはよっぽど阿呆な神官か、取り憑いた悪霊だ」

 桜蘭は息を飲んだ。そうだった、下界では自分の身分を明かしてはならないのに、うっかり『天界から来た』と言ったも同然の事を言ってしまった。しかし、そう言うこの男も、先程の事と云い、今の言動と云い、大方 冥界の王の特殊部隊である『悪霊狩り』の隊員では無いだろうか。何しろ、他の武器で悪霊を霧散させる事は出来るが、斬って魂を冥界へと送れるのは、悪霊狩りの隊員達が持つ”悪斬刀”だけなのだから。


「そうカッカしないで下さい。私から悪霊の気配がしますか?」

 喉元に刃先をあてられたまま、桜蘭が笑って男に問いかける。仮に斬られたとしても、桜蘭は生命体では無いので、血が出る事も死ぬことも無い。だが痛覚はあるので、穏便に刀を収めてもらいたかった。

「フン、人を沢山喰った悪霊は その気配を消す事すら出来る」

 へえ、そうなんだ、と桜蘭は感心した。これは斬られないと証明出来ないかと諦めて軽口を叩く。

「でも、こんなに可愛らしい悪霊がいますか?」

 バサーッと斬られる事を覚悟したが、何故かその男は刀を鞘に収めた。

「…しばらく監視する」

 どうやら判断が付かなかったらしい。桜蘭は別に今すぐ斬ってもらって悪霊では無いと確認して、ここで別れても良かったのだが、先程来たばかりで下界には詳しくない。監視すると言うなら 彼に色々案内して貰おうと自己紹介を始めた。

「私は桜蘭と申します。これから、あちらコチラを旅する者です。早速ですが、美味しいお店を知っていますか?」

「店?食い物屋か?」

 少し呆気にとられて男が返す。

「ええ、ご馳走様しますから。そうですね、焼いた肉を出す店なんか 良いですね」

 桜蘭はそれが双帝のお気に入りだと思い出して、男に聞いてみた。だが男はしばらく考え込み、うーんと唸った。


「肉…が、あるかは分からんが、確か旨い酒を出す店なら知っている」

「ああ!お酒! 良いですね、そこへ行きましょう」

 ニコニコと応じる桜蘭に、男がボソリと言う。

「…こんな宵闇に、見知らぬ男と酒屋に行くのが 恐くは無いのか?」

 悪霊と判断が付かぬので監視すると言った口で、桜蘭の若く美しい身空を心配するかのように言う男に 桜蘭はまた笑った。

「お侍様、私は乙女ではありませんよ」

「…そうで無かったとしても、その姿では邪推する者も多いたろう…」

 女では無いと言ったのに、それでもまだ心配そうな顔をする男に、桜蘭はまた笑った。流石、冥界の王の 直々の特殊部隊だ。


 男が先に立ち、桜蘭はその後に続いた。男は無口であまり返答は返らなかったが、それでも桜蘭は何だかんだと喋りかけた。辺りは暗く 道は細く、それでも愉しい気持ちになるのはひとりでは無いからだ。桜蘭の桜色の髪と同じく、桜色の着物は暗闇で仄かに光る。その光に釣られ、またぞろ黒い影が這い出てきた。

「あ!」

「下がっていろ!」

 桜蘭が声を上げるのと同時に、男がサッと刀を抜く。あっという間に斬り伏せる姿は圧巻だ。

「お侍様、お強いですねぇ」

 ぱちぱちと手を打つ桜蘭に、男が 別に と返す。

「これが俺の仕事だ。出来て当たり前だ。」

「そうは仰っても、たくさん修練を積んだのでしょう。あ、襟が歪んでいますよ」

 桜蘭が立ち回って歪んだ男の襟元に スッと手を入れ直してやると、男はグッと息を飲んで固まった。

「さ、先を急ぎましょう!」

 直し終わった桜蘭が パンッと胸元を軽く叩き、男を見上げる。

「…あ、ああ」

 その後、死霊に会う事も無く、無事に酒屋にたどり着いたのだが、なんと残念な事に店は閉まっていた。落胆する桜蘭に、隣の宿屋から出て来た女将が、良かったらうちに泊まって部屋で酒を飲まないかと提案してくる。


