寺子屋
徐々に前世での知識を発揮する耕助、三保からの帰りに井川村の店で干物が思った以上に高値で売れノミとげんのうを金物屋で買っても父親の手元には100文程の銭が残った。
塩も充分ある、干物も沢山ある、そして何より知恵袋の息子の耕助がいる、父親の耕太はまだ30手前の働き盛りであり全てはこれからだと言う夢を描いての帰路となった。
息子の耕助は帰路での思案として前世の知識はあくまでも科学の発達した時代の知識でありこの戦国時代で如何に利用出来る物を作る難しさを実感していた、田を作る事、家を増築する事は人力でなんとか出来るが純朴な父親が知らない知識を何度も披露する訳には行かないであろう、どこでいろいろな知識を得たのかと言う疑問がやがて大事に発展するかも知れないと危惧していた。
「父上! お願げぇーがあるんだが?」
「おっ、なんの事だ!!」
「時々でいいから村の寺に行きたいんだが拙いか?」
「寺に行ってどうするんだ?」
「字を習いてぇーんだ、文字を読書き出来るようになりてぇーんだ!!」
「ほう~? う~でも百姓なら読書き出来なくても困らんぞ!! どうして読書きがしてぇーんだ?」
「さっき店で干物を売った時父上は喜んでいたけど、あの店主買取った干物で一儲けする気だった、父上と私が苦労して持って来た干物を買い取って売った金額の倍以上儲ける気だ、金額を渋っている様子だったけど父上が見ていない時笑っていただ、買取ってくれたけどなんも苦労してねぇー店主は買取った金額の倍以上で売れると見込んでいただよ!!」
「何!あの野郎調子のいい事言って高値で買い取ったと恩をきせてたけど、そったら魂胆があったかー、儂は沢山の銭に目が眩んでた、耕助は騙されねぇーように文字を読めるようにしてぇーって事か?」
「文字を読書き出来れば幾らで売って幾らで買ったとか解る、三保のお頭と父上に誼が出来た事で毎年一度や二度は干し肉持って行ける、これまでは干し肉も井川村の店で売っていたけど、干物と交換した方がよっぽど家の為になる、俺も弟もこれから大きく成る、何れ結婚したらもう一棟家を増やさねば寝床が足りねぇー、騙されるのはごめんだ、折角父上が苦労して上を目指しているのに関係ねぇー者に横取りされるのは我慢がならねぇー、だから読書きは大切なんだ!!」
「そこまで言うなら・・野良仕事が落ち着いた時に行って見るがえぇー、どうせなら学んだことを弟にもお前が教えろ、読書きが出来る者が二人いてもいいたべさ!!」
「うん、父上ありがとう、俺なりにいろいろ頑張って見る」
「それにしても海の者と繋がってよかったなあー、お前の教えた方法で魚が沢山とれればいいけどなあー、次回行くのが楽しみだ、稲刈りが終わって手が少し空くからその頃もう一度行くか、山に行けば鹿も猪も沢山いる、ちょっと力いれるべ!!」
耕助はこの時代の文字に付いて略された略字がつながって書かれている文章を読書き出来るようにするには前世での知識では無理だと判断していた、一文字一文字は解るが略された文字で書かれた文を読むには慣れ親しんでいないと無理であろうと理解していた、文字を知った事で前世の知識を徐々に披露し生活を便利に行くのであれば疑われずに済むであろうとの意味もあり寺に通う事の了解を得た耕助であった。
この時代の寺という存在は檀家制度が整っていない時代であり小さい寺では坊主そのものが信者の家での法要や托鉢業を行わないと食べては行けない厳しい時代と言えた、山村にある寺などは特に貧困と言えたと言って良い。
── 寺子屋 ──
月日の流れは緩やかに見えても刻は過ぎていく、寺に10日に一度の割合で通い始めて2年の歳月が過ぎていた、その間に新しい新田も完成し耕助一家は田が二枚に成った、現在は当初増築予定だった家の隣に増築では無く新しい家づくりの為に木の切り出しを行い樹皮を取り乾燥させていた、年が明けて新田への田植えと家を一棟の新築建築が始まる予定であった。
