出会いと別れ・・・2
氏親の長男は後の氏輝、双子の次男は氏政として紹介しています。
今川家当主今川氏親が中風で倒れた事で極秘の評定が開かれた、氏親の席は空白となり上座横には正室の千寿が座り隣に関口が控えていた。
先ず氏親の様子が関口より語られ、この事は秘匿であると、殿は当面復帰する事は出来ないであろう、よって殿に判断を仰ぐ出来事が出来した場合はお方様よりお伝え頂き殿の指示を仰ぐ、各々方は持っている領内の政と他家への警戒を怠らないようにと関口より伝えられた。
「関口殿! 今の話ですと、殿は話せるのか?」
「では妾より殿の様子を今一度説明致す、殿のお身体は思う様に動かせぬが、こちらの問いかけには理解出来ておる、口元はおぼつかない物のゆっくりであれば幾らか話も出来る、日頃より殿と話している妾であれば何を言いたいのか伝心出来ておりますのでご安堵して下さいまし、それと殿より皆様に伝えて欲しいと、今川家の今後について、明年元服する竜王を次の当主と致す事を広く公言せよ、当主である儂が安泰な内に次を公言し他国に隙を与えては成らぬ、儂が生きている内は儂が当主であり、嫡男は竜王であると宣布せよとの命でありました、よって皆様は殿の意思に背く事無く今の話を領内に公言して下され!!」
「お~それは一安心でございます、殿はお元気であり元服を迎える嫡男様でる竜王様が何れ殿の後を継ぐと言う事を領内に広める訳でありますな!!」
「如何にもその通りであります、殿も意思表示出来ておりますのでこの場には来れませぬが妾も関口殿も近くにおりますので何も心配いりませぬ、お身体の調子が快方に向かえば皆様とお会いする事も出来ようかと思われます、この後の酒宴もいつも通りに手配しております、皆様の明るい声をお届けして下され、さすれば殿も安心致しましょうに!」
「明るい声という事は・・・騒げと申されている訳でありますな! いつも通りであれば隣の岡部殿が毎回騒ぎ立てております、今日は岡部殿の独壇場になるやも知れませぬ!!」
「おっほほほほー、それは困りましたねぇー、では皆様が騒げるように一工夫致した珍しいお酒をお出し致しましょう、大変高価なお酒となります、勘定は妾が持ちましょう吟味してみて下さい」
千寿の用意した酒とはワインであった、戦国初期の酒は濁酒が一般的であり澄酒は僧門の極一部でしか作られておらず出回っていない、澄酒の作り方も良く知る千寿であったが羽鳥の里で最近ようやく葡萄が実り初めた事で今夜は初の葡萄酒を用意させた。
ワインが全世界に広まった大きな理由はキリスト教の布教による副産物だという、キリストがいた時代には既にワインが存在しておりキリストの教えが布教で広がる事でワインも同じく広まったとされる、日本においてもそれは全く同じであり、布教を認めた信長によって珍陀酒という名で広がる事になる。
千寿は氏親が史実と同じく中風を避ける事は出来ぬであろうと、であれば少しでも発症する時期を又は病状を軽減できればと考え数年前より葡萄を育てており氏親には濁酒では無くワインを飲む様にと進めていたがどうしても濁酒の方が良いと言うて飲ます事が出来なかった、代わりに食前の際に帝も飲んでいると伝え無理やりコップ一杯を飲ませていた。
一説によるとワインに含まれているポリフェノールが脳卒中並びに心筋梗塞のリスクを減らす効果があるという研究レポートがある、只ワインも酒の一種であり嗜好性も強い事から飲酒量が問題となる。
「この酒は赤色の酒でありますな、酒というより水のようにさらさらとしております、だが酒精は確かにありますな、はて?なんの酒でありましょうか?」
「この酒は外つ国の酒であります、何でも体に優しく女性も好んで嗜む酒の様です、何れ量が多く作れましたら皆様の奥方様へお分け致します、先ずは初物に成ります召し上がって下され!」
