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角の道筋



史実における河越城を巡る戦は1535年10月より行われ幾度も合戦を経て1537年7月に北条氏綱が扇谷上杉朝定を破り河越城の攻略に成功する、攻略された上杉側は取り返すべく戦を行うが失敗、そこで圧倒的な兵数で城を囲み籠城する北条兵を飢餓で苦しませ殲滅を計ろうと2年もの籠城戦が行われた。


上杉家は管領家でありそれを支える八屋形と呼ばれる宇都宮氏、小田氏、小山氏、佐竹氏、千葉氏、長沼氏、那須氏、結城氏にも参戦を命じ、さらに関東内の国人領主にも参戦を命じ8万もの大軍を作り上げた、それに対して籠城する北条側の兵は3千余りでありの兵数で2年も籠城に耐えていたと言える。


2年もの籠城を耐え抜き管領側の油断を利用し1546年5月19日に北条軍が夜襲を行い一夜にして管領側を敗走させ勝利したとされるのが史実における河越夜戦である、この勝利で北条家は関東の覇者として地位を築いていく。



── 角の道筋 ──



1548年の暮れに今川家の駿河、遠江の地より離れた地に寿桂尼の使者が訪れた。



「先ずは此度家督相続されました事をお聞き致しました御台様より祝いの品を届けよとの事で参りました、こちらが目録となります!」



19才となり家督を相続した若き当主は使者の話より目の前にいる使者の出で立ちに驚いていた。



「使者殿! 山本殿と申したな、態々遠路となる越後まで祝いの品を届けて頂き忝のう御座いました、寿桂尼様にはくれぐれもこの景虎が心より感謝していたとお伝え下され!!」



一通りの挨拶を終えた後に我慢出来なくなった景虎が使者の山本に問いかけた。



「使者殿済まぬがそのような神々しい出で立ちを初めて目にする、今川家では流行っている出で立ちなのであろうか? その昔佐々木道誉様と言われるお方が神々しい出で立ちにて『ばさら大将』と評されていたと、使者殿の出で立ちも『ばさら』と呼ばれるものでありましょうか?」



「・・・実は某もこの眼帯と衣装を寿桂尼様より賜りました時に佐々木道誉様の『ばさら』という文字が浮かびました、そして何故にこの様な出で立ちを某にさせたのかと、正直な処恥ずかしゅうて着たくないと申し上げました!!」



「ほう使者殿も反発された訳ですな、で御台様の説明は?」



「かの鎌倉幕府の時の執権を支える立場の佐々木道誉様が何故に『ばさら』の出で立ちであったのかと御台様より教えられ悟らされました、御台様は某に『ばさら』とは下の者が天に向かって曲がった道を例え一人となっても正道な道に戻すぞとの抗う出で立ちであると、そしてこう申されました、佐々木道誉殿は鎌倉を作りし御家人達を次々と葬り執権の専横となった幕府に抗う為の意地の装う出で立ちで祖である足利尊氏様を手助けし、最後は見事に執権を倒したのであると!!」



「うむ~成程それが使者殿の衣装なのですね、佐々木道誉様が着た意味は判り申したが、使者殿が着ている意味は何でありましょうか?」



「某も長尾様と同じく、それ某が着る理由は何でありましょうかと尋ねました、ここからが大事なる話でありました、見て下されここの袖に今川家の家紋が書かれております、丸の内に二つ引両の印です、ここに家紋があるという事は某が今川家の代紋を背負った使者という意味であります、さらにその下に『帰』という字が、文字が一字書かれています、これは寿桂尼様の花押印であります、この二つの意味は今川家が天下の道を、戦乱の世を改めるという意味と寿桂尼様が己の命を差し必ず成し遂げると言う強き意志を示した血判の意味が込められた装束こそがこの使者の出で立ちであると某に説明下されました!!」



