《ガリレオの語り》「力の記憶――火より来たりし者を想う」
学者さんシリーズです。
――1639年、トスカーナ大公領・アルチェトリの郊外。
晩年のガリレオ・ガリレイは、目を患いながらも、毎夕決まって弟子たちに講話を行っていた。
その日も、数人の若き学徒たちが、古びた石造りの講堂に静かに集まった。
窓辺に座す老人は、盲目ながらもなお、声に光を宿していた。
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「……私が最初に“火で動く歯車”を目にしたのは、パドヴァにて商人たちが持ち込んだ不思議な模型によってだった。
ある商人はそれを“東の船に載ってやってきた神の風車”と呼んでいた。
最初は笑ったとも。蒸気で回る? そんなものが力を持つはずがないと、私のような天文家は高をくくったのだ。
だがな――その模型を、手で触れ、耳で聴いたとき、私は理解した。
これは、“熱を見える形に変えた者の仕事”だ。
見えぬ風のように、熱は人の目を欺く。だがそれを数にし、歯車にし、回転にした者がいる。
その者の名は、“クロカワ・マホ”――そう書かれていた」
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「……最初は、その人物が生きているのか、神話かも分からなかった。
だが、幾人かの者がその“蒸気の書”をラテン語に訳し、各地で密かに学ばれていた。
私はそれらを収集し、理解しようとした。
なぜなら、その火は、私の知る物理とは別の言語で世界を語っていたからだ。
我々が落体の法則や慣性の原理を“描く”とき、クロカワはそれを“回す”。
我々が望遠鏡で星を“観る”とき、彼は星の運動を“刻む”。
すなわち――観測と構築が一体となった知識体系が、すでに東にはあったのだ」
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「それに気づいたとき、私は嫉妬した。
同時に、深く膝を折った。
私が追い求めていたのは、“神の秩序”を数学で描くことだった。
しかし彼は、“人の力”でその秩序を模倣しようとしていた。
火で夜を裂き、蒸気で海を割り、電の流れで言葉を飛ばす。
神の領域とされたそれらを、“人の器用”によって現前させたのだ。
それが、クロカワ・マホという人物だった」
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「……学生諸君よ。
私の名前は確かに“天体の法則”によって歴史に記されるだろう。
だが、もし未来が記す歴史があるならば、そこにはこう記されるべきだ。
**『この時代、世界は一度、東から目覚めさせられた』**と。
科学とは力だ。だが、力を持つには、数だけでは足りぬ。
数と、観察と、そして“造る手”が要る。
火を見よ。歯車を見よ。回れ。測れ。
そして考えよ――この世界を、我々がどう回すのかを」
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そう語り終えたガリレオは、静かに盲いた目を閉じ、掌に残された黒川製の歯車模型を撫でた。
その掌の中で、確かに火の鼓動が、静かに回っていた。
この世界線におけるガリレオ・ガリレイが、晩年に若き学生たちに自らの人生と“黒川の知”によって変化した科学観を語る場面をイメージして、書いています。




