賀茂 清之助 外伝 第五話:夢に火を灯す者
*第五話:夢に火を灯す者
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それは晩秋の夜だった。
鳳雛庵の中庭に落ち葉が舞い、どこか遠くで鹿が鳴く声が聞こえた。
越前の山々が眠りにつこうとするこの季節、
ただ一つだけ、眠ることを知らぬ場所があった。
黒川工房――火を絶やさぬ者たちの砦。
そこでは、ふいごの音も槌の音も止み、
中央の台に置かれた一機の奇妙な物体を、皆が黙って見つめていた。
鋳鉄の塊、銅製の配管、軸と歯車、そして――水と石炭。
《第二世代・蒸気機関》の完成試作機だった。
賀茂 清之助は、火床のそばにしゃがみ込んでいた。
目の前の火は、もう何度目になるか分からぬほどの「夢の火」。
火に背を向けていたのは、主君にして同志――黒川真秀である。
真秀はいつものように飄々としていたが、その手には何枚もの設計図と計算書があり、
千早の書き記した測定値に、微かに赤鉛筆で印を入れていた。
清之助がそっと声をかけた。
「……火、入れますか?」
真秀は図面から顔を上げ、にこりと笑った。
「頼む。今夜こそ“未来”が湯を沸かすと信じよう」
炉に石炭がくべられ、火は轟々と唸り始めた。
水槽に水が注がれ、圧力計がわずかに跳ねる。
周囲に集まっていた鳳雛庵の学生たち、工房の職人、
村の庄屋や子どもたち――
誰もが口を噤み、固唾を呑んだ。
やがて、汽笛のような甲高い音が、静寂を破った。
「――ッ!」
圧力限界に達したのだ。
真秀が小さく頷いた。
「弁を開けてくれ、清之助。今度こそ、走る」
清之助の手が、レバーを引いた――
その瞬間、鉄の塊が、唸りを上げて回転を始めた。
ぎいぃいん――がたがたがた――
軸が回る。歯車が噛む。
ピストンが動き、動力が伝わる。
鉄が“生きた”のだ。
学生の一人が思わず歓声を上げた。
「ま、回った……!回りましたぁっ!」
歓声と拍手、歓喜のざわめきが鳴り響くなか、
清之助は一歩、機関に近づき、そっと手を当てた。
熱い。振動している。
だが、何よりも――この機械は、未来の心臓だと感じた。
背後で、真秀がぼそりと呟く。
「ようやく……第一歩ですね。これが“人の力”を超える“文明の歯車”。
これで……道を繋げる。港も、鉱山も、学校も――」
清之助は、その言葉を背に受け、静かに言った。
「……俺には難しいことは分かんねぇ。
だが、確かにこれは、“鉄が動いた”んじゃねぇ。
“夢が動いた”んだ。あんたの、そして俺のな」
真秀は目を細め、うんと頷いた。
「ありがとう、清之助。君が叩いた一槌一槌が、
この国の地図を、百年早めた」
風が吹いた。
機関の蒸気が夜空へ昇ってゆく。
それは、かつての鍛冶屋の子が叩き続けた鉄の夢が、
ついに“空に届いた”ことを告げる白い旗だった。
その夜、清之助は誰よりも遅くまで工房に残っていた。
炎が落ち着き、誰もいなくなった静かな炉の前。
火を見つめながら、清之助は一人、呟いた。
「鉄よ……ようやく、お前も“話せるよう”になったな。
これからも、俺と一緒に“夢を語って”くれよ」
そして、ふいごの音がまた始まった。
この国がまだ知らぬ未来を――
鍛冶屋の火が、今夜も灯していた。
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