「・・・・・・・・・・」


眼を閉じ聞き入る長尾景虎、景虎は当主となる為に長尾家では内乱が生じこの年1548年にやっと乱が終息し正式に当主となり間もない時に使者である山本が来たのである、山本の説明を聞きいる中、それは自分の身に置き換えて、自分はそこまでの覚悟を持って当主になったのであろうかと自問していた、長尾家を正す事も全て他者が作りし道を歩きその座に座った自分に頭を垂れる景虎であった。



「使者殿の説明、某の命に刻みました、御台様に感謝していたと、この景虎の心に火が灯りましたとお伝え下され! 火が灯りました以上使者殿にお尋ね致します、某の家督相続の祝いの使者であればその出で立ちでは筋が通りませぬ、某に何用があって此度参られましたか?」



「流石也長尾様!! 寿桂尼様が某を寄越した理由は別儀にあります、長尾様と深き誼を通じ共に天下の正道を正しき道に、世直しを行う談合を図るために某は使者となりまかり越しました!! 先ずはこちらを見て下され!」



山本勘助は懐から北陸が書かれた地図を出しこれから長尾家が歩む道標の説明をし始めた。その余りにも遠大なる計に全身から熱気を放つ景虎であった。



「山本殿!! その話は朝倉では無く何故某なのであろうか? 家格で判ずれば朝倉かと・・・・」



「朝倉には武神宗滴様がおりますが、加賀の一向による一揆で手一杯であり朝倉家は一枚岩となっておりませぬ、宗滴様は高齢であり家内の問題を解決する事出来ませぬ、朝倉家はやがて一向に飲まれるであろうと、朝倉の地が一向となれば越後の長尾様とて大いに危険であろうと予見出来ます、しかし今の長尾様には戦う力が・・・それに抗い対抗し薙ぎ倒し領地を広める・・・いや支える底力が足りませぬ、何故今川家が領地を増やさずに石高を3倍以上増やせたのかを説明致しましょう!!」



手厳しい話の中にも長尾家の、景虎の生きるべき使命が脳裏に絵図として浮かび上がる説明により一層熱く聞き入り二人の話は深夜にまで及んだ、この日の出会いによって進むべき道が明確になった事を神仏に感謝する景虎であった。


勘助は翌日も逗留し長尾家と今川で行う交易に付いて夕餉より酒を酌み交わしながらある話題に驚く景虎であった。



「寿桂尼様以外にももう一人、千眼の眼を持つお方がいると言うのですか?」



「はい、某の上役となりますお方が千眼の眼をお持ちです、ただ寿桂尼様の眼とは少し違う様でなんと言って良いか分かりませぬが、寿桂尼様の願いを具現化させる事が出来るお方に成ります、ここにその景虎様に手見上げを一つお持ちしております、その品も某の上役が作りし未来の刻の物だそうです!!」



景虎に渡した品とは外装を綺麗に蒔絵で施した遠眼鏡であった、当然の如く喰いつく景虎。



「凄い品じゃ! 」



「その品は某の上役が具現化した物を景虎様用に綺麗に施した遠眼鏡であります、その他にも農作業で使う品など多数の品があります、如何でしょうか、今川と誼を深くし手を結ぶ事でこの地が豊かになる事が見えますでしょうか?」



「ふ~む、一つだけ気になる事が・・・今川家の活躍にて関八州は平穏に向かっている事は理解出来るが、西の京を中心とした五畿や、中国、九州といった西国は我ら関東では遠くに位置しており同じ日ノ本ではあるが寿桂尼様はどのようにお考えなのでありましょうか?」



「某今川家仕える前に諸国を20年かけ西国も詳しく見て参りました、特に五畿と呼ばれている大和・山城・摂津・河内・和泉の国々は帝の住まう京に近く常に権力を求め敵対する者に対しては容赦なく将軍家の力も及ばず荒れています、さらに一向を中心とした宗教勢力も敵対する者が武家であっても僧兵を使い狂うた地になっております、御台様はそれらの世界を変えるには圧倒的な力が必要であると、要約すれば今川家300万石、北条家300万石、そして長尾様に是非とも300万石の大家になって頂きたいとの事なのです!! その力を結集し西征するしか無いであろうと、そのようにお考えの様です!」