「え!部屋にお酒を運んでくださると言うんですかっ」

「ああ、この辺りには民家ばっかりで、他に店屋は無いからね。」

「良かったですね!お侍様」

「…しかし、わざわざ宿を取らなくとも…」

 喜ぶ桜蘭に男は煮え切らない。そこで女将が言う。

「もう暗いよ、歩き回るのは危険だ。悪霊が彷徨いてるって噂だしね。言ったろ、この辺に他に宿屋は無いから、後は野宿になっちまうよ」

 そう言われて、男は渋々了承して対価を払い部屋へと入った。


 しかし。


「駄目だろう」

 部屋に入って直ぐ、男が言った。

「何が駄目なんですか?」

「ひと部屋しか空いて無かったとしても、同じ部屋に泊まるのは、やっぱり駄目だろう」

「何が駄目何ですか?男同士じゃないですか」

 きゅるんとした顔で正座した桜蘭が、まだ突っ立ったままの男を見上げている。

「…………」

 男は黙った。

 部屋に上がり、明るい電灯の下で改めて桜蘭を見て見ると、双帝の分身だけあって、桜蘭は国一番と言っても良いほど器量が良かった。艶々の桜色の髪は後ろでひとつに纏められ、細い腰で揺れているし、桜色の上等な着物は 若く華奢な体に良く似合っている。仮に女では無かったとしても…否、男だろうが女だろうが、ここに居るのが俺で無ければ今頃 この桜蘭は泣きながら乱暴されていたに違いない。ここに居るのが、強靭な精神力を持つこの俺である事に感謝して欲しいと男は思った。


「ハイハイ!お待ちどうさま!」

 そう言って女将が酒と簡単な食事を持って来た。

「悪いね、もう厨房の火を落としちまって、こんなモンしか無いけど、酒は上等だから多めに置いていくよ」

「…俺を酔わせてどうするつもりだ…」

「え?」

 ボソリと呟いた声が聞き取れず、桜蘭が聞き返しても男はもう何も言わなかった。しかし桜蘭も、初の食事に浮かれていたので すぐに気にしなくなった。

「さ!では、有難く頂きましょう!」

 ニコニコと笑う桜蘭に、男がハッとする。

「おい待て!お前、酒が飲めるのか?」

 まだ子供なのでは と訝しんで問いかけたが、

「さて、分かりません。なにぶん、初めて呑みますので!」

 屈託なく桜蘭が答える。男はため息をついた。

「一口舐めて…無理そうなら止めた方が良い」

「分かりました!では…」

 お猪口に少し入れて貰い、ソッと赤い舌を出す。その様子を食い入るように 男が瞬きもせず凝視する。

「ん!美味しい!」

 桜色の唇をペロリと舐めて桜蘭が破顔する。男は何も呑んでいないのに、ゴクリと喉仏を上下させた。

「お侍様、もう少し頂いても宜しいですか?」

 小首を傾げる桜蘭はわざとやっているのかと疑う程、あざとく可愛らしい。男は盛大に噎せた。


 厠に行ってくると男が席を立ち、ペロペロと酒を呑んでいた桜蘭は、ハタッと気が付いた。初めての酒と云う事もあり、夢中で愉しんで居たが、双帝と『共感』していなかった。ソッと指先に霊光を集め 濡れた唇に押し当てる。そしてお猪口を口に流し込んだ。

