出会いと別れ・・・1
千寿が示した新しい田植えにより今川領内の石高は三年程で劇的に飛躍した、当初40万石だったのが、田も増やした事でこの秋の石高は78石となっていた、これにより千寿の地位は今川家№2として誰もが認める副当主となっていた。
史実とは違い戦も積極的に行わずただひたすらに米の増産に取り組んだ事でほぼ倍増の石高を得たのであった、当主氏親はその間内政と子作りに励み種を蒔き散らしていた、この動きは史実と同じてあり側室が宿している子も含めれば14人となっていた、千寿も既に三男良真、四男義元を前年に産み落としていた。
千寿は氏親が史実と同じであれば間もなく中風で倒れる事を予知しており何とか時期を遅らせればと食事にも配慮していたが、側室に次から次と日々渡り廊下を歩くが如く子作りに励んでいる姿を見て、中風になった原因は精力の使い過ぎであったのでは無いかと、心の中では、猿なのか、それともバカなのかと半分諦めていた。
戦国時代では夫が正室以外に側室を設ける事は常識であり子を多く成す事は一家繁栄の証とされており、子の少ない当主には配下の者が側室を用意するのが忠義とされていた、だからと言って史実通りに日々子作りに励む氏親を間近かで見ている千寿の心は呆れていた、現代の転生者であれば当然と言えよう。
そんな中、彦六が変わった歎願状を携えて千寿に差し出した。
「歎願状となっているが、どうして妾に出したのじゃ・・・? 」
「それが私も話の趣きを聞いた処、どこに出せば良いのか判らず、お方様に出すのが一番であろうと判断致しました」
「訴えであれば代官かと思うが、その地の代官では無理かも知れぬと言う事じゃな、では訴えを差配するのは初めてとなるが先ずは文を読むとするか!」
「ほう・・三保の漁師頭から・・・はぁ~・・小河内集落の年貢?・・・・名主より不当に過去の分50俵を納めろ・・・出来なければ水吞とす・・・?? 済まんが・・・良く意味が判らぬのだが!!」
「文を書かれたのは三保の漁師頭であり侍の身分として騎乗を許された美保良三と言う者になります、某も一度会っております、その誼で某に託された文です、文字も最近覚えたばかりで稚拙な文となりますが、その漁師頭の美保良三の娘が小河内集落の農家に嫁いだのです、訴えた内容は義理の息子が不当な扱いで困っているのでなんとかして欲しいという事柄に成ります」
「成程、では何がどの様に不当な事が生じておるのか?」
彦六の説明で判明した事は、小河内集落で10年程前から娘が嫁いだ農家で米の増産を行っており今では田が四枚となり、米の取れる量も増え豊かになっていた、当時は集落では田一枚で米3俵の年貢でありそれを守り納めていた、自ら田植えを工夫し増産させていたが、田一枚3俵であったので、増えた米は自分達の物としていたが、三年前より5公5民と成ったので取れた米の半分4俵を納めていたが、名主より突如3年前より以前の米を増やしていた当時も4俵納める事が出来たのに納めなかった罰として40俵を過去の分として納めよという命が下された、これはおかしな話であり言いがかりであり不当な処罰であるのでなんとかして欲しいとの説明であった。
「なんか変な話であるな!! 何故昔に遡り、それも一農家に40俵もの罰が課せられるのだ?」
「私もその事を聞いた処、嫁いだ農家の夫が大変優れた息子であり田植えをお方様の様に工夫され米が増えた事でそのやり方を集落の者に教えた事で、集落は豊かと成り、その家の父親が今は集落の顔役となり纏めているそうで、家も新しく作る為に漁師頭が援助した事で名主の家に次ぐ立派な家となり住んでいるそうです、処が家を作った頃より名主から何かにつけ嫌味を言われその集落はやや孤立しているそうです、そこへ来て今回突如過去の増えた米の分と納めなかった罰として40俵の米を納めろという話だそうです!!」
「それは名主のやっかみで気にくわぬから勝手に罰を与えているという事か? その地の代官に訴えれば良いのにどうして彦六なのじゃ?」
「それは仕組みなので出来ませぬ、代官に訴え出るには名主を通さねばなりませぬ、代官に訴え出るに相応しい内容なのかを名主は判断する立場に成ります、その農家からは訴えたくとも訴えする方法が無いのです、だから代わりに義理の父親である漁師頭の良三から私に歎願という形で文が寄越されたのです!」
