直訴状の行方!
1506年、帝のいる京の治安は荒れていた、帝はどの時代においても日ノ本頂点に君臨する現人神であり尊貴なるお方である、それは百姓を初め武家の者に至るまで同じ認識と言えた。
本来であれば武家の頂点である足利将軍家が治安維持の責任ある立場であるが、その足利家は将軍は存在するものの力無く幕府は機能不全に陥り京の町は無政府状態であった。
では他に朝廷を助ける事が出来る力ある武家はいるのか? 力ある武家はいるもののその地でも既に戦が始まっていた、その地とは関八州と呼ばれており将軍と同じ様に権力を持つ管領上杉顕定がいる、しかしその肝心の管領家は戦の最中であり八屋形と呼ばれた豪族達も二手に分かれて戦を行っており朝廷を、帝を支援するには程遠い状態と言えた。
東国は管領家上杉を中心に戦であり、四国、中国、九州の地は室町幕府の管領である細川政元を中心とした勢力による権力闘争による多数の戦と一揆による乱が頻発していた、この同時期に戦はあるものの遠江国と駿河国を治めるの今川家と伊豆と相模半国を治める北条家が細川政元とはやや距離を置き独自の道を歩んでいた。
戦国期に入る前は公家達の家々は各地に荘園《田畑》を持ち、その地域を支配する武家が荘園から収穫した米等を公家に献上し、献上された収穫物で生活の糧としていたが戦乱が広がった事で戦の為にいつしかその荘園から得る作物は武家の物となり荘園の機能は無くなりつつあった。
それでも公家の中で地位の高い家の荘園は多少なりとも武家側でも気を使う家があり中御門家においても京の町から近い荘園から100石ばかり得る事が出来ていた、その荘園が今回三好の兵達による乱取りされ米を得る糧を失ってしまった、その事を知った娘の千寿《千》が怒りの直訴状を父親に内緒で三好家当主に届けた事で思いもよらぬ展開が待ち受けていた。
── 直訴状 ──
「なに!? 三好家の使者だと!!! 三好の者が来たとは?・・・何事であろうか?」
「それが・・・姫様に用事があると・・・」
「姫とは誰じゃ? 藍の事か?」
「それが千姫様です」
「はっ、姉の千寿じゃと・・千寿に用事があると言うのか?」
「それが申しあげにくいのですが・・千寿様が三好の家に米泥棒されたゆえ返せという直訴状を出したようなのです、それについての使者だと申しております」
「えっ!・・・米泥棒・・・直訴状だと・・・一体何を仕出かしたのじゃ、儂は聞いておらぬぞ!! 相手は飛ぶ鳥落とす勢いの三好であれば只事では済まぬぞ!・・千を呼べ、使者には丁重に控えの間に・・いやいや来接の遇する部屋にお通し致せ! 粗相のないように遇せよ!!! それと急ぎ千を呼べ!!」
千の父中御門宣胤は父親の代から権大納言という高位の帝に仕える家であり拝殿を許可なく出入りできる資格と帝とも直接話の出来る立場であり官位という点では三好より五段も六段も上の者、本来であれば使者如き者など追い返せるだけの家柄と言えたが、現状では武力のない公家では争いをさけるしか方法は無かった。
千を呼び何事を仕出かしたのかと問いただすも、千は何事もなく荘園で盗まれた米を返して欲しいと三好家当主に文を出したと、更には何も心配いりませぬ、こちらは返して頂く側であり相手は盗んだ側だと、使者が来たという事は米を返して頂く算段が付いたのだと千は喜んでいます、という返事であり呆気にとられた宣胤であった。
千が何事もなくあっけらかんと説明した事で大事にならぬのであればと使者と会う事にした宣胤であったが話し合いはとんでもない方向に動く事に。
「では使者様の話は野盗の集団が三好の幟を使い勝手に米を盗んだと? そして三好様は妾の文をお読みになってそれでは大変であろうとの事で米を10俵恵むという事で間違いありませぬか?」
父の宣胤は横で聞いていてハラハラしたものの使者の話す内容にやや安心していた、無くなった米が10俵ではあるが頂けるという話に安堵していた、そもそも使者は三好の者が狼藉をしていないと申す以上後は丁寧に使者を遇すればと、ほっとした処で千が使者にとんでもない暴言を吐き出した!
