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西洋メロン



戦国時代の貿易と言えば南蛮貿易というキーワード浮かぶがそれは戦国時代中期、1543年種子島に1隻の中国船が漂着、この船にポルトガル人が持っていた鉄砲が俗に言う鉄砲伝来であり南蛮貿易の始まりとされている、では何故中国の明船にポルトガル人が乗っていたのか?


既に明国では海外の国との貿易をしており、当時の琉球王国も明国を初めとした東南アジア諸国との貿易中継地点という事で貿易国家として成立していた、ではその事を知っていた日本人はいたのか?

利に目聡い堺の商人達は既に琉球王国へ貿易船を出し戦国期初期には交易を開始していた、明の国も琉球へ、東南アジアの国々も琉球に交易品を運び輸出入の一大ハブ拠点として多種多様な品が琉球には既に揃っていたのです。




── からくり ──



「小太郎! それと同じ事を我らも出来るであろうか?」


「それは難儀であるかと、伊勢様が戦をやめようとしても次から次と湧いて来ております、公家の姫ゆえ、戦とは関係ない、ゆかりの無い姫だからこその発想かと、殿がお持ちの米は手放す事は出来ませぬかと思われます!!」


「ふ~・・それにしても見事なる姫であるな、中御門家は安泰であろう、僅か半年余りで7000貫もの利を得るとは、その姫の嫁ぎ先は何処になるのであろうかな、出来ればなんとかして得たいものよ!!」


「今は7才となったばかりです、貰い手は幾らでもありましょうが、大納言の家柄であれば相当なる官位のある家か一門の家に嫁がれるかと、某には見当も付きませぬ!」


「殿と誼を結ぶだけでも利が訪れるやも知れませぬ、頼まれました蜜柑の苗木は如何致しますか?」


「200貫《2000万円》ものお礼を頂いたのじゃ、用意して差し上げよ、それにしても何度聞いても感嘆する話ぞ! 」


「彦六という者はその姫に仕える事になったのじゃな?」


「はい、あの一善なる者の親類という事で中御門家にて入りまして御座います」


「しかしその姫はどこで彦六の事を知ったのであろうか? 不思議な事よ!!」


「それについてもお聞き致しましたが、はぐらかされ申した!!」


「まあー良い、小太郎の知り合いであれば色々と繋ぐ事が出来るであろう!」



千が米の転売で、米転がしという方法で仕入れては3倍で売る事を結局4回も行った、それ程京の町は戦の最中に巻き込まれていた事と三好家はその戦に参戦していた。

その戦とは永正の錯乱と呼ばれる大乱であった。


室町幕府の管領として、将軍家をもしのぐほどの強大な権力の細川家12代当主『細川政元』は、生涯独身の為に跡取りが不在、そこで細川政元は細川澄之、細川澄元、細川高国の3名を養子にします。

そこで家督を継ぐのは、一番初めに養子に迎えられた細川澄之と思われたが、細川政元は、分家筋の細川澄元を跡取りに指名。


ところがそれが原因で、1507年、永正4年、細川政元は、澄之により恨まれ殺されてしまう、細川政元暗殺事件を『永正の錯乱』と呼ばれた大きい乱が勃発、併せて足利将軍の座をめぐる騒動も、やがて、細川澄元派と細川高国派による両細川の戦に、三好之長は主君・政元の後継者問題においては澄元を支持し数々の戦に参戦して行く事になり、幕府中枢の権力争いである以上、誰も止める事が出来ずにこの錯乱と呼ばれる乱は長く続くことになる。



乱の先行きが不透明な事と四回もの米を転がした事で千寿は莫大な銭を得た、これにより当初の目的は充分に果たしと満足し伊勢家の者達、風間小太郎が率いた者達に褒美を与えた上で小田原に返した、千の手元には7000貫(ウハウハの7億円)とも言う銭が入った事になる。


