第四章 第十一話 『煙を越えて――会議と尋問、そして未来』
【 天正十五年八月下旬・近江国・長浜蒸気車駅】
汽笛が轟き、熱気と石炭の燃えるにおいが漂う駅に、黒川艦隊使節団の一行が降り立った。
鋼鉄の機関車――“黒川式蒸気機関車・飛龍一号”が、琵琶湖沿岸から東海道を縦断して京都へ向かう。
かつての徒歩なら十日はかかった道のりも、いまや半日あまりで踏破される。
その車中、真秀をはじめとする通商産業院の重臣たちは、すでに次なる戦略をめぐる会議を始めていた。
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【車中会議・第一幕:帰還報告と国内影響】
列車の特別車両。中央に設けられた円卓の上には、ルソン条約の写し、鹵獲品目一覧、新たな海図が並ぶ。
真秀は椅子から立ち、窓の外の稲穂を眺めながら口を開いた。
「――今回の戦役、その本質は、われわれの技術と情報が戦争を終わらせた、という点にある」
間宮時継が応じる。
「まさしく。火焔艦に先んじて対処できたのも、羅門殿の通信と千早殿の電信機があってこそ」
如月千早が眼鏡を押し上げ、手元の新規通信網計画図を広げる。
「京都~長崎間に、地上線を通せば、南蛮艦の出没も即座に確実に伝達できます。次なる構想は、“海底電線”――琉球、さらには大陸との通信を視野に」
「地中ではなく、海中……?どれだけの長さの電線が要るんだ。」
清之助が半ば呆れ顔で言う。
「また、ぶっ飛んでるな」
だが、真秀はにこりと笑った。
「それを“無謀”と言わないのが、黒川家のやり方だよ。とりあえずは、電線を引かずに伝える無線通信だな。」
「ええ」
九鬼嘉隆が肘をつきながらぼそりと呟く。
「とはいえ、この勝利に浮かれてばかりでは済まぬ。近隣の大名どもが、これをどう見るか……」
「情報はすでに各地に伝播しています」
羅門昌次郎が、情報網の図と“京の瓦版”を示した。
『鉄の龍、南蛮艦を呑む』『火焔艦を砕いた雷光』『黒川殿、世界の船路を制す』
「……敵より怖いのは、味方の嫉妬、ですな」
と、誰ともなく呟かれた言葉に、全員の頬が引き締まる。
真秀は、それを遮るように宣言した。
「ゆえに、『言葉』を持って臨む。鉄は誇るにあらず、開くための鍵であると――。それを、次の場で示そう」
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【京都・通商産業院・評定の間】
京都、黒川直轄の行政機関「通商産業院」。
ここに、全国の技術、流通、外交担当者が集まり、『黒川家からの“報告と方針通達』がなされた。
大広間の正面に立った真秀は、まず一礼し、堂々と述べる。
「我が通産艦隊、通商航路保全のためルソンに出航、マニラにて南蛮連合艦隊と交戦。これを打ち破り、通商条約を締結した」
その言葉に、ざわめきが走る。
「これは征服ではない、調略でもない。知識と技術による、初の『海外外交勝利』である」
後方では、他大名から派遣された使者たちが低く囁き合う。
「黒川、ついに海外にも手を伸ばすのか……」
「しかも火薬を抜きにして、条約まで……」
千早が席を立ち、補足する。
「本件に伴い、琉球、マカオ、インド・ゴアへの通信計画が進行中です。次なる目標は『通商の地図を塗り替える』こと――武力にあらず、情報と信義にて」
驚きと、微かな畏怖が漂う中、真秀は最後に言う。
「我らは『技術の帝国』ではない。『真の文化国』を目指す。そのための力を、我らは鉄で鍛え、言葉で磨くのだ――」
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【黒龍艦内・尋問室】
一方その頃、旗艦・黒龍では、捕虜となった南蛮士官数名への『外交尋問』が秘密裏に進められていた。
今宵は、ポルトガル人艦長マヌエル・デ・シルヴァへの尋問が行われていた。
部屋には厚い絨毯が敷かれ、障子と硝子が併用された不思議な室内。
壁には火縄銃、そして不釣り合いなほど近代的な『天体図』が掲げられていた。
ポルトガル語で尋問に当たるのは、黒川家密偵・外交翻訳官の羅門昌次郎。
口元には柔らかな笑み、だが眼光は一切の油断を許さぬ。
「マヌエル殿、もう一度お尋ねします。“火焔艦”という選択が、正義だと、貴殿は本気で信じておられたのか?」
マヌエルは深く鼻を鳴らした。
「当然だ。我らが信じる神は、剣と火で異教を裁いてきた。そちらが異端であろうと、貴族であろうと、変わりはしない」
「……『異端』と申されましたか、神の意志が人に分かるのでしょうか?」
羅門は、一枚の紙を机に広げた。それは黒川艦隊の全構成――各艦の出自、目的、職員名簿――とともに、搭載兵器ではなく、『教育、通商、連絡』と記された装備の一覧だった。
「この艦には、誰も他の宗教・『十字架』を否定する者は乗っておりませぬ。ただ、我らは『商い』のために航路を作り、『話し合い』のために火を抑えようとした。それでも、あなた方は火を放った」
マヌエルの瞳が揺れる。だが、言葉にはせず、ただ唇を引き結ぶ。
「我らにとって、船は神の使い。そして戦とは、『信仰を守る最終の手段』だ。……そう教えられてきた」
「では、我らの『言葉で戦を止めた結果』も、貴方の神の御心でしょうか?」
沈黙。マヌエルは、そっと机上の『蒸気炉模型の図面』に目をやった。
「……君たちが、なぜそれほどの船を作れるのか、分からん」
「答えは簡単です。我らは……作ろうとし、自然法則が許しただけ」
その返答に、マヌエルは驚いたように目を見開いた。
「作ろうと……?」
「はい。神の助けではなく、人の手と知恵と意志で。この世の法則を見つけ、何十人、何百人の努力で、それだけです」
しばし沈黙したのち、マヌエルは目を伏せた。
「それが……貴殿らの『神』なのかもしれんな。知恵と意志の神。……異様ではあるが、恐ろしいほどに静かだ」
羅門は、そっと火鉢に手をかざしながら呟いた。
「恐れる必要はありません。ただし、見誤れば……焼けるのは世界の方です」
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評定が終わり、星がまたたく夜。真秀は庭の縁に座し、灯明のもとで千早と語らっていた。
「これから先、我らが進む航路は“海の外”だけではない。心の中、国の中――未知はあらゆる場所に広がっている」
千早が笑う。
「まるで、内政も航海だと?」
「そうさ。舵を握る手が揺らげば、船は沈む。たとえそれが『国』であってもな」
彼らの背後には、整備中の次の艦船の図面が広げられていた。
その名は――「瑞鶴」。
未来の航路を越えて、さらに『世界の海』へ踏み出すことになる艦である。




