異知者記録抄:H-204《鋼の幻術士》【第四章:設計者の不在証明】
第四章:設計者の不在証明
(異知者記録抄:H-204《鋼の幻術士》より)
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記録日:天正十九年二月十六日
記録者:如月千早(越前学院・記憶構文研究班主任)
補記:真田志郎(構造工学監修)/記録技師:槙島霜二郎
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設計者はいなかった。
――いや、正確に言えば、「H-204という設計者の痕跡が、一切記録されていない」のである。
グラウツェンブルク城の発見以降、越前学院は旧大陸各地において類似した“記憶干渉構造物”の調査を開始していた。
プロイセン東部、ライン川支流域、アルプス地下層――いずれも、地上に構造物の痕跡が存在せず、
**記憶を通じてのみ到達可能な“空間の残像”**が存在するにすぎなかった。
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◉ “記録不能構造”とは何か?
調査班はある共通点に気付く。
H-204が設計したとされる各建築は、文書にも、口伝にも、記録にも、一切残されていない。
しかし――
•そこを訪れた者は「確かに建築を体験した」と述べる。
•構造を描けと言えば、一致した図面が多数出てくる。
•しかも、それは現実の構造工学においても完全に成立している。
つまり、
“存在しなかったことになっている建築”が、
同時に“複数人の記憶にだけ残っている”という矛盾。
真田志郎は、この状態を「観測不整合性構造体」と名づけた。
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◉ 真田の観測記録(抜粋)
「我々は、建築を“目で見るもの”と信じている。
だがH-204は、“記憶にだけ宿る建築”を作った。
それも、誰かの幻想ではなく、実在と同等の構造的確かさを持って。」
「つまり、建築とは“時間の中に一度だけ現れる語り”のようなものであり、
一度でもそれを体験した者がいれば、それは“世界に存在した”ことになる。」
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◉ 記録に抗う設計者
ここで一つの奇妙な事例が挙がる。
ポーランド・ヴィエリチカにて、地下岩塩構造の中に「八角堂構造」の記憶を持つ鉱夫たちがいた。
彼らは「そこで寝た」「そこで働いた」と証言しているが、物理的には存在せず、誰も設計図を持たない。
だが、調査班が彼らに「思い出して描かせた」図面は――
H-204の構文と完全に一致していた。
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如月千早は、恐る恐る仮説を立てる。
「H-204は、現実に建てるのではなく、
“誰かに思い出させることで、構造を成立させていた”のではないか?
つまり、建築は“設計するもの”ではなく、“想起させるもの”として振る舞った――と」
そして彼女はさらに突き詰める。
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◉ 正体なき存在
•名前のない出生記録。
•年齢不詳、筆跡の変化、複数の証言で異なる人物像。
•だが、どの証言も「語られた内容」だけは、一致している。
H-204に接触したという数名の記録者の話は以下のようである:
1.「私は、彼に会ったことがない。でも、なぜか“彼と会った記憶”がある。」
2.「私の師匠はH-204だった。けれども、その名は最後に夢で聞いた。」
3.「私は“設計されていた”。あの記憶の中の部屋に。」
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これらを統合した如月千早は、学院の中間報告書にこう記した。
【H-204は“人間”ではない。】
H-204とは、構造記憶に刻まれた“仮想的設計者”である可能性がある。
我々がH-204と呼ぶその存在は、誰かが思い出すことでのみ形成され、
記憶と語りの中で、その“存在性”を保っている。
それは、もはや幻術士ではなく――存在を記述する言語そのものである。
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◉ 黒川真秀の追記:
「もしH-204が“記憶の中でしか存在しない設計者”ならば、
それは人工知能や機械設計言語を持たぬこの時代において、
最も“非物質的な工匠”だと言えるだろう。」
「だが私は思う。
H-204は転生者ではないか?
いや、“誰かの転生者であったことすら、記録されなかった者”かもしれない。」
「名前なき異知者。記録不能の構築者。
それが、H-204――設計者の不在証明に他ならない。」
次章「第五章:消失点上の幻術」にて、
この不可視の異知者がいかに“建築される者”として世界に浸透していったのか、
その痕跡を追っていきます。