「そうなのか? 名主を通さねば訴え出る事が出来ぬと言う事だったか、妾もそこまでは知らなかった!! ,年貢が田一枚3俵の時はそれを守っていたのであれば何等問題ではないであろう、むしろ自ら工夫して米を増やした分は農民の取り分であり実に立派な事でありむしろ奨励すべき事である、自分に出来ぬ事をされた名主は立場を利用しその農家を排除するつもりなのじゃな、それにしても同じ農民でありながその様な悪事を行うとは、出る杭は打たれるという見せしめか、処で何故漁師の娘が農家に嫁いだのだ?」
「あ~それは以前お方様の言い付けで甲斐国に武田信虎が統一した国内の様子を探れとの命があった時の事です、二年前の事に成ります」
「確かに申し付けたが農家の事は何も聞いておらぬぞ」
「えぇー、帰りの道中で雨となり難儀したいた処に小河内集落を見つけ立派な家がありましたので一晩世話に成ったのです、その夜の夕餉では山奥の集落では珍しい鯵の干物が出されたので、山間の集落でどの様に干物を手に入れたのかと聞いた処、漁師の娘と結婚したので定期的に干物と猪や鹿の干し肉と交換しておりこの集落では皆が食べていると聞き驚き、どうして漁師の娘が嫁ぎに来たのかと聞いた処、その農民の息子が魚が沢山とれる方法を教えた事で漁師と縁が出来た事で結ばれたと、それで帰還してより後日その美保の漁師に確認為に訪れた処なんとその漁師とは三保で有名な漁師頭だったのです」
「待て待て! 彦六の言うていた漁師とは? 三保の漁師頭とはあの噂の漁師の事か? 漁獲が一気に増え貢献したという漁師の事だったのか?」
「はい、その通りであります、漁師頭の良三に小河原で一泊した事を伝え、娘夫婦に世話になったと伝え、農民の倅より魚が取れる方法を聞いたとは本当の事なのかと聞いた処、漁師頭は自慢話として本当であるとさも嬉しそうに話しておりました、それが某との縁となり此度の歎願状を預けられたのです」
「ふむ~そうであったか、農民の倅が漁師に知恵を授けるとはこれまた立派であるな!!」
「それだけではありませぬ、漁師頭の家を訪ねた時に変わった荷車を使用しておりましたので聞いた処それもその農民の倅が作ったと、魚の荷運びに便利であろうと頂いたと言うておりました」
「それも面白い話だ、妾はこの館から外の世界は羽鳥しか知らぬ、正室ゆえ勝手に外には出る事が出来ぬ、彦六や一善から下界の様子を知るしか手立てがない、実に残念じゃ、自分の目で見る事が出来れば色々な事が判別出来ように!!」
「では一度その荷車を借りて来ましょうか? それとその漁師頭にも会って見ますか?」
「お~それが良い、では一善に小河内の集落に向かわせ、米を増産した話と名主からの此度の命とやらを確認して来る様にと動いてくれぬか、さすれば真実が見えて来よう、この文だけでは誰が呼んでも意味が今一つ分らぬ、彦六が見知っていたから通じるが、先ずはその農家と名主を調べるのじゃ、妾とて勝手な判断は控えれば成らぬ!!」
少し話は変わるが、今川館は現在の静岡市にあり駿府城とも後に呼ばれた地にあった、敷地全体は大きく10万坪を優にた越え敷地は堀に囲まれ庭園と池もある大館であった、館には主殿、会所、常御殿《当主達の居住所》並びに奥座敷、湯殿他数ヵ所の庫裏、遠侍(来客の控え室)蔵多数と侍屋敷多数が立ち並び、城造りでは無く御所と呼ぶに相応しい多数の館から成り立っていた。
何故今川家は当主が住まう地に城では無く防衛するには不向きな館から成り立っているのか? 諸説はあるものの、この当時駿河と遠江の二国を有する大家の守護大名であり今川家を攻め入る事が出来る大名が無いとの自信の表れから城造りは無用とされていたとされる、氏親の中にも将軍家だ滅亡した場合代わりの政を行う地として城造りは相応しくないとの思惑があったとの説もある。
後日一善は小河内から戻り、彦六は漁師頭を連れて千寿の元で結果を伝えた。
「三保の良三と申したな、妾が正室の千寿じゃ、その方実に良い報告を致した、そしてこれがその荷車であるな、どれどれ・・・妾一人でも轢ける骨組みは竹製であり軽く出来ているな・・・待て待てまて~!! これは車輪の軸と荷を乗せる籠との間に・・・バネ? ・・確か板バネだ・・・間違いない板バネだ!! この時代に板バネが既にあったのか?」
「皆! これを見よ、この曲がった鉄板を三枚の板がそれぞれ長さを変え過重が重くなっても車輪と荷の衝撃を和らげる役目のバネと申す板がある、このような板が他の荷車にも使われているのか?」
一善も彦六もその板に気付き首を傾げており、その様子にニヤニヤと笑みを浮かべて三人の会話を聞いている良三!!