「父上様、今のお話をお聞きいたしましたか?、狼藉した者は野盗であり、三好様のご家来衆では無いが、此度の事を憐れんで態々三好様が米を10俵下さると言うお話です・・・千が文をお出し致しましたので千が使者様にお返事しても宜しいでしょうか?」
笑顔でニコニコと話す千に父宣胤も使者にあいづちした上で千に、返事をするが良いと承諾した。
「では父上様より千が返事をしても良いとのお許しを頂きましたので使者様にご返答致します、此度の使者様からの申し出は主である三好之長様を愚弄するお話であり使者様は当主様の了解を得ていない筈である、趣の内容は使者様の悪知恵からのお返事であります、主家を誹り誹謗するまやかしの類、或いは三好様の地位をお下げする返事となっております、そのような事に当家中御門家は同意できませぬ、この話しが本当のご回答であれば、此度の趣の内容が帝に通じれば三好家は由々しきお家であると、千は三好様を慕っておりますゆえ到底受け入れる事は出来ぬ話であると使者様にお伝え致します! 急ぎ戻られ妾が述べた口述を一文一句漏れなく三好之長様にお伝え下さいませ、千は承服致しかねます!!」
千からの返事を聞く内に顔を赤らめ眉間に皺をよせ手を震わせ今にも襲い掛かりそうな使者ではあったが仮にも大納言家であり手を上げる訳にはいかなかった、ここは我慢し千の話を聞き終え確認した。
「幼き姫子とは言え三好の使者を愚弄した事許せぬが、ここは大納言様の御顔を立て今一度確認致す、姫子は某の話した内容に対して話した趣が主家である三好様を愚弄したと言うのでありますな、ご返事によっては童と言えども只では済みませぬぞ、今一度姫子の返事を賜りたい!」
「確かに妾は幼子でありますが数十万の石高をお持ちの当主様である三好之長様に直訴状を持って訴えている以上妾は覚悟を持っての訴状であります、父は大納言である中御門家の当主である、その位にかけての娘からの文でありますぞ! 位で言うならば其方がお会いする事も出来ぬお身分の家であり、その娘である事を知ってのご返事でありましょうか? そなた使者様こそ只ならぬ事を理解した上でお越しになりましたのでありましょうか? 幼子と思うて愚弄し誤魔化しの回答をするとは其方様であるぞ!! 妾の覚悟を見損なっているのではありませんか? いざ使者様のご返答は如何に!!」
千が童ではあるが如何にも怒り憤慨しているとわかる言葉使いで堂々と覚悟を持ってお出しした訴状であるとの訴えに驚く二人、相手を子供と侮ったゆえの回答にぐうの音も出なく一言も反論出来ずに暫し沈黙の時間が過ぎた、はっと我に返る使者は千の姿が老練なる知恵者と錯覚する程の回答に自分では無理だと悟る程であった、それ程見事なる意趣返しの返答であった。
「・・・・この話某はこれまでと致す、御覚悟あるとのご返事であればそれ相応に思案しなければなりませぬ、此度はこれにて失礼致しまする、大納言様お時間を頂きましたがどうやら姫子様は立腹のご様子にて、返りまして主に本日の事、ご希望通り一文一句述べさせて頂きます、この件ご了承下さいませ!!!」
宜胤は碌に返事も出来ずに固まっていた、娘の千が事もあろう事に三好家に喧嘩を売ってしまったのである、下手をすればその身は三好家に捕らわれ最悪の場合は・・・・殺されるやも知れぬ・・命を失わなくてもこの件で三好家に当家が脅され厄介ごとがまいり込むであろうと固まっていた。
使者が帰りぼーっとしている父上に向かって語りだす千であった。
「父上様これで盗まれた米は必ず戻ります、三好家は当家を頼る家となります、先ずは上々の話し合いでありました、これにて千が孝行出来る算段が出来ました!!」
ニコニコと笑顔で退出して行く千の後ろ姿を見送る父大納言の姿がそこにあった。
千は歴オタであり現代の令和では60過ぎのおばさんである、姿形は6才の可愛い女子であり童である、その童が三好家に挑戦状を・・啖呵を切り勝負を挑んだのである、千には勝算あっての喧嘩であった、
何故三好家に喧嘩を売ったのか? これより後の約40年後のひ孫の代・三好長慶では阿波国・丹波国・山城国・和泉国・摂津国・淡路国・讃岐国・播磨国を治め他にも近江・伊賀・河内・若狭にも影響力を強め戦国期前半期の天下人に一番近い家となる。
千は三好家がこれから大きく成る為には官位が必要であり朝廷との繋がりが絶対必需条件であった、その事を良く知る千は公家の娘ではあるが最初に触手を伸ばす家として三好家をターゲットにしたと言える。
その一週間後今度は別の使者が招待状を届けに来た、その文に書かれた内容は先だっての使者が失礼な物言いをしたという謝罪の言葉と大変珍しく美味しい茶菓子が手に入ったので一緒に食しましょうと言う誘いの招待状であった。
三好之長は使者が僅か6才の姫君に追い返された事で興味を示し一興としてその幼子を館に招いて見たくなったと言うのが本音であった、之長は今は細川家に随従しているが何れ時が来れば家をもっともっと大きくしたいとの野望とも言うべき希望を持っていた、戦国の争いはまだまだ続くであろう、生き残る為には細川管領家に従うだけでは何れ息が切れ続かないであろうと先読みしていた、そんな中で中御門家の娘より直訴状なる訴えが届いた事に変わった出来事が出来したと言う興味を示した、使者が追い返されるなど面白き事が生じたとの一興とでも言った所であった。
