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嫁入り準備

作中で千寿の事を、千、又は千寿と書いておりますが、どちらも同じ千寿であります、特に意味はありません。



転生前の知識から戦国時代初期の堺には西洋メロンの種は瓜子《食用種》 (読み方 グァジ)として必ず何かしらの種と一緒に輸入されていると踏んでいた、中国では食用種(食べる種)の事を不思議にも瓜の子と漢字で書く、種の事を瓜の仲間という漢字で表している、瓜子でよく見かける種は、かぼちゃ、スイカ、ひまわり、ゴーヤ、冬瓜、キュウリ、ヘチマ等の種が中国人が来店する店には置いてある、植物の種は栄養価も高く漢方薬にも利用されている、そして中国人特有の取り合えず先ずは『食べて見る』という、厳しい自然環境からの大陸文化とも言われている。


漢字で瓜子という文字からも千は日本のマクワ瓜とは違う西洋メロンの種があると確信していた、千の指示で種と砂糖の買い付けをして戻った彦六は砂糖3貫(約11キロ)と多種多様な種子らしき物と店の主から丁寧なる御礼の文を預かったと言う。



「彦六、よう戻られた、沢山の砂糖重たかってあろう、この砂糖で作る菓子を最初に食させるので期待してくれ、種子もいろいろとある様であるな、それとこの文は店の主からであるな、フム~フムほうこれからも懇意にと書いておる、妾の事を伝えたのじゃな?」


「はい、砂糖を得るには、貴重な品なので売るには身分を明かす必要がありましたので!!」


「成程、確かに貴重な品じゃ、この『つたや』というのが屋号なのだな?」


「はい、堺では大きい商人のようです、呉服から珍しい品々があるのでこれからも頼って頂きたいと主が申しておりました」


「堺によい伝手が出来たと言う事じゃな!!」




── 嫁入り準備 ──



彦六が持ち帰った種子の種蒔きは翌年の春に行い様子を見る事にしたが千であっても種の種類までは不明の物が多く、時期を待つしか無かった、年が明けて春間近となり嫁入りの話がチラホラ上がり始めた、既に才女として三好から米1000俵が届けられた話はそれなりに広がっており武勇伝的に公家の間では知る者も多く官位のある家の娘と言う事で年まだ若いが今の内に許嫁いいなずけにしておこうという手を伸ばす話が・・・この時代の公家達は困窮している、戦国時代はむしろ公家側から裕福な家との結びつきを求めて援助を得る事で家の存続を図る処は珍しくなく、その相手は武家であっても力さえあれば公家の娘は嫁がれていた。


確かに千の活躍で一時的に米と銭を得たが、千が嫁いでしまえば嫁ぎ先からの援助はありがたい話であり力ある武家であればより良い条件と言えた。


千の父である中御門家宣胤は公家の格では名家であるが権大納言というトップの官僚の一人、では権が付く大納言と何が違うのか? 公家の社会は特権階級の権威主義、帝がトップでその下に摂家という言わば公家達の頂点に位置する家が5つある、これが俗に言う5摂家、戦国物で公家と言えば必ず出て来る名前の公家達、近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家、これがその5摂家である。


5摂家から摂政、関白が選ばれ、天皇が幼い、あるいは病弱で政治を行うことができない場合、天皇を補佐しながら政治の重要事を判断する役職を『摂政』、成人した天皇を補佐して政務を行う役職を『関白』になります。


実際の責任職となる実務を行うのが太政官と呼ばれる大臣です、左大臣、右大臣という言葉を聞いた事をある人も多いと思います、説明文にこのように書かれている、太政官の長官を太政大臣、左大臣、右大臣と為し、是を三公と称す、左大臣は、太政大臣の下にて政務を執る者、之を一の上と称す、右大臣は左大臣と相並びて事を行うものにて、太政大臣あらざるときは、右大臣を以て一の上と称す、とあります。 ※二官八省を統べる者、その一番偉い人が太政大臣です。 (右大臣、左大臣も統べる者に入ります。)


この太政官も主に5摂家の家から選ばれます、朝廷は帝と5摂家によって支配されたあみだくじの様になったピラミッド型、戦国時代となった事で公家社会も変化していきます、武家の者は戦となり、朝廷を支える献上をドンドン減らし、5摂家と言う超高位の者でも困窮して行きます、給料が出なくなった出費の多い大臣などやっていられないという、本音が漏れだす。


そして権が付く場合の意味は、摂家からの任官された大納言の定員(2~3名時代によって変化有)に達した時、又は摂家から優れた人材が見当たらず補佐する上で摂家以外から任官された場合は権が付き権大納言となる、役割は同じである。


そして千の父宣胤が権大納言として働いた時期は1488年9月17日~1511年11月15日、23年間も大納言として活躍している、それだけ5摂家も困窮しており人も出せずに責任を全うする事が出来ずにいた。

尚、この時の宜胤の官位説明を追記すれば権大納言時であり正二位、左大臣、右大臣と同列、大納言を退官した際には従一位まで上がる事になる。 (足利尊氏と同列に、尊氏は亡くなった時に贈従一位の官位が贈与されます、宣胤は生存中に従一位です。)


祖父も権大納言に、息子も権大納言に更に孫の宣忠の4代に渡り権大納言となる中御門家。

朝廷での役職も二官八省の実質的なトップ、官位もこれ以上ない現役では最高クラスの中御門家宣胤がお家存続の為に援助を受けられる家に千寿を嫁がせるに相応しい家は果たしてどこに?

