外伝:『スエズに道を刻む者たち』1
【プロローグ】
「――スエズに運河があったらなあ」
黒川真秀の、何気ないそのひとことが、歴史を動かした。
越前・黒川屋敷、秋雨に煙る回廊にて。
灯りの落ちた書庫に、地図を広げた一人の男がいた。黒川真秀。
かつて神谷優斗と呼ばれた彼は、今、過去と未来の地図の狭間にいた。
指先でなぞるのは、ユーラシア大陸。
南端の、ナイル川の横腹に――なにかが、空いている。
「……ここに、運河があればな」
ぽつりと、独り言のように呟いた。
脇で巻物を整理していた如月千早が振り返る。
「スエズ……紅海と地中海の境ね。もし運河があれば、東南アジアから地中海への航路が、ぐっと短縮されるわ」
「そう。アフリカ南端を回る必要もなくなる。琉球、マラッカ、アデン……そしてエジプト経由でローマやヴェネツィアへ、一直線に日本の商品が届く」
「けれど――そこには、砂漠があるわ。風と乾きと……幾重もの国境が」
千早が視線を落とす。
「だからさ」
真秀は笑った。
「掘っちゃえばいいんだよ、“運河”を」
その言葉に、部屋の奥でうたた寝していた賀茂清之助が、寝起きで目をこすりながら反応した。
「……はあ? 今なんつった、殿」
「スエズを掘る。オスマン帝国と交渉して、あの砂漠に“道”を刻む。商隊が渡るんじゃない、船を通すんだ」
清之助はしばらく黙っていた。
そしてふと、脇に立てかけていた自作の設計図――
「蒸気駆動履帯式掘削機《阿形一号》」
を思い出した。
「……おい、殿。それってつまり――」
「うん。『動け、ブルドーザー』だよ」
「上等じゃねえか……俺の鉄の化け物、ついに砂漠で吠えさせてやれるってわけだ」
清之助は笑った。
戦国の男たちが、戦のためでなく、運河を掘るために鉄と火を使う時代が来たのだと。
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【その夜、もう一つの発見】
如月千早は、別の巻物をそっと広げていた。
それはアレクサンドリアの古地図を写したもので、学術使節から持ち帰った一冊。
「……これ、見て」
真秀は覗き込む。
「ここ、“パイソニア運河”と書いてあるわ。紀元前、ファラオやプトレマイオス王が、紅海からナイル川に至る運河を造った記録があるの」
「……なんだと?」
「中世に埋まって、忘れられたけど、『スエズ運河』はもともと再建いた。
「つまり、俺たちはただ未来を作るんじゃない――過去の夢を、掘り起こすんだ」
真秀はそう言って、ひとつ深く頷いた。
•阿形一号:賀茂清之助が開発する、試作履帯式蒸気掘削機。通称:戦国ブルドーザー。
•パイソニア運河(Canal of the Pharaohs):紀元前に存在した実在の運河。後に埋没し、ナポレオン遠征などでも言及されている。