氏親の病状は千寿が皆に伝えたよりは実際は重たい症状でありほぼ動く事はおろか話す事も出来なかった、それ以前に全ての事を忘れてしまっているようであり問いかけにもほぼ反応が無い状態であった。
関口もその状態を確認しているが動揺を与えぬように態と意思表示は出来るとの説明をしていた、この日が来る事は嫁ぐ際にとうの昔に知っていた千寿ではあるが悲しみとは別に覚悟を決めるしか無かった、今川家には氏親が中風で倒れた事で舵取り出来る者は史実と同じく千寿しかいないのであった。
誰かを頼り深い悲しみと行く先の不安を話した処で進む道が明るくなる訳でも無い、ただ幸いなことに氏親の母親である北川殿は健在である事で北条家は触手を伸ばしては来なかった、警戒する家は織田家と武田家であった。
そして史実でも織田家庶流であった織田信秀が急速に尾張国で力を伸長し主家を呑み込む勢いで勢力を伸ばしていた。
今川家の持つ領国は駿河国と遠江国というのが一般的な常識とされているが実はある一時期の期間ではあるが尾張国の那古野城周辺《後の名古屋城》の領地約15万石を庶流となる今川氏豊氏《今川那古屋氏》が治めていた時期がある、その地は1538年に織田信秀によって奪われてしまう、それ以降は織田家の領地となってしまうという史実がある。
那古屋氏では跡取りが無く氏親の子であった氏豊を養子に迎えており史的資料では今川那古屋氏と称されている、但し余りにも歴史から早くに去った事で詳細な記述は不明となる。
もう少し説明を加えるとすれば今川家の駿河と遠江の隣に水野家と松平家の三河国がありその隣が今川那古屋氏となり、その隣に織田信秀の領地(現在の愛知県、津島を含めて愛西市)であり、今川那古屋氏の当主、今川氏豊と織田信秀は当時は親しい仲であったが、それが裏目となる乗っ取り事件が起きる。
『名古屋合戦記』によると、氏豊が連歌を非常に好み、信秀が那古野城に催される連歌会に足繁く通い何日も逗留し、氏豊に信用されるようになったある日、信秀が城の本丸の窓を開けるが、氏豊は夏風を楽しむ風流のためだろうと信頼しきっていた処へ信秀は城内で倒れてしまう、倒れた信秀は家臣に遺言をしたいと頼みたいと申し出る、同情した氏豊はこれを許し、信秀の家臣が城内に入り、その夜に信秀は俄かに城内に引き入れた手勢を使って城に火を放ち、城の内外から攻め寄せて城を乗っ取られてしまう、捕縛された氏豊は信秀に命乞いをして助けられ、奥方の縁を頼って京に逃げる事に。
という事が合戦記に記されているが、そもそも合戦にもなっていない、実に腑抜けな策で城を乗っ取られ今川那古屋氏はこれにて戦国から消え去ってしまう、信秀にしたら笑いが止まらないと言えよう、この今川那古屋氏が治めていた那古屋氏の領地15万石を手に入れた事で織田信秀は織田家の庶流であったが一気に頭角を現し、力を得た信秀は熱田も手に入れてしまう。
付け加えるなら、この間の出来事の少し前に、1534年に織田信長《魔王》は誕生する。
現時点では氏親は亡くなっておらず先に述べた氏豊の那古屋周辺の領地は織田信秀に奪われてはおらずその事をよく知る千寿であった。
── 竜王《氏輝》と彦五郎《氏政》 ──
史実を知る千寿は双子の長男竜王《氏輝》と次男彦五郎《氏政》は23の時に同日に何者かの手によって毒殺させられたと判断していた、何者が行ったのか史実でも資料の手がかりがなく不明であったが何れ起こるであろうこの日を回避する為に、氏親が倒れた事で一気に奥室の態勢を変更した、氏親が床に着くという事はこれ以上殿の御情けを与えると言う意味の側室との寝屋を共にする必要もなく女達を囲う意味が薄れた、そこで子を成した側室には別棟に移動させ手厚く保護し、子が出来なかった側室には手当を与え元の家に戻すことにした、千寿が奥を支配しそれに従う侍女は全て千寿と関係した縁ある者達に変更した。
