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外伝:『スエズに道を刻む者たち』5 -阿吽の呼吸-

話は少しさかのぼって、建設機械の話をしよう。

越前・黒川家の裏山にある工房では、黒煙を上げる試験場の中心に、巨大な鉄の塊が鎮座していた。

それが、履帯式掘削機、現代で言うところのショベルカーである。《仮称 阿形一号》。 賀茂清之助が、黒川真秀の“スエズを掘れ”という無茶を形にするため、真秀が描いた絵を元に、三年の歳月と数え切れぬ失敗の果てに生み出した、戦国最強の鉄の獣である。

砂の対策を綿布絹布の多重フィルターの定期交換をすることで克服し、多少の蒸気漏れでも安全動作する。この新型の蒸気機関の開発は難航した。何度もピストンとシリンダーは砂で固まり、蒸気ボイラーは圧力に耐えられず破裂した。

しかし、今は炉の中で、きちんと石炭が燃え、蒸気を沸かし、シリンダーが唸りを上げる。

「いけっ……動け、阿形!」

清之助の掛け声と共に、ゴゴン……ギギギ……と鉄の車輪が唸る。 ゆっくりとだが、鉄の履帯がぬかるんだ土をかみしめ、前に進んだ。

「……動いた、動いたぞ!」

鉄ショベルが地面をきちんと削る。

職人たちが歓声を上げる。 だが清之助の目は次の課題に向かっていた。

「問題は……運んだ土砂をどう処理するか、だ。」

運河を掘るだけでは意味がない。出た膨大な砂と岩、それを処理しなければ“海の道”は完成しない。

「必要なのは、大量輸送手段。運河が完成したなら船でも良いが、その運河を掘るのだから、鉄道は必須。」

如月千早が図面を手に近づく。

「普通なら、鉄レールを敷き、積載車両を複数繋げることで、大量の運搬力が得られるんだけど、砂嵐ですぐにレールが埋まってしまう。その対策が必要だわ」

「運河に平行にはしる鉄道は必須だ、燃料の石炭や水も工事現場まで運ばねばならないしね。」

真秀がその会話に口を挟んだ。

「阿形は“削る力”。ならば今度は、“運ぶ力”だ。新型機関車の名は決まってる」

「名?」

「仮称、吽形うんぎょう一号。これで“阿吽”が揃う」

工房に笑いが巻き起こる中、清之助は心の奥で燃え上がるものを感じていた。

こうして、『仮称 阿形一号』と、その兄弟機となる蒸気機関車『吽形一号』の開発が始まった。

そして、土を効率よく貨車に乗せるための、螺旋式コンベアーも試行錯誤の上開発されつつある。

これらの次なる舞台は、紅海を越えた彼方――スエズの砂原であった。


ついに輸送船に積み込みの日、越前の港では異様な光景が広がっていた。

巨大な木製の輸送船の上に、まるで城の石垣を切り取って載せたように大きな箱固定されている。それは油紙で包まれた鉄の機械、箱に入った《阿形一号》である。

戦国を越えた技術が結晶した履帯式掘削機であり、これからおよそ一万キロ彼方の紅海――スエズへと向かう、壮大な旅路の幕開けであった。

阿形の隣には、未完成ながらも仮組みされた車輪付きの機関車 《吽形一号》が入った箱が。

阿形が“削る者”なら、吽形は“運ぶ者”。 鉄の阿吽は、ついにこの世に降り立ち、そして世界を渡る。

賀茂清之助は港の見張り台から、その積み込み作業を見つめていた。

用意できる船の積載量限界の重さの物体である。

「……あとは海を越えるだけだ。あの鉄の塊が、ほんとに天竺より先のエジプトまで届くのか……」

背後から声がかかった。 如月千早である。

「届けるのよ。運河を掘るのは鉄と火だけじゃない。人の意志よ」

「そうだな……だが、問題は“揺れ”だ。鉄骨はしなる、蒸気管は壊れる。途中で折れれば、全部おじゃんだな」

「だから、あなたが付いていくのよ。」

清之助は小さく笑った。


スエズ、上陸の日。

砂嵐の止んだ夕刻、港には異形の影が姿を現した。

轟音とともに船腹が開き、鎖が軋み、台車が地面に降りる。

「ゆっくり……引けぇ!」

現地雇用の荷役たちの掛け声とともに、阿形一号がスエズの砂上へと降り立った。

その姿は、まるで“鉄の神獣”のようだった。

熱砂の大地に、重さ十余トンの鉄の塊が接地した瞬間、港にいた者たちの間にどよめきが走った。

「ナニコレ……戦うの? 城なの?」

「……ちがう。あれは、“道を掘る獣”だ」

静かに答えたのは、エジプト語を解する羅門昌次郎だった。


越前で生まれたこの鉄の獣は、いま異国の大地で目を覚まさんとしている。

賀茂清之助は額の汗をぬぐいながら、機体の周囲を一周し、最終点検を終えた。

「シリンダー良し、圧力計反応良好。バルブに砂詰まりなし……よし、いける」

如月千早が測量図を広げ、掘削予定線を地面に描き出す。

「ここから東北東に、古スエズ運河の痕跡がある。最初の試掘は三尺まで。一気に深く掘ると崩れるわ」

「了解。そこまで自走するんだな。」

真秀はその線をじっと見つめながら呟いた。

「ここからすべてが始まる……。今までの戦は国を奪うための戦だった。でもこれは違う。道を通す、“交易のための戦”だ」

清之助が機体に乗り込み、火床に炭をくべる。

ゴッ、ゴッ、とふいごの音が響き、石炭に火が移る。

ボイラーに注がれた水が沸き始め、蒸気圧が計器の針を振らせた。

「……準備、完了!」

「動け……鉄の咆哮!!」

その瞬間、《阿形一号》が轟音を上げて唸った。

ギュギュギュギュ……ギャァァァン……!!

鉄の履帯が、スエズの砂を噛みしめながら回転する。

アームが上下し、初めての掘削地点にゆっくりと押し当てられる。

キィィィィィ……!

鋼の爪が砂と岩盤を削り取り、最初の砂が宙を舞った。

「掘れぇぇええええええええ!!!」

清之助の怒声が響く。

掘削機は一気に砂を巻き上げ、排出バルブからは熱気を含んだ煙が吹き出す。

「よし!いけるぞ」

数秒後、吽形一号――蒸気機関車型の運搬機が起動。

「荷台、接続! 排出開始!」

掘り出された砂がらせん式コンベアを伝わって、吽形の後部車両へと投げ込まれ、清之助の部下の職人たちが怒涛のように動く。

現地人の労働者たちは、その光景に言葉を失っていた。

「……砂が……こんな速さで……」

「これは……人が作った、神の手か」

羅門昌次郎がその様子を記録しながら呟く。

「交易国家とは、剣ではなく道で国を動かす者のこと……今ここに、証がある」

真秀は目を細め、太陽に照らされた掘削線を見つめていた。

その線は、かつて消えた古代運河の跡とぴたりと重なっていた。

かつての王たちが、夢見て果たせなかった「海の道」。

戦乱ではなく、科学と意志で刻まれるその道は――

静かに、そして確かに、未来を貫いていた。

スエズ運河の計画の、試しの掘削は成功した。

いよいよである、大臣や首長を招いて始める起工式まで、あと10日。

何台もの《阿形一号》が日本から届けられ、工事が始まるのである。


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