賀茂 清之助 外伝 第二話:黒川真秀との出会い
*第二話:黒川真秀との出会い
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それは、夏の終わりの午後だった。
山々を包んでいた緑が、ほんのりと色を変え始めた頃――
賀茂 清之助は、いつものように火床の前で鎌の刃を仕上げていた。
ふいごが唸り、火が跳ねる。
耳に心地よい金属音を聞きながら、額の汗を拭うことも忘れ、
ただひたすらに、**“鉄の声”**を聞き続けていた。
この日もまた、変わらぬ鍛冶場の一日になる――
はずだった。
しかし、午後の陽が斜めに差し込む頃。
鍛冶場の戸口に、静かな足音とともに不思議な気配が現れた。
「こんにちは、鍛冶殿。お忙しいところ、申し訳ない」
その声は、不思議なほど場違いだった。
声に怒気も威圧もなく、だが“芯”が通っている。
まるで、問いかけではなく、未来を語るような響き。
振り返った清之助は、一瞬、目を細めた。
現れた男――
それが後に主君となる黒川真秀だった。
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彼は、鉄工所に現れるにはあまりにも清潔だった。
よれのない旅装、染めの上質な袷、肩に斜めがけにした妙な袋。
刀を差してはいたが、それ以上に“書物の香り”がする。
「悪いが、修理か小間物なら隣村へ行ってくれ」と清之助は言った。
だが、真秀はにこりと笑って首を振った。
「違います。私が欲しいのは、“鉄を夢で動かす者”」
「……は?」
「この国に、煙で鉄を動かす夢を見ている者が、ひとりでもいるかと思って」
そのとき、清之助はようやく気づいた。
この男がただの通りすがりではないことに。
「……煙で動かす? 冗談じゃねぇ、鉄は手で叩くもんだ」
そう言いながら、男が差し出してきたのは、一枚の紙だった。
丁寧に巻かれた和紙の図面。
清之助は無造作に受け取り、広げて――言葉を失った。
そこには、見たこともない構造の円筒と歯車、
蒸気を動力にして内部で回転を生む“謎の構造”が描かれていた。
「なに、これは……」
「蒸気機関の初期案です。西洋でいつか生まれるはずだったもの――
ですが、ここにある鉄と知恵で、もっと早く作れると私は信じている」
図面の周囲には、まるで見慣れぬ文字。
その一部を指差しながら、真秀は言った。
「この“ボイラー”に火をくべることで水を加熱し、
生じた圧力でこの“ピストン”を押し動かす――理屈だけなら、難しくない」
「……待て。そんなもの、見たことねぇ。そもそも――誰が動かす?」
「貴方です、賀茂 清之助殿」
初対面で、名を呼ばれたことに清之助は眉をひそめた。
「なんで、俺の名前を」
「貴方の鋼は越前でも評判です。刀鍛冶ではなく、“道具を造る職人”として」
「……妙な奴だな、あんた」
「ええ、よく言われます」
真秀は微笑み、膝をついて火床を覗き込んだ。
「この炎が、貴方の命でしょう。
ですが、この火に“時代”をくべることはできませんか?」
「……時代、だと?」
「はい。戦を終わらせ、民を飢えさせず、
火を“奪うため”ではなく“生きるため”に使う時代を、
共に鍛えることはできませんか」
それは、清之助がかつて見た誰の目とも違っていた。
権力者の目でもなければ、空想家の目でもない。
現実を理解したうえで、なお夢を語る者の目だった。
「――ったく。面倒な客が来やがった」
清之助はそう言って、図面をもう一度見つめた。
火は、ただ熱いだけの存在ではない。
誰と組むかによって、意味が変わる。
この男となら、鉄は変わる。
道具も、時代も、未来も。
「一度で動くと思うなよ。何度も火を噴いて、何度も俺は怒鳴る」
「それで結構。失敗する者は愚かではありません。
挑まぬ者こそ、何も生み出せぬのですから」
ふたりの間にあったのは、契約でも命令でもなかった。
ただ、“夢を語る言葉”と、“それを形にする手”の握手。
賀茂 清之助、黒川真秀。
越前の地で、この日――未来が火床で生まれた。
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