何故家を一棟建築するのか? それは耕助が三保の漁師頭であった良三の娘、華との婚約が正式となり、華が『お月様《初潮》』を迎えた後に嫁として迎える事に成ったからである、お月様とは三保の地域独特の呼び名であり『三保の松原羽衣伝説』由来の地としての別称、お月様を迎えた事で良三の娘、華は大人として嫁入り出来る資格を得る事に、それともう一つ耕助なりの理由が存在した、家が2軒になる事で色々と試して見たい事がありそれを行うには大勢の家族の中では無理であり、父親を説得し横に新しい家を建築する事に成った。
「これは便利な物をこさえたのう!! 耕助が考えたのか?」
「はい住職様!! 柿の皮をむくのに難儀している様子でしたので、これをと思いお持ちしました、それであれば難なく皮むきが出来るかと!」
「これは良いご褒美を頂いた、柿を毎年干しているが、ここには儂と小僧が二人じゃ、皮むきは刃物を使うので200個程しか作れん半分以上は食べずに腐らせてしまう、これならもう百個は作れる、いや小僧達にやらせる事が出来る、これは本当に優れた逸品と言える!」
「住職様! まだ柿がなりませぬあそこの若木を頂けませぬか?」
「あれか、構わぬが若木と言っても背丈以上大きいぞ、きっと来年には実がなる木だぞ!! どうやって運ぶのじゃ!!」
「大丈夫です、家に荷を運ぶ一輪車がありますので、私でも運べます、根を掘るほうが大変です!!」
「一輪車?」
「車輪の付いた荷車です」
「ほう~それば便利だのう、どこで手に入れたのじゃ!!」
「私が作りました」
「ほう、それはまた、この皮剥き機といい、色々と工夫しておるのであるな、山間の隘路が多い地じゃ、背負子だけでは限りがある、本当なら馬があれば良いのだが、下々の者には手が届かぬ、その一輪車なる物で運ぶが良い!!」
「ありがとうございます、では次回の時に若木を頂きに来ます!!」
「いやいやこちらこそ良い物を貰ろうた!!」
耕助が住職に差し上げた物は現代のピーラーである、誰でも簡単に皮剥きが出来る100円ショップで売っている物と言えた、ピーラーの刃を鍛冶師に制作してもらい後は木にはめ込んだだけのピーラーであったが、この時代にはそんな便利な物は無かった、戦国時代であれば画期的な発明品と言える。
住職から頂く予定の若木はもちろん柿の木であった、同じく干柿にして楽しむ予定である、この時代に最下層の者達に甘味は木の実から得るしか方法が無かった、砂糖など手に入らぬ物と言えた。
耕助達の家は米の収穫が田が二枚になった事で一気に増える事に、集落の顔役より村長に田が一枚増えた事を伝え、村長からは二年目から年貢を倍の米6俵を供出するようにと顔役から言付かり初年度のみ新しい田の年貢は免除になった、新田での年貢免除が3~5年となるのは江戸時代になってからであり人口増に伴い新田開発を奨励する政策となる。
※余談だか戦国時代が混迷の度を深めていく度に6公4民、時には7公3民となる地域も続出していく、作っても作っても年貢として取られるだけとなり、疲弊する百姓達が村長の指示のもとで隠し田という、村人達の共有の隠し財産が作られる、隠れた田を公に報告をしない新田が百姓の世界で誕生していく、戦国時代が終わると江戸幕府はその隠し田も新田扱いに当面の間は年貢免除と言う扱いにする事で公に米が増産出来る政策を取る事になる。
── 美保浜の支配頭《網元》 ──
耕助が美保の浜に訪れてより漁師頭の良三は正式に役人より美保浜の漁場支配頭《後の網元》として任命された、身分としても侍という破格の待遇での誕生となった。
何故支配頭になれたのか?それは 一気に美保の浜での漁獲量が大幅に増えた事でその貢献者が頭の良三であった事が認められたのであった、当初漁師仲間10名で始めた底引き網漁がいざ始めてみれば魚が取れすぎて10名では全然追いつけず、何時しか美保の漁師たちが良三を頭とする漁村にまで発展した、今では50石船を4艘を新造し、瞬く間に大きく発展した事で名実ともに支配頭に任命されたのであった。
