外伝:『スエズに道を刻む者たち』10 ー決別と選択 ― ソウザ陣営の最後の動きと運命の岐路
夜が明け、スエズの空は不気味なほど静かだった。
前夜の会談を終えた黒川真秀は、智泉院分舎の書庫にこもり、ひとり新たな航路図を描いていた。
そこへ、報せが届く。
「報告です! 南側の補給路で、爆発物の痕跡を発見!」
「またか……」
清之助が歯ぎしりしながら現場に走る。 幸いにも爆発は未然に防がれ、被害はなかった。
だが――
これは、ソウザが最後の手段に打って出た証であった。
その日の午後、捕らえられた工作員の口から驚くべき証言が引き出される。
「我らは“聖船団”の一部。マルタから直接来た者もいる……この地を“清める”ために」
それは、ただの南蛮商人の報復ではなかった。 すでにこの“交易国家構想”が、欧州全体の勢力地図を脅かし始めているという証。
真秀は静かに決断を下す。
「――交渉の余地は、ここで尽きた」
その夜。 真秀は筆をとり、一通の封書を書き上げる。 宛先は、ローマ教皇庁付き外交団。そしてヴェネツィアの貿易評議会。
『貴国における一部勢力が、我が国およびオスマン連合の技術・交易施設に対し破壊工作を行っている事実を確認しました。 これはもはや貿易における競争ではなく、文明に対する破壊行為であります。 我らは寛容と対話の道を望んだ。しかし剣を向けられた今、ただちに防衛と提携強化に移行します。』
茶屋四郎次郎がその手紙を封しながら問う。
「これで、東と西は“対話”の次段階に入りますな」
「そうだ。だがこちらは“道”で答える。戦ではなく、“文明”で勝つ」
翌朝。 智泉院スエズ分舎にて、再建された機関庫と学校を囲むように、防衛用の信号塔と見張り台が完成。
その設計には、現地の少年ハーリドと千早の手も加わっていた。
「これが……僕らの“盾”なんだね」
千早はうなずいた。
「盾であり、また“門”でもあるわ。攻撃を防ぐだけじゃない、知を迎え入れる場所でもある」
そして、ある朝。 スエズ港に現れた新たな船団。
それは――ポルトガルのものではなかった。
ヴェネツィア商会の船旗を掲げた、東方貿易団だった。
港の突堤に立つ真秀は、ゆっくりと呟いた。
「これが……“選択”の結果か」
スエズに吹いた風は、かつてないほどに静かで、 それでいて――確かに、新たな時代の始まりを告げていた。