「ふ~む!! その為に当家に使者殿が、山本殿が来られたと言う深淵なる意味がありましたか、300万石とは途方もない石高であります、趣きは充分理解出来ました、明年田植えが終りました頃に寿桂尼様の元に返礼を兼ねてお伺いいたします、その際は是非に教導をお願いします!」



「お~お、それは願っても無い事であります、御台様は女性にょしょうの身ゆえ外には出られませぬ、きっと大喜びされましょう!!」



寿桂尼が考える天下泰平は一つの家が巨大な力を得て平穏な世になってもそれは独裁に繋がり結局富を独り占めされ苦しむのは民であると、世界の歴史を知る寿桂尼であれば当然の知識であり、複数の大家が力を併せ国全体を治める事が最善と結論付けしていた、前世での民主主義など、戦国の民が理解するには程遠い事でありそれこそ武家社会が受け入れないであろうと、先ずは平穏な日ノ本を目指す為の、資格がある家として長尾家を選択していた。


史実における長尾景虎は管領職を譲渡され上杉謙信となった後に大義を得た事で北条家から関東の地を取り戻すべく越境し幾度も戦を起している、但し関東の地は坂東武者の血が濃く、謙信が関東から去れば主を北条に変えてしまう家が多く、晩年はそれに苦労する謙信であった。

他にも謙信に取って耐えがたい存在は武田信玄であった、他領を乱取りによる強奪を平然と行い領土を広げる天敵とも言える存在の為に関東を平定する事が出来なかったと言っても過言ではない。


その史実も良く知る寿桂尼は武田と言う家を甲斐から外に出さぬ為に、木曽家、諏訪家へと手を伸ばしたのであった、そして此度は止めと成る長尾家であった。


長尾景虎を今川側の陣中に組み入れる事に成功した事で寿桂尼は将来禍根の芽となりそうな人物を服部衆に命じ思い当たる処を探させたが行方不明となっており史実違う事に戸惑う寿桂尼であった。

その禍根の芽となる人物を抱えようとした、その人物こそ木下藤吉郎であった。


木下藤吉郎とは誰もが知る羽柴秀吉であり後の天下人豊臣秀吉である、史実では1550年に今川家直臣飯尾家配下の松下之綱に仕官を求め仕えている、藤吉郎はある程度目をかけられたようだが、同僚からの妬みにより今川から離れる形となった、その結果織田信長と出会い出世街道を歩み始める、秀吉はどの時代においても優秀であり人の心の中に入る術を持つ人材と言えたが、織田家においても同僚からの嫉妬による妬み、そして上役達からの嫌がらせが横行するも、当主である信長が秀吉を認め譜代の者と競わせる事で織田家は大きくなって行く、その人材となるべく秀吉を先に抱え込もうしたが史実と違い、今川の中にも織田家の中にも秀吉らしき人物は見当たらない結果となった。



そんな折に河越夜戦で行方知らずと成っていた関東管領である上杉憲政が居城を捨て史実と違う今川に庇護を求め残兵500を引連れ今川館に逃げて来たのであった、史実では長尾景虎を頼りに越後に落ち延びするはずの上杉憲政が今川に来た事に戸惑う寿桂尼であった。



上杉憲政と対面する前にどうしてここに来たのかと言う理由をそれなりに配下の者達より聞き出した所、居城の平井城が北条勢に取り囲まれ援軍を求め越後に向かう事になったが、武田を回避し諏訪に差し掛かった処で諏訪家より頼るなら力ある今川を頼るのが一番であると進められ態々駿河まで落ち延びて来たと言うのが実態であった。


この関東管領上杉憲政は史実においても華美を求め管領という権威にしがみ付き傲慢な武将と言えた。

その武将が庇護を求めて来た事で関東は史実と違う事象が湧現した。



史実を知り先手を打つ事で史実違う現象が起き始めたという所でしょうね。

次章、関東管領『北条家』になります。

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