星を見る者――黒川真秀の夢
蒸気船建造前夜の天正14年
ある秋の夜。
越前の空は雲もなく、炉を沈めたような夜気の下、数多の星が凛と瞬いていた。
黒川真秀は、屋敷の中庭から夜空を眺めていた。
そばに置かれたのは、自ら設計した金属鏡式の望遠筒。
だが、今は覗いていない。彼の視線は、ただ“空”そのものに向けられていた。
傍らには如月千早が立っている。
「殿。蒸気船の炉設計、明日には……」
「千早。なあ、お前は星に名前を付けたくなったことはないか?」
如月は少し驚いたような顔をした。
「名を……ですか?」
「夜空の星。誰の物でもない光。それに名を与える者は、記録を遺す者だ。
俺はな……“いつか、火の力であの星まで辿り着く道”を、考えてみたくなるのだよ」
千早は黙って、星の方を見た。
「それは、妄想ではないのですか?」
「妄想――その言葉を、ある異国の書物の中で読んだ」
黒川は、懐から小さな羊皮紙の断片を取り出した。
そこにはフランス語でこう記されていた。
> *"Tout ce qu’un homme est capable d’imaginer, d’autres hommes sont capables de le réaliser."*
> 「人が想像しうることは、すべて実現できる」
「……ジュール・ヴェルヌ。フランスの空想家だ。この世界にはまだ、空も、地中も、海底も、そして空の向こうも“未踏の地”として残されている」
彼は一つ、空に向かって指を差す。
「俺は……いつか“火星に道を敷く者”が現れると信じている。そのために、“道具”と“言葉”と“記録”を、残しておかねばならぬのだ」
風が吹き、薄い雲が月をかすめた。
千早は静かに頷いた。
> 「ならば私も、“道を読む者”でありましょう。
> いつかその旅が始まるとき、黒川様の記した“軌道の書”が灯火となるように」
その夜、炉は焚かれなかった。
だが空の火は、誰よりも熱く、真秀の胸の奥で燃えていた。
## 補足設定(資料・引用等)
黒川真秀が所持していたヴェルヌ語録は、~ルイス使節団の文書に混ざって伝来した断片~ということです。
「火をもって星を渡る者たち」という文言を彼が残し、後に~『十日間で火星へ』冒頭に引用される~
『黒川星図』の第一頁には「妄想こそ最初の航路」と手書きがある(アリア・キサラギが火星船内で読む)




