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京の異変




「中村殿であったな、関白様はこれ以上は六角攻めを止めよと言うのだな、最初我らに容赦なく叩き潰せと申していたが、何故に変わったのじゃ!? 六角をもう少しで追い詰める所迄来ておる、あと一押しであろうに! 止める理由を御聞かせ願いたい!!」



「織田様は三家の盟主であり織田様からの指示であれば斎藤様も浅井様も言う事を聞きまする、故に是非ともここは関白様の命をお聞き届け下され、関白様は織田様の申す通り当初は六角を容赦なくと申しておりました、しかし事情が変わったのです! 六角が関白様の命にこれからは従うゆえに許して頂きたいと懇願して来たのです、六角を滅ぼすのではなく京の事情にも明るい六角を従えさせる方が益があると、それと六角を生かす事で近江の国人達が六角と同じ様に織田様の陣営として従う事になると、近江の国事情は京に近く素直に従う事に成れば帝も安心致すと申して、某中村を織田様に遣わしたのです!!」



「ほう六角が関白様に助命を請いたのか、命を聞く故許して欲しいと!! しかし領地はどうするのだ、既に大半は我ら三家にて接収しているぞ、残す所は城周辺ぞ!!」



「六角に残す領地は城周辺で問題無いかと、六角を残せば同族の平井定武、後藤賢豊、蒲生賢秀、三雲成持、進藤貞治、目賀田綱清の有力な6人衆が織田様の配下にする事が出来ます、如何でしょうか? それに三雲が織田様の配下となれば益多き者達まで手に入ります!」



「甲賀衆の事か?」



「そうです、三雲殿は甲賀53家の一つであり、三雲殿が六角に仕えていた事で甲賀の主力であります三雲、和田、隠岐、池田、青木、山中の地侍の忍び達が一つとなり三雲成持殿に付き従い働いておりました、その忍び達は今後に備えて重要となるであろうと関白様も申しておりました!!」



「良く分らぬが、今後とは?」



「今川、北条、長尾であります、その三家は何れも多くの忍びを抱えておると申しておりました!」



「関白様はもうその先まで見据えておいでか、う~忍びか・・・そちも忍びの出か?」



「某は忍びの出ではありませぬ、元は織田様の尾張の出となります、しがない足軽の子になります!!」



「何? 本当か!! 中村と言うからには、尾張中村の出なのか?」



「お恥ずかしい限りで御座います!!」



「尾張中村には中村姓の者達が確かにいるが・・・まさかその一人が関白様に仕えているとは実に不思議である、六角の件は儂から斎藤と浅井に申し付ければ問題無いであろう、むしろそちの生い立ちの方が気になる、どうして関白様に仕える事が出来たのじゃ! 」



「某は今川に仕えていた足軽の子であり父上と同じく今川配下の将の家でお世話に成っておりましたが、そこで功を上げた事で同僚の者達から妬みによる暴力を受ける様になり出奔し諸国を歩く中で偶然にも宰相様と出会う事が出来たのです、それが縁となり今日に至ります」



秀吉の説明はほぼ史実と同じ説明であり違う処は信長と出会わずに近衛前久に出会ったという説明であり、秀吉を役立つ者と認め配下に加えたという説明であった。



「奇遇な出会いがそちを引き上げたと言う事であったが、この儂も出自より実のある者を、役立つ者を配下にと思うておるが中々どうして譜代のバカ者達が邪魔をする、身代を与える事は出来るがそれに見合う者が中々おらぬ、中村殿の使者の立場でれば下々の者も含め知恵ある者でありながら境遇に見合わぬ者がいたら是非儂に紹介するが良い、見事眼鏡叶う者なれば引き上げて見ようぞ!」



「はっ!! 是非に織田様のお役に立つような人物を推薦して見せます!」



この両者の出会いは形こそ違うが戦国の主役へとのし上がるきっかけとなる、近衛は公家であり権威こそ頂点の一人と言えるが、権威になびかぬ者に取ってはねじ伏せる事は出来ない、逆に信長であれば兵力と人を引き付けるカリスマ性を持つ者は敵をねじ伏せる事に執着し実世界の中で本当の力を得る事になる。

秀吉に取って果たしてどちらが魅力となるのであろうか!?



