賀茂 清之助 外伝 第一話:鉄と語る少年時代
*第一話:鉄と語る少年時代
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越前の山間、賀茂谷と呼ばれる小さな集落に、ひとつの鍛冶場があった。
谷を流れる川から水を引き、ふいごの音と鉄槌の響きが絶え間なく鳴る、“火の家”。
賀茂 清之助は、その火の家の次男坊として生を受けた。
物心つく頃には、もう父の背を見ていた。
炉に火をくべるときの目。焼けた鉄を睨むように見る顔。
槌を振るう音が、なによりも心に響いた。
冬でも汗をかくその背中を見て、清之助はいつか、**“鉄と話ができる男”**になりたいと思った。
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父・賀茂源左衛門は、無口で頑固な職人だった。
話す言葉は少なく、教え方も荒っぽい。
「目で盗め」
「火を見ろ」
「鉄の音は、お前の声だ」
そんな父に、清之助は必死で喰らいついた。
幼い手で炭をくべ、炎の形を学び、鉄の冷める色で温度を見極めた。
最初に渡されたのは、小さな鉄くず。
「これで何か作ってみろ」と言われた。
清之助は一晩悩み、小さな箸置きを作った。
飾りもない、ただの鉄の塊。
だが、近所の婆様がそれを見て、
「まあ、あんたが作ったのかい。手が冷たくならんで助かるよ」
と、優しく笑った。
そのときだった。
――鉄は、人のために生きるんだ。
そう思った瞬間、清之助の中に“火”が宿った。
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兄は、早くに山仕事に出ていた。
母は病弱で、幼い清之助は鍛冶場と火床が遊び場だった。
ある日、近くの農夫が来て、「鎌が折れた」と持ち込んできた。
父は外出中で、清之助しかいなかった。
折れた鎌は使い古されていたが、刃の根元はまだ生きていた。
清之助はふいごに火をくべ、鋼を焼き、叩いた。
――カン、カン、カン……
幼いころから火と鉄に囲まれて育ち、父からはこう教えられていた。
「火は“牙”だ。気を抜けば喰われる」「鉄は“意地”だ。逃げればすぐに折れる」
火花が舞い、汗が頬を伝う。
やっと形になったころ、父が帰ってきた。
源左衛門は何も言わず、黙って鎌を手に取った。
重さを測り、刃の返りを見、仕上げの火入れをして、農夫に渡した。
農夫は「見事な鎌です」と深く頭を下げた。
父はその晩、酒を一杯だけ飲み、ぽつりと呟いた。
「あの火の色は……悪くなかった」
それだけだった。
だが、清之助は心の中で吠えるように喜んだ。
“鉄が応えてくれた”――そう思えたからだ。
「これで人が“笑う”なら、鉄を叩くのも悪くないな」と笑った。
それが、彼の職人魂の芽吹きだった。
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それから数年、村の者たちは少しずつ清之助に仕事を頼むようになった。
鎌、鍬、包丁、鍋の修理。
最初は頼りなかった少年が、いつしか「小さな職人」として認められていた。
だが、その頃――彼の心には満たされぬ何かがあった。
「同じ形の鍬をいくら作っても……何かが足りねぇ」
それは、“誰かの道具”を作る日々のなかで芽生えた“疑問”だった。
“自分の鉄”は、まだ誰にも見せていないのではないか?
村の暮らしを支えるのは大切だ。
けれど、それだけで終わってしまっていいのか――。
そんなとき、町から噂が届いた。
「朝倉が滅んだらしい。織田って奴が攻めてきて、越前も変わるぞ」
越前の山が、動き始めていた。
そしてその数か月後。
一人の男が、煙の匂いを背負って鍛冶場を訪れた。
黒川真秀――あの奇妙な“図面”を持った男だった。
この出会いが、清之助の“少年の火”を、
“未来を叩く鉄の炎”へと変えていくことになる。
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清之助がこのとき初めて知った。
鉄は、人のためだけではなく、“時代”のためにも叩けるのだと。
そして彼はこの瞬間、まだ誰も知らぬ歴史の扉の前に立っていた。
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