招待状が届き二日後に正式に三好家の家紋のある輿が千寿を迎えに来た、不安そうに見送る父と母ではあったが管領に付き従っている三好からのお誘いであり文面からは大事には成らないであろうとの判断であった、この輿の千に付き従った者に風変わりな男、中御門家で仕えている一善が千の希望で付き従う事になった、風変わりな男で元は山伏であり僧侶でもあったと言う経歴を持つ下男、男の名は中御門家では善一と呼ばれていたが、最近千より一善と名を改める様にとの事で最近は一善と名乗っていた。
この一善の主な役割は炊事場の薪の手配と薪割であった、下男と言う立場で10年程前から父の宜胤が雇い入れた者である、最も托鉢中に野盗に襲われ中御門家の門前に逃げ込んで来た事がきっかけでいつしか家の下男というのが本当の処である、山伏であった事、僧侶でもあったという経歴があり物知りであり算術も出来る事から下働きの他にも器用にこなす一善を伴っての出立であった。
館に到着し控えの間に案内された千は部屋中央にある用意されていた座布団にちょこんと座り首を下げ目を瞑り動かなくなった、勝負は始まった、相手の出方にもよるがこちら側が望んでの勝負であり勝利する事が千にとっての転生した最初の一歩であり今後を大きく左右すると心の中でほくそ笑んでいた。
ここで従者の一善に付いて述べる、一善の主な仕事は炊事で必要となる薪の用意と小用全般の何でも屋という感じであった、自由に移動できる場所は裏方となる使用人が働く場所となる、何故千は一善と親しくなったのか? 5才の頃より居住エリアを移動する事が許された千が斧で薪割りしている音に気付き裏庭で作業している当時の善一と名乗る男を見かけた事がきっかけであった。
千は前世での夫が弓道をしており矢を射る呼吸とも言うべき静の動作に何度も魅入っていた記憶が、善一が割る薪割り、何でもない動作であるが斧を振りだせば心地良い音でさっと割れて行く丸太に関心していた、薪割りも熟練の域に達すると矢をいる動作の静に通じるものがあるのかも知れないと興味を示した事で声を掛けたきっかけで時折姿を見れば話す様になっていた。
話す中で山伏であったり僧侶でもあった話に興味を示すも何処か暗いところがあり千より核心を突く質問が投げられた事で善一の名が一善となった経緯がある。
「善一はもう山伏や僧侶には戻らぬのか?」
「・・・もう戻りませぬ・・・」
「ではこのまま当家に仕えるという事なのか?」
「判りませぬが、今暫くはお仕えさせて頂きとう御座います」
「では何かを行うなどの夢を持っていると言う事なのか?」
「いえ、姫様某はもう夢など持っておりませぬ、某の夢は無くなり申した!」
「そうか、では夢を、新しい夢を探すとしよう、妾は小さい身ではあるが大きい夢があるぞよ、どうしても夢が見つからねば見つかるまで妾の夢の手伝いをするのはどうか?」
「えっ、姫様の夢のお手伝いでありますか?」
「夢はどこまでも夢であるが手に届く様に心がけるだけでも夢は近づく、妾の夢は1人では出来ぬ、大勢の者が味方となり共に歩まねば夢が成り立たぬ、そなた善一が最初の味方になれと誘ったのじゃ!!」
「それはそれはありがたい話であります、姫の夢はどのような物でありますか?」
「この世は闇に覆われている、父上様と母上様の話を聞いているだけで闇が深いと理解した、父上様は帝を御守りすると言う大切なお役目であり公家の中でも高位なる父上様である、その父上様が嘆く世の闇をとりはらうのが妾の夢である」
姫の話を聞いていて瞠目せざるしか無かった、5才と言う幼子の口から世の闇を払いたいと言う、それが夢であると言う言葉に声を失い自分の愚かさを知る善一、善一が夢は無くなったと申した事には理由があった、僧侶として修行する中で僧侶の世界が腐っていたと言う出来事にあきれ果て中には他宗の僧と口論となり闇討ちまでする僧の仲間がいた事に失望する出来事があった、その為托鉢での修行に心がけていたものの野盗に襲われ命を失う危機の処を中御門家の門前に辿り着き庇護されたのが善一であった。
「今日から妾の夢を手伝うなら一善と名乗るのじゃ、其方の名は一善と名乗るのじゃ!!」
「えっ、善一では無く一善ですか? 何故ですか姫様?」
「新しい旅の始まりじゃ、前に進むのであれば新しい名になっても良いでは無いか、だから一善なのじゃ、善一より一善の方が得がある名前じゃ、妾が名付け親じゃ!! 嫌か?」
「判りました、姫の夢を某も見とう御座います、名は一善でお願いします!!」
千はこの時代の山伏の事を知っていた、山伏とは修行僧ではあるが神仏混合の修行僧であり険しい野山が道場となる、どこにも属さぬ国境に捕らわれない者達であり日本独特の裏社会の住人、その者達は不思議な連帯を持っている、この一善は必ず役立つ者となろうとの判断からの呼びかけだった。
「姫様、人が来ます、お呼びかと思われます!」
物語が進み始めました。
次章「先手と後手」になります。