異知者記録抄:プロローグ:火は誰の手にあるか――“Project: Prometheus”発足前夜
未来知識を持つ者は、黒川真秀ただ一人ではない可能性がある――
その仮説のもと、各地に「未来記憶を持つ者」を探す探索隊を派遣する。
「Project: Prometheus」すなわち《異知者探索計画》が誕生である。
天正十八年の秋、越前は既に電気の光を夜に灯し、蒸気機関車が街を貫き、学舎では少年たちが電磁の原理を唱えていた。
しかしこの進歩の影に、一つの“問い”が影のように広がっていた。
「本当に、この火は――我らだけのものなのか?」
越前学院の奥。黒川研究舎の書庫地下、通称「火蔵」には、学院設立以来の密議の間がある。
その場に、技術の屋台骨を支える主柱たち――賀茂清之助、如月千早、真田志郎、そして発起人たる黒川真秀――が集っていた。
黒川は、蝋燭一本の灯火の前で静かに語り始めた。
「……我々はこれまで、異常に早い速度で技術を進めてきた。だが、今日まで私たちは、決して一つの前提を疑ってこなかった。
“未来の知識”を持つのは、この私一人である――と」
千早が目を伏せたまま口を開く。「否定はできない。貴方は数多の技術を、理由もなく記憶してきた。だが……同じように“記憶している者”が他にいたとして、私たちは、それを見抜けたか?」
真田志郎が腕を組んだ。「論理的には可能だ。貴方と同じような……あるいは異なる時間軸から来た者がいれば、どこかに“歪み”が生じる。たとえば――」
志郎は机上の封筒を叩いた。
「これだ。南蛮商人経由で伝わってきた“金属に触れずに腐蝕を抑える薬”。薬学でも鉱山学でも説明できない処方だ。
それに――本草目録に記載のない“風熱封じの粉”、解熱と血止めの両方を兼ねる……これはあまりに“効きすぎる”」
「……その処方を書いた人物に会ったのか?」
「まだ。しかし記録によれば、薩摩地方の山奥に“赤髪の薬師”が現れ、病を抑え、火薬の爆発を調整したとさえ書かれている」
沈黙が部屋に満ちた。
黒川はふぅと長く息を吐いた。
「では、仮定しよう。“私以外にも、未来を知る者がいる”。その者が正しく知を伝えた場合、我々と同じ道を歩むかもしれない。だが――」
賀茂清之助が低く言葉を継ぐ。「逆に、その知識が他国で兵器化されたら。あるいは“我らより先に火を燃やし尽くす者”がいたとしたら」
「だからだ」と黒川は座から立ち上がった。「技術を広めることと同じくらい、“知の出処”を把握しなければならない。我々は“火を継ぐ者”を増やしてきたが、今後は“火を持つ影”を探さねばならない」
如月千早が問いかける。「何のために? 支配のために? 封印のために?」
「いや」と黒川は首を横に振った。「対話のためだ」
「知は力だ。そして、力は暴発する前に“対話されなければならない”――」
彼は筆を取り、一枚の羊皮紙にラテン語でこう記した。
Project: Prometheus
“Ignis in manibus aliorum.”(火は、他者の手にもある)
それはまさしく、黒川文明の第二段階――**「異知者探索」**の始まりであった。
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その夜、越前から最初の探索任務が極秘裏に発せられた。
対象コード:F-013
通称:赤髪の薬師
遣わされたのは、一人の本草学徒――伊藤百野。
未来の知を、その手に持つかもしれぬ“誰か”と、最初に出会う者であった。
再現性のない現象はないという真理です。




