外伝:『スエズに道を刻む者たち』3 -電波は世界をつなぐ-
天正十六年・紅海南岸、仮設観測基地“光の眼(アイ・アン=ヌール)”にて、
「……ついに、繋がったぞ」
賀茂清之助の声に、居並ぶ工学団員が一斉に息を呑んだ。
仮設無線塔のアンテナが、しずかに紅海の海風に揺れていた。
鉄骨の上から地上に向けて斜めに張られた銅線、発電機から
伸びた電線が砂の地面を這っている。
ようやく短波を送受信できるようになった、3極真空管を使った通信機である。
如月千早が、手元の受話器に耳を寄せた。
フェージング現象に多少の周波数がふらついているみたいだが、
他に電波を発信する者もない時代、混信はない。
14メガサイクル(14メガヘルツ)の電波は地球を約半周している。
微調整をきちんとすると、繰り返し送信されてくる。
「ツ-トツ-ツ-ツ- トトツ-ト トツ-ツ-ツ-ト トト トツ-トツ-ト ――」
変調された、A2波のモールス信号でが聞こえてきた。「えちぜん」の連続である。
A1波でも良いが雷の空電でも電波は生じるので、区別がつくA2なのだ。
将来は無線電話も出来そうだと彼女は思った。
こちらからも同一波長で「すえず 」を連続で送る。
「ツ-ツ-ツ-トツ- ツ-トツ-ツ-ツ- ツ-ツ-ツ-トツ- トト ツ-ツ-ツ-トツ- ツ-トツ-ツ-ツ- ツ-ツ-ツ-トツ- トト ――」
越前の無線機の前でこの紅海基地からのでの電波が届いて、喜んでいる姿が思い浮かぶ。
しばらくすると受信音が変わった。
「ツーツーツートツー ツートツーツーツー ツーツーツートツー トト ツーツーツート トトトツー ツーツート ツーツー トトツー ツート トト トツー トツー トツーツート ツートト トトツーツート トトツー ツーツートツート トト ツートトツーツー ツーツートツート トツートツート トツーツーツート トツー ツーツーツーツー トトツー ツート トツー ツーツート トトトツー ツーツーツー トツートツート トトト トトトツー トツーツーツート トツートツート ツーツートツート ツートツーツー トツートツート トツートト トツートツート ツーツート ツーツー トトツー 」
「すえず そくりよう だい いつぽう じゆしん せいこう たいりく れんらくせん しけん かんりよう」
彼女は素早く通信紙に記して、読み上げた。
「越前黒川館より入電。『スエズ測量第一報、受信成功。大陸連絡線、試験完了』」
清之助が深く頷き、周囲がどよめいた。
「これで……我々は、距離に縛られない。海底電線がなくとも、電波がつなげてくれる」
黒川艦隊開発局が試作していたこの短波式無線通信機――地球の電離層を反射板とする無線電信機。
長崎で試験され、京都で改良され、いまスエズで初の実戦運用に至ったのだ。
「真秀様の言うとおり、この地球には、電波を反射する電離層という物があるのよ。
地球が丸くて、電波が真っ直ぐ飛ぶと宇宙に散ってしまうのだけど、この短波の電波は、
空の彼方と海で跳ね返って届くのよ。」
千早の声には、喜びと誇りが混じっていた。
数日後、カイロ郊外・サラディン宮殿では、スエズ復活計画に対する最初の本格協議が、オスマン帝国エジプト総督府にて行われていた。
そこに集ったのは――
オスマン帝国からはは、 イブラヒム・ナーディル地中海局官房長。イスラム指導者 シーク・マグディ師。そして、日本側代表は、工事責任者の茶屋四郎次郎、外交統括官の羅門昌次郎と技術顧問団団長 賀茂清之助。そして、黒川真秀の特使として現地入りした 如月千早。
イブラヒムが日本側が用意した、中東全体のなぜか正確な地図を示し、険しい声で告げる。
「貴殿らはこのスエズに運河を掘るという。維持管理も大変であろう、砂嵐がすぐに埋めると思うだが。運河は、我らの土地を分断する堀であり、軍船が通る道にもなる。十字軍の例もある。また、完成すると中継貿易でのわれわれの益がなくなるのでは。」