最初に父宣胤の了解で強引に借りた米500俵となる200石は約束通り倍の400石となり、銭として400貫《4000万円》を渡された権大納言宣胤であった。

初めて見る大量の銭に眩暈と動機が・・・その横では母親の朝子が千を抱きしめていた、母の眼つきには炎の欲望と言う火薬庫の導火線に火が灯された目付きであった。


この時代の銭の価値は現代とは大違いである、貨幣経済が整っていない時代であり銭の持つ力は、その価値は現在より10倍以上はあると言えよう、そう言う意味では千の手柄は城を一つ手に入れた様な価値と言えた、7才になったとは言えまたまだ幼子であり現代の小学校2年生程度である、しかしその中身は60過ぎの転生者であり、楽な暮らしを得る事と、この先に待ち構えている己の歩む史実を変えるには待った無しの次の一手を彦六に手配したのだ。



中庭で幼子の姫が30代後半の彦六に指示を出していた。


「姫様!! 本当にどのような種が判らぬ物でも良いのでしょうか?」


「瓜の種と似ていれば何でもよい、色が違っていても見た目が似ていれば大丈夫じゃ、まあー手あたり次第種であれば何でもよいから仕入れて欲しいのじゃ!!」


「姫様が求めている種では何が実るのでありましょうか?」


「それは皆が知っている瓜の兄弟じゃ、味も似ているがもっと甘味がする瓜なのじゃ!!」


「では甘い瓜の種と言えば商人に通じましょうか?」


「いや無理であろう、明からその種は入るであろうが、明の者達は作物の種を食べる習慣なので仕入れた商人達も食べる種だと思っている筈だ、だからその種から甘い瓜が出来るとは思うておらぬであろう、和瓜であれば普通にこの日ノ本でも手に入るし、種の区別が付かぬから玩具の小鳥の餌にしてしまうであろう、それと後は必ず砂糖は買って来るのじゃ!! 砂糖は忘れては成らぬぞ!!」



前世での千は川越市でフルーツサンド屋の甘味処を経営していた、夫は元は○○マーの農機具のメンテナンスサービス部門として農家を廻り、退職後は農協の農家支援技術者として農家育成に、そもそも夫の親は専業農家であり、農業の知識を千も豊富となっていた、彦六に命じた種とはメロンであり瓜の兄弟と言えた、メロンの歴史は大きく分けて2系統によって日本にもたらされた、戦国時代以前より普及していたメロンを瓜と呼び、それは古くに中国より伝わったとされる、そしてマスクメロンの様にさらに甘くなったメロンも中国から渡るが意外と新しく江戸時代後半のようだ。


しかし、西洋メロンは戦国時代以前には既にインドと中国には渡っており、さらにはモンゴルにも伝わっていた、琉球王国は既に交易のハブ港として明国を初め東南アジアから多種多様な品が入っており、堺の商人も出入りしている事から西洋メロンの種が入ってきている可能性は充分に考えられた。


そしてもう一つは砂糖である、琉球王国での砂糖の生産は江戸時代に入ってからの様である、サトウキビから得る技術も中国から伝わる、明国では交易品として琉球に輸出しており、堺の商人も砂糖を仕入れていた、高価な物ではあるが銭さえあれば手に入る品であった。


そしてもう一つ千には残された時間はあるようで無いという事だ!!

千は自分が何者なのかという事を知っていた、歴史上の戦国期の女傑である事を、その女傑に転生した事を既に知っていたのだ、それ故に大量の銭が必要になるとの判断であのように三好之長を利用し米を得る手段とした、その後も米の転売による米転がしも自分の未来を変える為に行ったのであった。



千寿姫は後の今川家の大黒柱となる『寿桂尼じゅけいに』である、今川義元の母であり、今川氏真の祖母となり戦国時代の東海の尼将軍となるが、自分の命が尽きると同時に今川家は滅亡の坂道を転げ落ちる、その史実を変えるべく千寿は一日も早く力を得る為に銭を必要としていた。


