異知者記録抄:H-204《鋼の幻術士》【最終章:語られぬ設計士、語り継がれる空間】
最終章:語られぬ設計士、語り継がれる空間
(異知者記録抄:H-204《鋼の幻術士》より)
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記録日:天正十九年 弥生/記録者:如月千早
補記:真田志郎・伊藤百野/語録整理:若狭永海(黒川文庫記述係)
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◉ 冒頭の所感:「語りえぬものに、記録を」
黒川学院の文庫棟に、白紙のまま閲覧指定が封印された設計巻物がある。
誰が書いたのかも、何を描こうとしたのかもわからない。
だが、その巻物を手にした学生のうち、何人かが口を揃えて語る。
「見たことのない空間なのに、なぜか“戻ってきた”気がしたんです」
「この紙を前にすると、どうしても“自分も何かを書き足したくなる”」
その白紙の巻物には、未だ記録されていない空間が広がっている。
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◉ H-204の技術継承
真田志郎は構造工学の授業で、こう学生に問いかける。
「構造とは、設計者がすべてを決めるものか?それとも、使う者がそれを“記憶の中で完成させる”のか?」
この問いの背景には、H-204の“構文言語”がある。
H-204の構造記号は、伝統的な大工記号と詩的韻律、そして工学的寸法規格を統合したものだった。
記憶の中で再構築されるこの言語は、次第に“黒川構法”に影響を与えていった。
実際に、後世の工匠たちによって築かれた数々の建造物には、
直接H-204の名を冠さずとも、その影響が色濃く残っていた。
•寺院の天井格子に刻まれた“韻を踏む梁番号”
•貨物倉庫の荷重分散配置に用いられた“記憶計算式”
•蒸気炉工場の冷却回廊に施された“詩の順列配置”
いずれも、語られぬ設計士の“見えざる筆跡”だった。
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◉ 空間に宿る「語り」
如月千早は、かつての構文実験施設「メタ空間室」を訪れる。
そこは、構造的には何も特殊な加工のない、ただの石室である。
しかし彼女は、学生の一人にこう言われる。
「先生、この部屋…何か、詩を話してるみたいです」
「声に出さなくても、響きが…言葉の形になって浮かぶ気がする」
そこにはH-204の痕跡など存在しない。だが――空間そのものが“語っていた”。
おそらく、それこそが彼の目指した建築だったのだ。
「語られぬ者が設計し、語り継がれる空間が遺される」
それは、紙にも石にも記録されぬ、記憶という場に築かれる構造体。
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◉ 黒川真秀の最終語録
黒川真秀は、H-204の記録編纂を終える段になって、こう語った。
「人の手に道具があれば、空間は創れる。だが、人の記憶に“想い”があるなら、空間は継がれる。」
「H-204が最後に遺したのは設計図ではない。それは“空間を語る言語”であり、“語る者を育てる技術”である。」
「語られぬものを前に、それでも語ろうとする者たちがいる限り――彼の建築は、これからも世界のどこかで建てられ続けるのだろう」
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◉ 巻末:語られ継がれる“白紙の巻物”
越前学院文庫、特別保存室。
今も「無記名設計巻物」は封印されたまま、棚の最上段に安置されている。
そこには文字も線もない。だが、見る者によってその“構造”は常に異なる。
一人は「回廊の迷宮」と語り、
一人は「風を通す劇場」と語る。
一人は「祈りの天井」と答える。
そのどれもが“正しく”、どれもが“まだ書かれていない”――
それこそが、語られぬ設計士、H-204の幻術だった。
以上をもって、
異知者記録抄:H-204《鋼の幻術士》を閉じます。
語られぬ彼の建築は、記憶の中で、今日も再設計されている。