── 1560年 ──



史実において桶狭間の戦いは、1560年6月12日に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と今川義元軍の合戦を指す。

2万5千人の大軍を率い上京する為に通り道となる尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が僅か3000の兵を率いて激しい夕立となり休憩している桶狭間の地に奇襲を行い今川義元を討ち取った、小が大を呑み込んだ日本三大奇襲戦の一つ。


義元が討たれた事で東海地方を制圧していた今川家が没落する一方、織田信長は尾張を完全統一したうえ畿内制圧へと台頭するきっかけに、松平元康(後の徳川家康)は三河で独立を回復して信長と清洲同盟を締結、これが戦国時代の転機となったとされるのが桶狭間の戦いである、しかし史実とは違いこの戦いは起きていない。


この桶狭間の戦いで今川は没落していく事を当然熟知している寿桂尼は史実より今川の石高を既に4倍以上となる150万石を優に超える大家へと変えても敢えて1560年という史実における鬼門となる厄年の災いを避けるために尾張への侵攻も行わず内政と人材育成に努めていた。


その最中に京で大きな動きが事変が起きたとの報に接した、その中身を知った事ですぐさま徳川の刈谷城と岡崎城に防衛の大軍を送る陣触れを行った、要は織田の連合軍が今川領に攻め入って来る可能性があると判断した上での陣触れであった。


一体何が寿桂尼を慌てさせる事変が起きたのか!? 京の異変とは?



「何!? 織田側の面々が二条の御所に将軍を戻させ集まっているのか? 三好は・・京にいた三好の軍勢はどうしたのじゃ??」




ここ数年での寿桂尼のいる戦国期は史実より時間の流れが速く動いている、現れる事象も史実と違う変化が見て取れていた、特に京を中心とした西国の動きは織田信長を中心に変化が生じており寿桂尼の前世で知る知識と違っていたが、いち早く変化を読み取る為に忍びの服部衆を京周辺にも多数放ち情報を得る手立ては確立されていた。


寿桂尼が異変と察知し刈谷城と岡崎城に兵を派遣した理由も、織田信長の動きが原因であった。


織田信長、斎藤義龍、浅井長政の三家連合は六角家を攻略し配下とした事で近江国を手に入れ、朽木荘で三好から避難していた将軍足利義輝を担ぎ京の二条御所に戻し凱旋を行った、しかし史実では畿内を治めていた三好家と信長の上京に伴い合戦が行わる筈が争った形跡もなく三好家の大軍は四国に引き上げていた、敵方の織田側にあたかも信長の進軍に併せて、摂津国、 河内 国、和泉国、大和国、山城国(京)の5ヶ国をまるで譲渡した如く引き上げていたのである。


軍勢の数で言えば織田連合軍と三好家の持つ兵力は互角と言える、兵力が互角であるにも関わらず本拠地の四国に引き上げた事に戦国の常識から外れた異変が起きたと寿桂尼は判断し尾張国と境目になる三河国の知多半島にある刈谷と岡崎に念の為に兵を派遣したと言うのが此度の動きであった。



「3万の兵が京周辺にいると言うのだな!」



「信虎様も変に備えて屋敷にて武装を整えております、ご実家にも500程の兵を忍ばせております、我らの乱破も多数入り込んでおり動きがあれば直ぐさま御台様の御耳に入る手筈になっております」