美保の半島は外側の外洋は駿河湾、内側は美保半島の清水港に続く大変に恵まれた環境であり内側であれば荒波からも守られる漁場でもあり、嵐のように波が荒くなればアジなどの回遊魚が駿河湾から避難して来る事で魚が豊富に獲れる浜と言えた。
支配頭は後に網元という名で呼ばれる事になるが、百姓でいう所の名主と同じと得た、百姓の名主は村長達の上に立つ者であり、その地域での百姓のトップに位置する者であり百姓の世界では絶対の権力者と言えた、それと同じ存在が漁師の支配頭と言える。
耕助による底引き網漁で大幅に漁獲を増やし漁師の頂点となった良三は恩を返すべく5名もの漁師に背負子に満載した干物を定期的に届け仲間を遣わし、耕助達も干し肉や山の幸である山菜などを帰りに持たせるなどの何時しか山と海の者達による物流が始まった、干し肉は鹿と猪であるが定期的に持たせるには耕助の家だけでの狩猟では間に合わなくなり、同じく狩猟を行っている近在の者に声を掛け肉の確保を行うようになりその中心者であるまとめ役が耕助の父親、耕太となり何時しか5軒の頭となっていた。
父親がまとめ役となった事から集落は徐々に銭を得る集落に変化していく、文字が読み書きできる耕助によって商人とも対等に交渉が行え、井川村の商店主も中々騙す事が出来ずいた、安価な価格で干物を買い取ると言えば、井川村にくる途中の村ある商店で干物を売り始めた事で井川村での干物が手に入らなくった事で店主も根負けし何時の間にか耕助の提示した価格で買い取る事にしたがそれでも、買取った干物を侍達に売るだけでも旨味のある商いに繋がるので今では売る側の耕助の方が一枚上手となりその銭が集落に落ちる事になった。
山林が無い平野な農村地帯と山林がある農村地帯での鳥獣による作物の被害は雲泥の差がある、耕助達の居住地は山林に挟まれた農村地帯であり常に猪と鹿の駆除が付きまとう、特に農作物への被害は猪であり駆除を行わない場合は作物は全滅してしまう、猪は夜中に畑を荒らしまわり畑をぐちゃぐちゃに掘り起こし何度でも襲撃して来る、現代でもある農村では猪を仕留めた者に一頭当たり数千円の手当をだし奨励している、仕留めた肉は狩猟者が組合に売り、その猪や鹿の肉はジビエ料理用として利用される、山深い温泉旅館では鹿肉ステーキや猪のぼだん鍋などに、中には熊肉の鍋を提供している宿もある。
山深い地での稲作と畑それに狩猟での生活は本来裕福とはかけ離れた世界であり、生活するのが精一杯の筈であった常識が耕助によって干し肉を売りその対価で干物が手に入ると言う好循環が集落に広がり初めた事で耕助は集落の農家14軒にも正条植えを教える事にした。
温暖な駿河の国とは言え、標高700m程の山里の田一枚で獲れる米は5俵程度あり塩水選した種を正条植えをする事で7~8俵の米が収穫出来る方法を開示した耕助、田一枚で3俵の年貢が決められており不足分は干し肉や作物を供出しなければならない、手元に残った米2俵で塩などの最低限の物を買い一年間を生活しなければならない極貧の山間集落が新しい田植えをする事で手元に米が4~5俵残る事になる、結果所得倍増と言える集落に生まれ変わる事になる、その一年後には耕助の父親は集落の顔役となった。
当然と言えば当然と言える。
耕助は前世での近代知識のある農業を知り尽くしたスペシャリストであり農機具にも精通た技術者でもあった、電気やガソリンなどの燃料の無い戦国時代ではあるが応用できる事は沢山ありその内の一つ簡単に作れる本格的な一輪車の製造に着手する事にした、農耕馬などが一切ない地での荷物の移動は大変であり物が運べる一輪車開発である、簡易的な一輪車は既に耕助の家にあるが体も徐々に大きくなった事で力も付き鍛治でのモノ作りが出来る頃との判断であった。
耕助が徐々に前世での知識を生かし走り始めました、まだ戦とは無縁のようですね。
次章「開発と嫁入り」になります。