ただ転生して判った事がある、史実より5~6才前後遅く生まれているであろうという事、史実でも寿桂尼にはいつ誕生したのか不明ではあるが今川氏親に嫁いだのは1508頃とされており1513年に二人の子供を出産したという記録を考えると、13才で出産は少し無理であろうと千なりに出した答えであるが、史実と同じに嫁ぐとなれば明年には今川家に嫁入りとなる。


この時代の嫁入りは親同士が納得すれば10才以下でも充分考えられる、子供をなすには流石に早いと言えるが、寿桂尼は史実において最初に今川家で受難とも言える危機を迎える、それを回避する為には幼子であっても力が必要と、絶対的な力を持って今川家に入らねば回避出来ないと判断していた。


千は60過ぎのおばさんであり歴オタの転生者、戦国期専門のオタクであり女傑として有名な寿桂尼の生涯についても充分知識としては知っていた、嫁ぎ先となる今川家で氏親との間に最初双子が誕生するが、史実では二人とも時を同じくして亡くす事に、原因も不明であり不思議な事に亡くなった経緯は資料的にも見当たらず、双子であったと言う資料まで不明であるが実子の二人を同時亡くす、千の考えは二人同時に毒殺されたという判断であり、庶流の兄弟関係した今川家乗っ取りの暗殺であろうと判断していた。


何故暗殺が生じたのか? それは足利将軍家の内紛に関係した事であろうと読んでいた、『足利が滅べば吉良が継ぎ、吉良が滅べば今川が継ぐ』という有名な例えがある、今川家は足利尊氏の四代前の直系兄弟の子孫であり、その一つ前が吉良家であり吉良長氏の子供が今川国氏であり今川家が始まる。


要は足利家の血が流れている家である、既に足利将軍家は力を無くしており足利一門で一番力があったのが今川家という事になる、その今川家を乗っ取れる事が出来れば絶大な地位と権力を得る事が出来るとの暗殺には思惑があると読んでいた。


千の作戦とも言うべき戦略は中御門家を摂家と同等以上の力ある公家に育てる事、戦国期の中盤以降は関白なった近衛が我が物顔で武家の中にも入り込み暗躍して行く、公家の中では近衛は千に取って敵になると判断していた、そして嫁ぎ先となる今川家では氏親が亡くなると今川氏親の側室の子、今川恵探を当主にしようと側室側の派閥が今川家を二分するお家騒動が勃発する。


この側室と手を組み千の双子が毒殺されたのであろうと判断し読み取っていた、史実ではお家騒動で勝利し義元を当主にする事が出来たが一時今川家の力が弱まる、これらを全て回避するには、出自の公家である中御門家が公家社会で力を付ける事、そしてその力を背景に今川家に嫁ぎ一気に今川家を掌握するだけの嫁として立場を築く必要があった。


公家社会で力を示し誇示する方法は歌会の開催をどれだけ行えるか? 一見バカバカしい話であるが、中御門家で行う歌会に集まる公家が何時しか派閥となり力となるのが公家の社会だ、食事を提供しその都度土産物を渡す事で財力を示しあたかも磁石に吸い寄せられる砂鉄の様に得物を釣り上げて行く、困窮している公家に取って蜜を吸わせてくれる家を支持するのは当然と言えよう。


朝廷における公家社会に支持を得るべく西洋メロンの種と砂糖の手配を彦六に依頼したのである、甘味処の魔力を持って中御門家の力を示す戦略と言えた。

史実では信長によって茶の湯の文化が花開いて行く事になるが、欠かせないのが茶うけの菓子である、南蛮から伝わったカステラ、カルメラ、ビスケットは良く知られている、さらにそれを受け継いだ秀吉は、みたらし団子、どらやき、羊羹、饅頭などもお茶に欠かせないアイテムとして利用した。


前世でのフルーツサンド職人でもある千寿の頭の中には武器となる甘味の菓子は強烈な武器となるであろう事は間違いないと言えた。


メロンですか、夕張メロンがブランド名として浮かびますが、茨城県も名産地なんですよ、毎年遊びに行くので買って食べてます、現地だと安くて買えます。

次章「嫁入り準備」になります。

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