「やはり信虎は現役の武将である、打つ手が速い!!」



ある意味史実と似ていると言えば似ているが三好家は何故戦わずに兵を引き上げた? 全体の動きが10年早まって事象として湧現している、刻の流れが速まっていたと仮定して次に起こる災いは信長と一向による死兵との大戦か? その前に三好との戦いはどうなるのだ? 京を中心に織田、三好、一向宗という宗教勢力が絡み合う現状、帝の住まう京は嵐の前の静けさという表現が相応しく、平穏そのものであった。




── 足利義輝 ──



この1560年時の足利幕府の将軍は第十三代将軍足利義輝の代となっている、三好の力が弱まり六角定頼が烏帽子親となり元服を迎えるも兵力の力無くある意味傀儡としての将軍であったが親を追い詰めた三好家を敵と定めていた、しかし力を一時弱めていた三好家は徐々に隠遁していた四国より触手を京に伸ばし何時の間にか畿内を手中に治めいた、その結果足利義輝は三好から逃げるように近江国朽木くつき荘へ避難していた。


史実における足利義輝は剣の道を究めた剣豪将軍と呼ばれる程の凄腕の将軍として有名ではあるが、ある説によれば将軍でありながら若き頃より朽木荘で隠れた生活する中でその鬱憤の全てを剣の道に奉げていたという、配下の者で互角に渡り合える者は極少数しかいなかったとされている、将軍でありながら手持ちの兵力は少なくその為に各地の大名豪族に三好討伐の命を幾度も出す、お手紙将軍とも揶揄されていたとする、後に義輝の後にも同じく将軍でありながらお手紙将軍と呼ばれた足利義昭がいる。



足利義輝は信長の軍勢に守られ朽木より京へ凱旋した、実際は三好の軍勢がいつの間にか消えていただけであったが、将軍の威光に平伏し霧散したと広言を吐いていた。

義輝は京に戻れた事に対して、その功大であるとし織田信長を副将軍に任命、史実では天下人目前であった為に後の足利義昭からの副将軍打診を断っている、しかし現世では天下人にはまだ程遠くこれからの事を見据えて副将軍の地位をありがたく拝命受領していた。




「耕助殿! 又もや史実と違う事象が湧現した、それと今川家の当主に二条に来るように命が届いたが如何に対処するべきであろうか?」



「氏豊様に二条にと!! しかし今川家は足利家連署の家柄であれば行かぬ訳には・・・北条家、長尾家には同じ様に命が届いて無いのでしょうか?」



「分からぬが、同じく届いているやも知れぬ!」



「では先に将軍の凱旋祝いを贈りましょう、その際に使者より何時頃当主氏豊様が参りますとお伝えし、二条の様子をしっかり見定め安全を確保致しましょう、それと刈谷と岡崎の兵を一旦引き上げ今川家は反旗の意思が無い事を示しておきましょう、余計な言いがかりとなる懸念は取り除いておきましょう!! 後は北条家にも、長尾家にも凱旋祝いを贈るようにと注意喚起した方が良いかと!!」



「最もじゃ! して祝いの使者は誰が良いと思う?」



「強面の勘助殿と雪斎様に頼まれては!?」



「些か不安ではあるが、それは又面白い組み合わせであるな!! 」



「しかし解せぬ事象よ!! これは本格的に裏で糸を引いている者がいると断定した方がいいであろう、信長が副将軍に据え置いたという事は、転がされていると見て良いであろう、史実での信長は何者にも媚びぬ性格だが、今は信長よりもかなり高位の者が差配していると見て良い、その者が戦国を終わらせる為に動くのであれば今川は全力でお支えしても良いが、果たして何者であろうか!! 史実を知る我らだからこそ節穴となりその者の正体が掴めぬのであろうか?」



「・・・その辺りも勘助殿に探らせましょう、洞察には優れております、むしろ疑いから入る者でありますから正体が掴めるかも知れませぬ!!」



「猜疑心強き故に一悶着起きねば良いが!!」



「その為に雪斎様がいるかと・・・」



史実と似て非なり、その首謀者の動きが中々予測出来ません。

次章「二条問答」になります。

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