第四章 第七話「天皇の権威と黒川家の立場」
天正十年(1582年)秋
本能寺の変を経て、清須会議が終了し、織田家は名目上存続したものの、実権は羽柴秀吉に移りつつあった。黒川家は、戦国の覇権争いには関与せず、商業国家として独立を保つという戦略を取った。
しかし、政治権力に頼らずに独立を維持するためには、黒川家の正統性を確立する必要があった。
そのために、黒川真秀は次の一手として「天皇の権威を利用し、商業国家としての公式な地位を獲得する」という策を打ち出した。
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【朝廷との交渉】
黒川家は、長年にわたり朝廷に多額の献金を続けてきた。
朝倉氏の後を継いで正四位越前守にもなっていた。
そのため、宮中にも影響力を持つ大名家として一定の信用を得ていた。
戦国時代において朝廷の力は衰え、大名たちの庇護なしには成り立たなくなっていた。
「朝廷に対して、黒川家を正式な『貿易統括機関』として認可させる。」
黒川真秀は、これによって黒川家が単なる商人集団ではなく、公的な立場を持つことを狙った。
京都の御所にて、黒川家の代表として、京都へ派遣されたのは側近の間宮時継だった。
間宮は元朝廷の公家と繋がりがあり、宮中の政治に通じていた。
「関白・近衛前久公へ、黒川家より献上の品をお届けいたします。」
黒川家からの献上品には、明国や東南アジアからの珍品が含まれていた。
黒漆塗りの唐櫃に詰められた象牙細工、香木、南蛮渡来の絹織物が、御所の奥深くへと運び込まれた。
「黒川家が、日本の交易を統括する立場として認可されれば、朝廷にも安定した財源が確保されることでしょう。」
間宮は、慎重に交渉を進めた。黒川家が公認されることで、天皇の財政も安定するという提案は、朝廷側にとっても魅力的なものであった。
「関白殿、黒川家は朝廷の庇護を求めるのではなく、朝廷に対して貢献する立場でありたいのです。」
間宮の言葉に、近衛前久はしばらく考え込んだ後、静かに頷いた。
「面白い話だ。だが、この件には慎重を期する必要がある。」
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【天皇家の正式認可】
交渉の結果、朝廷は黒川真秀を従三位通産卿として通商産業院の長官に任じた。朝廷直属の商業貿易管理機関の誕生である。
この称号は、昭和期の通産省の様な機関を念頭に考えられた名称である。
さらに、朝廷は黒川家に対し、新たに作る外務省において、外務卿の補佐として、国益に関わる外国との交渉を行う権限をも与える勅許も下した。
黒川家は、戦国大名ではなく、内外の貿易を通じて国家に貢献する特別な立場を手に入れたのだった。
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黒川家の動きは、すぐに西日本の大名たちにも伝わった。
特に、瀬戸内の海運を掌握する毛利家と、琉球・東南アジア交易を担う島津家にとって、これは見逃せない話だった。
「黒川家が朝廷の名の下に貿易を統括するならば、我々も共に動くべきかもしれぬ。」
毛利輝元は、黒川家と同盟を結ぶことを決意する。
これにより、瀬戸内海の航路は完全に黒川家と毛利家の支配下に置かれた。
一方、島津家もまた黒川家と交渉を行い、琉球経由の南方貿易の拡大を約束する。
これにより、黒川家は戦国大名たちと異なる「経済同盟」によって影響力を広げることに成功した。
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【羽柴秀吉の反応】
この黒川家の動きを知った秀吉は、すぐに使者を送った。
「黒川殿、貴殿が朝廷の公認を得たことは承知しておる。しかし、日本の商業は、天下人たるこの秀吉が掌握せねばならぬ。」
秀吉は、黒川家を利用しようとする一方で、完全に独立することは許さない姿勢を見せた。
しかし、黒川真秀は冷静に対応した。
「秀吉様、通商産業院はあくまでも朝廷の機関でございます。黒川はその長官。大名の支配を受ける立場ではございません。逆に大名を指示指導する所であります。私としては、秀吉様が早く太政大臣におなり下さると助かります。」
秀吉はこの言葉を聞き、不敵に笑った。
「そうじゃのう、よい、よい。そなたの力は、儂の天下にも必要だ。わしは源氏ではないので、将軍にはなれんからなあ。太政大臣就任には、力添えを頼む」
「承知しました」
こうして、黒川家は秀吉に従属するのではなく、独立した商業機関としての立場を確立することに成功した。
黒川家の政策により、日本の経済産業構造は戦国時代の終焉を迎えると同時に、大きく変化していった。
黒川家は、もはや戦国の一大名ではなく、日本全体の産業や商業を支配する存在へと進化しつつあった。
次は 第四章 第八話「南蛮貿易の独占と新たな秩序」