清之助が静かに立ち、暫定の測量図を差し出した。
「ご覧ください。ここ――湿地帯の下に、古い堆積層があります。これを通せば、水量を保ちつつ、良い深度・幅で、運用が可能です。
また、これはヨーロッパが『攻め込む運河』ではなく、アジアから物資を『運ぶための水路』なのです。十字軍の件はわれわれも知っております。私たちは、平和裏に行いたいのです。
もちろん今までの隊商のことは存じています。交易益がなくなるというのなら、もちろん通る船舶から、利用税を取ってください。心配なら積み荷の検査の権利も行って下さい。
もちろん道が寸断されて困るところには、橋を架けましょう。」
ナーディルは眉をひそめる。
「だが、なぜ我々ではなく、そこまで貴国がこれを主導するのだ?」
今度は羅門が応えた。
「主導はいたしません。我々はファラオの水路の復活の提案者にすぎません。もちろん決定権は、御国とアラブ部族、さらにこの地に住む者の手に――我らはそのための道具と知恵を持ち寄ったのです。」
沈黙。
そのとき、後方で口を開いたのは、厳しい目をしたアラブの聖職者・シーク・マグディだった。
「……信仰に背かぬのか....」
「地中海と紅海をつなぐことは、神に抗う所業にはならぬか?」
千早が静かに応じた。
「昔のファラオが何千年にも渡って維持した事が分かっています。失われた水路なのです。私も信仰があればこそ、私はこの『新たな道』を求めたくなります。神が与えた地を分かち合わせてほしい、この道を通じて恵みを広げたい。私たちがこれで目指すのは、そういった世界の人と人とを結びつける、距離を縮めることなのです。」
マグディの目が細められる。
「ならば、見せてみよ。貴殿らの『知恵』と『誠意』とやらを。そしてその運河が『戦の道』でないという証しを」
聖職者がそう述べたことで、スエズ運河の復活が決定した。
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翌日より、黒川測量隊は正式にスエズ地峡での観測に入った。
炎熱の砂嵐、サソリと熱病、局地的な抗議。
だが、千早は電信で日本から『漢方処方』と『抗熱消毒液の調合法』を取り寄せ、清之助は現地の少年隊に測量術を伝授し、地元協力者を増やした。
そして、紅海側からは、工事運搬用の鉄道建設も始まった。
エジプトの港には各国の船が続々と現れた。十字軍ではない使者である。スペインやポルトガルを始め、ローマ、ギリシア、イギリス、フランス。ヨーロッパ中の国が聞きつけてきたのだ。
イギリスよりは「蒸気技術の視察団」がやってきて、フランスからは「地中海連絡航路構想の打診」があった。
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その夜、日本の越前・黒川館・電信所では――
「・・・・・・ツーツーツートツー トツー ツートトツート トツートツート ツーツーツーツー トトツー ツーツーツート トトツー ツーツートツート トツートツート ツーツーツーツー トトツー トトツート トトツー 」
短波が届いた。
【入電】スエズ測量成功/協定予備文草案整う/水門構想、進行中
【署名】カモ・キヨノスケ、キサラギ・チハヤ
読み終えた技術補佐官は、深く息を吐いて呟いた。
「海を越え、この電波まで使って……いよいよ、日本は『世界』をつなぐのか」
星降る夜、日本とアフリカの間を越えて、言葉が、技術が、信念が、距離をものともせず、世界を結びつつあった。
(つづく)
黒川真秀が知っている通信技術が登場します。電球が出来たら、真空管が可能になります。
半導体技術は無くとも、いろいろな回路が組めますから、発展が楽しみですね。
14メガヘルツの短波はアマチュア無線で世界中と交信できる便利な帯域です。