それと千寿が産んだ子に三男義元を含め三名の子は千寿の手元に置き帝王学を自ら教える事にした。
それ以外の側室が産んだ子は何れ養子か出家の道に歩ませる事にした、それは史実と同じと言えた。
龍王と彦五郎は5才、義元は1才となり先ずは双子の長男と次男に光を当て慈愛ある教育を自ら行う日々に、他に氏親が密かに推し進めていた分国法の手伝いを、その中身について吟味し氏親が描いている内容を一つ一つ作り上げていた、戦国大名初の今川家分国法、正式な名は『今川仮名目録』である。
今川仮名目録の解説では氏親と義元で作成されと記載と紹介されている場合があるがそれは間違いであり、氏親が作成し中風となってから妻の千寿が手伝い完成させている、その後27年後に義元が追加の条文を加えたのが正解であり親子で作った訳では無い、既にしっかりした基礎が出来た上に自らの武威を示す為に条文が付け加えられたのである。
忙しい日々を送る千寿、夫氏親の介抱と今川家のトップとしての采配、そして竜王と彦五郎への帝王学という教育である、そして半年が過ぎた頃に彦六より漁師頭よりその後あの事に付いて再び問い合わせがあり忘れていた娘婿への嫌がらせをした名主の件が再び持ち上がった。
「彦六! 済まぬすっかり失念していた、昨年の秋に決裁すると約束していたのを忘れていた、その後の事に付いて何か見知っているか?」
「殿様が病となりお方様が忙殺されております事我ら承知しております、某が秋の収穫時に密かに名主への年貢供出の件見届けておりますのでご安心下さい」
「それは助かった、でその婿殿とやらは・・・たしか名主より過去の分の罰として40俵であったか? それを納める事は出来たのか?」
「はい、正確には罰の分40俵と昨年の持ち田4枚の16俵、計56俵を見事名主に納めております」
「それは立派であるな! 田四枚しか持っておらぬのにどうやって56俵もの米を用意したのであろうか?」
「それも確認しております、その婿の名は耕作と申しますが、集落の農民に米が増える田植えを教える代わりに増えた米は飢饉に備えて最低1年は困らな量を備蓄する事を条件で教えたようです、自らも何年も前より備蓄していた米がありそれらを全て名主に供出し難儀を逃れたのです、実に立派な心がけであり私も感動致しました」
「・・・本当にそのような農民が・・おったのか・・・才ある若者に娘を嫁がせる事が出来たと喜んでいたが、飢饉まで備えていたとは、で名主の方はそれで鉾を収めたのか?」
「それがこの罰した米ですが、そのまま名主の蔵にあります、年貢として納めておりませぬ、役人はその事を知りませぬ、此度の件は名主がその農家を排除する目的の奸計であると某は判断しました」
「であろうな、謀である事は薄々判っていたが、露骨であるな、一農家に40俵出せと命じて出せる農家は無いであろうに!!・・・納めたという事は何れ又もや謀を致すという事だな!!」
「お方様、それと付け加える事があります、その集落では名主より無理難題の40俵を出せと言われた耕作の家に集落の皆々が備蓄している米を供出すると、それを使って欲しいと申し出あったそうですが、それは皆の血と汗の米であり大切な宝物であると、米の手当はなんとかなると申して断ったそうです」
「ほう、そこまで信頼されているのか、この話は今川家の領内に広めるべき話ぞ、武家の力は源は農民の作る米ぞ、米無くして今川の力は保てぬ、80万石の力はこれ全て米一粒から成り立っている、田植えが終りひと段落した来月に評定前に裁定を下す事に致す、その地の代官と役人、名主と集落の顔役と息子の耕作と言う農民親子と漁師頭を集めて裁決を下す、その手配を頼む!!」
初めて知った今川那古屋氏という家があった事に、それも今川氏親の庶流の子が養子となり当主に、更に織田信秀に乗っ取られてしまうとは、今川家だけの戦国大河ドラマ充分出来そうですね。
次章「出会いと別れ・・・3」になります。