その条件は、裕福な家であり誰でもが認める格付けのある家となる。


嫁入りの候補先に困窮している公家では格はあってもむしろ支援する側となる恐れがある、将軍家にも近い存在であり名が通っており、正室を迎えていない大物・・・偶然にも30代後半に差し掛かっていた今川氏親が候補に上がる、駿河国と遠江国を治める大物と言えた。



「彦六! 一善もどうじゃ!! 美味しいであろう!!」


「美味でありますな、お茶との相性が良いでござる!」


「もっと甘くする事も出来るが贅沢となるゆえそれでも甘さは抑え気味にしておるのよ」


「某には充分な甘さです、で姫これを、この菓子をどのように利用されるのですか?」


「それはまだ試作品じゃ、完成品には中御門家の家紋を付け父上が公家と商人を招いて歌会を行う際に配るのじゃ、歌会を開けば直ぐにでも売って欲しいと催促が来るであろう、そこでじゃ大切な役目が彦六に付き従っている者達にこの菓子を作り売り先に届ける役目を担って頂く、高価な菓子ゆえ主に商人達になるであろうが、公家達は菓子を求めて父上の歌会にこぞって来たがるであろう、何しろ菓子が土産として頂けるのであるから! よってその菓子を用いて中御門家に付き従う公家の力を集める誘い水となる筈じゃ!」


呆気に取られ聞き入る二人、どこぞの老年なる戦国武将と国盗り物語の軍略を聞かされていると錯覚する程であり、菓子一つでここまで描く姫に只々驚くしか無かった。



「まあ~この菓子があれば当面は中御門家は安泰であろう、菓子で生まれる利潤で彦六達に付き従っている者達にも給金が出せる、これで約束は守られる、それと妾があと二年程でどうやら嫁ぐ事になるようじゃ、父上から嫁ぐ家を決めていると申された、それまでにいろいろと整えなくては成らぬゆえ、二人には忙しくなるがよろしく頼む!! 妾の天下取りが始まるのじゃ!!」


返事も出来ぬ二人であった。



── 嫁入り準備 ──



昭和の20年代、30年代にも利用されていた嫁入り道具に長持ちという箱がある、長方形の形をした箱に嫁入り道具を入れて嫁ぐ箱、二人で担ぎ夫となる家に運ばれる、裕福な家であれば数個の長持ちが運び込まれる、ある大名に嫁ぐ姫の長持ちに貝合わせというハマグリの貝に同じ絵が書かれた貝を当てる遊び道具だけが入った長持ちがあったそうだ、何故か? 長持ちの箱数を沢山用意して、いかにも大家の嫁入りだと宣伝しての家をあげての嫁入りに、現代でも披露宴を行えば数百万と普通にかかる、家の体面もあり長持ちの箱数も関係するという事である。


中御門家は居宅の敷地1200坪程と100石の荘園しか持ち合わせていない、糧となる銭を得る為の置き土産、千寿が嫁いだ後でも安定して銭を得る方法が甘い麦菓子(クッキー)として残して行く、現代でも麦を利用した菓子は主力商品であり特に日本のクッキーは繊細な食感があり外国からの旅行者は土産品として大量に購入して行く、戦国時代にクッキーが登場する意味は、その効果は絶大と言えるであろう。


そしてもう一つ、敷地が無い為に売る程の生産は無理であるが4月~8月までに行われる歌会では極上のデザートが提供される、千が特別に仕入れた種から生産した西洋メロンが極上の一品が出される事に、メロンは露地栽培でも比較的簡単に出来る、問題は提供する際に絶対に種を取り除き門外不出とする事である。


そして本格的な嫁入り準備が始まる事に、千に取っての嫁入りは戦であり一気に嫁ぎ先の家を掌握する事が勝利であると、魑魅魍魎とした武家の家に天下の中御門家の幼な妻が、歴史を知る歴オタが乗り込むという意味を! 転生したした意味を!! 本懐の章が始まる事に!!



── 寿桂尼 ──



戦国時代で尼将軍と言われた人に、北条政子がいるが政子にはダークな灰色のイメージが付きまとう、源頼朝の正室であり頼朝亡き後に支えていた者達が次から次と亡くなって逝く、むしろ消されて逝くと言って良い、北条家に権力が集中しその後ろ盾が政子であり、逆らう者が消えて逝く、ダークな色が付きまとう北条政子に対して、もう一人の尼将軍と呼ばれる今川家の寿桂尼はどうなのか?


出自は公家の娘でありながら東海の覇者と呼ばれた今川家を最後まで支えた尼将軍として評価は高くダーク色が無いイメージ、息子の義元が桶狭間にて信長に討ち取られ事で崩れていく今川家を支え命尽きる迄貢献した女将軍とも評される、武田信玄でさえも寿桂尼存命中は駿河への侵攻は出来なかったと言われている、今川家に寿桂尼がいなければあっと言う間に瓦解していたであろうと、今川家臣団はそれ程寿桂尼を慕っていたと言う。


その寿桂尼が、現代の歴オタおばさんが転生した千寿であり、後の今川家寿桂尼として、戦国という世に大旋風の風を巻き起こす。

信長、秀吉、家康という戦国の三英傑もまだ誕生していない、これより先手必勝の戦が始まる。


寿桂尼は戦国時代物に何度も登場する女性です、今川家での前半生は受難の日々であったと思われる、夫氏親を早くに亡くし、後を継いだ息子ともう一人の息子(双子と言われている説有)を同時に亡くし(仔細不明)お家騒動が始まる、そこからが、後半期となり寿桂尼の名が広がる事になる。

次章「もう一人の転生者」になります。

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