『十日間で火星へ』第一部:軌道カタパルト計画発動 プロローグ
ここでは「第一部:軌道カタパルト計画発動」のプロローグです
夜明けの光が、クルラトゥール台地の上に冷たく澄んで差し込んだ。その光のもと、世界最大の機械的記念碑――黒川式カタパルトの静かな全容があらわになる。九千メートルにも及ぶ鋼と石の構造体が、赤茶けた大地を貫き、朝の太陽を淡く反射している。
この孤高の舞台で、人類はまさに天へ挑もうとしていた。翼でも、火薬のロケットでもなく、数式の精密さと、蒸気と磁力の力をもって。
発射地点がこの地に定められたのは、偶然ではなかった。かつて黒川真秀が天球の幾何を描き出した聖地――その伝説の台地に、時を超えて人々が集い、一つ一つ石を積み重ねてきたのだ。
やがて星々へ手を伸ばすその日まで、ここは「知」と「夢」が重ねられた場所であり続けた。
黒川式カタパルトは、単なる兵器などではなかった。それは大胆な者と賢者のために架けられた橋――人類を地上から火星の扉へと導くための架け橋であった。この朝、空気を震わせていたのは戦の気配ではなく、未知への跳躍を前にした心のざわめきだった。
滑走路のふもとに設けられた制御室。その奥でアリア・キサラギは、ずらりと並んだ時刻計と計器を見つめていた。その手は、巨大な使命を前にしても揺るぐことはない。
今日、彼らは赤い空へと自らを投じるのだ――征服者としてではなく、光と数式に刻まれた遺産を継ぐ者として。
アリアは静かに、まるでカタパルトそのものに語りかけるように、かつて黒川が遺した言葉を口ずさんだ。
「力は火なり。火は語らず。されど、声なき者を赤い空へ放て。」
最終点検が始まると、朝の静寂を破ったのは、磁気レールが放つかすかな唸り声だけだった。
高台の上、発射台車が朝の光を受けて静かに輝いていた。その船体は日本の鋼とパリのガラスで組み上げられ、両国の紋章が一つの夢のために並んでいる。
この日を見届けるため、世界中から集まった技師や学者たち――その誰もが声を潜め、巨大な斜面に視線を注いでいた。
アリアの胸は高鳴っていたが、その手つきには一点の曇りもなかった。磁場の圧力、蒸気槽の温度、時刻計の同期――あらゆる数値がまるで交響曲の一音のように調和し、彼女こそがその指揮者だった。
観測ギャラリーの一角では、天文学者であり記録者でもあるサミュエル・ヴォルテールが、革表紙の手帳に素早く筆を走らせていた。
「今日、黒川の夢が飛び立つのだ。」彼は抑えきれない感嘆を小声で漏らす。「我々は、星の書に新たな一章を書き加えることになる。」
カウントダウンが始まった。十、九、八――一秒ごとに、その響きはカタパルトの構造体を伝い、見守るすべての者の心を打った。蒸気弁がシューッと音を立て、磁気コイルが低く唸り、太陽の光がレールを走って稲妻の前奏曲のように煌めいた。
「三、二、一――発射!」
轟音とともにカタパルトがうなり、台車が一気に前へと押し出される。息を呑むその瞬間、地上の人々は、五人の命が混沌ではなく、悠久の星海へと静かに放たれるさまを見守った。
台車が赤く染まりゆく空へ消えていくと、場には再び沈黙が訪れた。
全世界が息をひそめ、黒川の架けた橋が本当に地球の束縛を超えたのか――その知らせを待ち続けていた。
この世界での宇宙開発話です。