 《ん!これはいい酒だね》

 酒を呑んだ直ぐに後に、左耳のイヤリングを通して双帝の声が届く。

 《双帝様、お待たせ致しました!。こちら…こちら…、あれ、なんて言う名前か忘れてしまいましたが、女将のお勧めのお酒だそうです!》

 桜蘭も直ぐに返事を返す。

 《そうかい、これからも宜しく頼むよ。》

 期待している、と云う言葉と共に通信は途絶えた。双帝は忙しいのだろう。その後も、男が戻って来るまでお酒を愉しんだ桜蘭だった。


「やっぱり駄目だろう」

「何が駄目なんですか?」

 この宿屋には珍しく浴場があり、ひとりずつ交代で身を清めた後、一組の布団を見て また男が駄目だと言った。

「若い者同士が、ひとつの布団で同衾するなど…!」

「男同士ではありませんか。それにこのお布団は大きめですから、二人で寝ても充分かと思いますが…」

 有り得ないと戦慄く男に、桜蘭が言う。

「………お前、本気で言っているのか?」

 両手で顔を覆い、その指の隙間から桜蘭を睨みつけながら男が言う。

「……俺と、同衾すると…?」

 何故かまた男の喉が鳴った。

「はい。サッ!もう寝ましょう。明日の朝ごはんも楽しみですね!」

 ニコニコと笑って桜蘭はサッと布団の中に入ってしまった。男はオロオロと部屋の中を彷徨い、桜蘭が寝入ってしまうまで 迷い続けた。そして、覚悟を決め ソッと布団を捲る。すると湯を浴びた桜蘭の馨しい香りが広がり、男は膝から崩れ落ちそうになった。


 男は、冥界の王の眷属、それも悪霊狩りの隊員だ。彼は半分人間で、冥界王と契約して悪霊狩りとなったが、朝から晩まで 鍛錬に時間を溶かし、下界に出れば悪鬼怨霊を斬り殺して廻る。食事を摂らずとも死ぬ事は無いが、人だった頃の習性で たまに呑んだり食べたりするが、整った顔とは裏腹にそのおどろおどろしい雰囲気のせいで、乙女どころか男ですら気安く近寄って来る事は無い。それでも別に構わなかった、自分には暗い場所がお似合いだ、悪鬼怨霊を斬り伏してさえ居れば良いのだから。

 たまに礼を言ってくる人間も居たが、彼が一喝すれば 直ぐに逃げていく。桜蘭のようにニコニコと笑って、よもや同衾まで許す人には出逢った事が無い。そしてまるで天女のように可愛らしいのだ。


 男は、本当に布団に入るかどうかまた悩み始めた。ウロウロしている気配が伝わったのだろう、目を擦りながら桜蘭がその柔らかい体を起こして男を抱き寄せた。男はビクリと体を固まらせたまま、桜蘭に布団の中へと連れ込まれる。

「ほらほら、もう寝ましょう…私、寝るの、初めてなんですから…」

 桜蘭は『寝る』のが初めてだ。基本的に神官は寝る必要が無く、寝ても疲労がとれる訳では無いので、誰も寝たりしない。しかし、下界に降りて来た桜蘭は、食べたり、呑んだり、寝たりする、人の営みを体験する事を楽しみにしていた。そして、いざ寝てみれば、フワフワとして気持ち良く、酒を呑んでほろ酔いだった事もあり、大変に心地良かった。心中で大嵐が吹き荒れているのは抱きつかれた男だ。彼も人間では無いので睡眠は必要として居なかったが、布団を見れば眠くなる。それが 習性と云うものだ。

 それがどこもかしこも柔らかい桜蘭に、ぎゅっと抱きしめられてカチカチに固まってしまった。良い匂いはするし、せめて不埒な真似などしないように、必死に歯を食いしばるうちに、夜が明けた。


 ✿✿✿✿✿


「おはようございます!お侍様」

 日の出と共に 爽やかに目を覚ました桜蘭が、男に挨拶をすると「…うん…」という力ない声が返って来るだけだった。そしてヨロヨロと起き上がると、パンパンッと両手で自身の頬を強く打った。

「?どうかなさったのですか?」

 小首を傾げて問いかける桜蘭に、男は力なく首を横に振るだけだった。そして、厠へと立ち去った。

 その間に桜蘭は霊光を指先に集め、女将が用意してくれた食事を双帝に献上していた。


 着替えを済ませると二人は宿屋を後にした。

「さて!お侍様、どちらへ参りましょう?」

 キラキラと陽光が降り注ぐ小道で、先は二手に分かれている。

「…我路(がろう)

 ボソリと男が言う。

「え?」

「俺の名前だ。そもそも、俺は侍じゃ無いしな」

「…我路様、ですね?」

 ニッコリと微笑む桜蘭に、プイッと顔を背けて我路が言う。

「さ、様は要らねぇよ…!」

「ふふ、そうは仰っても…。あ、我路様、あそこを見て下さい」

 顔の赤い我路の向こうに、何やら喧騒が聞こえて来た。こんな朝から騒がしい。我路はすぐ仕事の顔になり、2人は引き寄せられるように騒がしい方へと進んで行った。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