異知者記録抄:M-077《異語の書記》第三章:観測者たちの沈黙 副題:誰も記していない星が、そこにある
第三章:観測者たちの沈黙
副題:誰も記していない星が、そこにある
夜半、越前の観測台に沈黙が満ちていた。
リクテア班が練り上げた〈幾何文法〉と〈音律読み〉をもとに、星図補遺の観測対象が定められた。
その星は、存在しないはずだった。
いかなる記録にも、いかなる先達の星表にも記されていない、**“読み上げられることで浮上した星”**である。
如月千早が記した観測命令は、短くこうだった。
「座標記述:‘Auris-Vox’交点より南二分、回転数軌:243日。
予測光度:第六等。備考:出現時は“声のない共鳴”が起こる」
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1. 第一夜:予言の座標
観測担当の青年、芳野は、観測儀を覗いて黙り込んだ。
星表には無い。だが、そこに“明確な光点”があった。
「……あった。微光ですが、確かに、あります。
ただ、奇妙です。……目で捉えたあと、記録には残らない」
翌日、記録者が再観測すると、そこには“何も無かった”。
芳野は記録簿に、自らの観測をこう記した。
「記録されぬ星は、記憶にのみ宿る。だが、星は確かに在った」
千早は、その文を指して言った。
「――これよ。彼(M.077)のいう、“読める者にしか見えない星”。」
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2. 第二夜:記録不能の軌道
三夜目、真田志郎の設計した自動測角器が導入された。
すると今度は、星の動きが奇妙な軌跡を描いていることが明らかとなる。
「通常の惑星なら楕円軌道をとる。だが、これは違う。
幾何学的に“言語構文の語順”に従って動いている」
さらに観測されたのは、“星が一文字ずつ構文の文節に同期して瞬く”という現象だった。
芳野は言った。
「まるで……こちらの読み方に、星が反応しているようだ」
それはもはや天体ではなかった。
“返答する文法”としての存在だった。
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3. 静寂の意図
第四夜。
突如、観測装置が故障し、星は見えなくなった。
だが、その夜、第三星図寮に一通の手紙が届いた。
それは、ただ一行。
“あなたたちは、読むことに成功した。だから、沈黙せよ。”
――M.077
如月千早は、沈黙のまま便箋を閉じた。
高遠理一郎は静かに頷き、真田志郎はこう言った。
「これは我々への警告でもある。“星の構文”は、もはや自然観測の域を超えている。
もしこの読みが進めば――我々は、言葉の力で現実を“書き換える”領域に足を踏み入れることになる」
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4. 封印された観測記録
それから、リクテア班の記録は学院本庁の〈非公開文書庫〉に移された。
“存在しない星”は公式記録から削除され、
“見えた者”の記憶だけが、伝承の形で残されることとなった。
千早はその処置に異論を唱えなかった。
むしろ静かに、受け入れた。
「学問とは、知ることではなく、知ってはならぬことの境界を見極めることでもあるのよ」
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補遺:記録されなかった観測図
(封印扱い・写本図抜粋)
•星の語順に従った軌道構造:主語軌道・述語輝線・補助語群
•出現・消失に連動した五音記録:彗星状尾引きを“音符”として記録
•瞬き数と観測者の心拍変動が一致する事象(未解明)
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結語
M.077の“挑戦”は、観測者たちに一つの真理を突きつけた。
それは、“宇宙の読み方”を知る者は、宇宙を書き換える危険と隣り合わせであるという事実だった。
星は、光ではなく、言葉だった。
その沈黙は、**言語と天体が重なる場所にだけ出現する“知識の沈黙”**だったのである。
第四章「書記の残した辞書」では、M.077が遺した辞書(Lexicon)の構造解析を通じて、
“天体観測用ではない記述体系”――すなわち「概念を生成する辞典」としての機能が浮かび上がってきます。