「そのバネとか申す板は婿が考案した板です、それがあると無いとでは大違いで、衝撃も和らげますが、車輪の傷みと寿命が大幅に伸びます、その荷車は婿殿が考えた発明品になりますだ!!」
「それは凄い事であるぞ、確かこの板がある事で画期的な荷車と言える、荷を乗せる籠全体をこの様に竹製で軽くする事も出来る、馬が轢く大きい荷車にも応用できる、ノーベル賞ものじゃ!!」
「お方様!! 何でありますかその、ノーベラしょうとか・・? 」
「いや、独り言だ、気にするな!! その婿殿は今日は来ておらぬのか?」
「え~特に呼んでおりませぬ、名主の件を調べ上げたので良いかと思いまして!」
「では良三もそこで聞いているが良い、歎願状についていろいろと調べ上げたので聞いているが良い!!」
一善が調べ上げた一通り報告されると呆れていた千寿であった。
報告の内容に新たな事柄が判明した、名主が小河内の顔役耕太と息子耕作を以前よりいつの日か排除しようと企てた発端は別の処にあった、耕助の集落が見る見るうちに米の増産に成功した事で何時しか集落の顔役となり、さらに漁師の娘と結婚した事で塩と干物が手に入り商人にその干物を売る事で銭を手に入れ何時しか名主の次に立派な家まで建てた事で次の村長の家と言う噂まで出ていた。
そこへ来て二年前に名主の処にいる水吞百姓2軒を耕助の家で銭を払い身請けした事で、名主の評判が一気に下がった経緯が排除の原点であった。
何故名主が排除しなければと思ったのか? 元々水吞百姓は村の百姓であり家族に病気とかの問題が生じた時に名主から借財し、借金が返せない者達を名主が引取りただ同然で都合の良いように使われる下男下女として百姓の資格もはく奪された者が水吞百姓であった。
耕作の家で身請けした2件の水吞百姓を引き取った理由に耕作と父親が忙しすぎて農作業がままならない理由があった、田を四枚に増やした事と、干し肉を作る為に山に籠る必要と、耕作は耕作で子供達に読書きを教え、後家さん達に紙漉きの指導したりとやる事が多く、それの解決策として水吞百姓を身請けをしたのであった。
そこまではそれで名主も銭が入り問題無かったが、身請けした水吞の者達の家族の住まう家は耕助の住んでいた家を提供され、食事も耕助の家で食べる事になり、米が沢山入った飯と時には干物まで膳に出る事で名主の評判が一気に下がり、名主の処にいた他の水吞達が自分達も身請けして欲しいという話まで持ち上がった事で今回の嫌がらせ迄発展したという経緯が隠されていた。
「全くどうしょうも無い奴であるな、良三殿! 今の話を聞いたであろう名主の評判が下がった事でそなたの婿達家族を追いやる謀りであったようだ、今は田植えが終ったばかりである、この勝負秋の収穫時に判決を下そう、それでよいか?」
「・・・はっはー、お方様よろしくお願い致します」
「何故直ぐに動かぬのかという顔をしているな、それはな、その婿殿がどのような手を打ち40俵の米を揃えるのか勝負の行方を見届けねばならぬ、あっさりと名主の軍門に下るのか、それとも抗うのかをしっかりと皆で時を待とうでは無いか、良三殿も手助けをしてはならぬ、今後の行く末に関わる事になるであろう、まぁ~妾に任せておけば良い、案ずるな!!」
不安な気持ちを抱え帰る良三ではあったが、当主の奥方と話せたと言う事は脈はあると判断していた、ただそれがどのような結果になるのか想像が全く出来なかった、一方の千寿はその農家の息子は稀にみる才の持主であり拾い上げる人物に違いないと判断していた、千寿が新しい田植えを領内に広める前に既に似た様な方法を自ら行い米を増やし、その方法を独り占めする事無く集落に伝授するなど、他にもあの板バネは画期的でありこの時代には無い発明品と言えた、まだまだいろいろな事をその若者は手掛けているかも知れぬと思い、秋まで見届ける事にした。
しかし秋の収穫時に千寿は見届ける事が出来なかった、その理由は氏親が史実より早く中風で倒れたからであった、千寿の知る前世での時期より一年早くに中風となり病の床に着いた為に良三と約束した秋の判決が忙殺に追われ決裁が出来ずに翌春迄伸びる事に成ってしまった。
── 中風 ──
今川氏親は史実として中風で倒れ身体が不自由となり言語障害を起こしたとされる資料が残っている、現代の病名で説明すれば脳卒中と断定してよいであろう、脳卒中とは脳血管障害の後遺症として半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺など症状として上げている。
今川家の当主が病に倒れるという意味は敵側の目から見た場合、これほど攻め入るのに好都合な時期は無い、今川家を叩く時であると判断し戦を仕掛ける時となる、何故そうなるのか? 戦える武将は沢山いるであろと思われるが、戦国時代は当主あっての大名であり、当主に代わる、又は継ぐ者が誰になるのかで配下にいる者達の処遇が変わる為に指示を受けねば勝手に動く事が出来ない戦国特有の事情があった、国人領主達が出来る事は自分の領地防衛しか準備出来ない事になる。
氏親が倒れた事で緊急の評定が密かに開かれた、他国に当主が病に倒れたという風聞を防ぐ為であった。
氏親が史実と同じように倒れた事で今川家の命運が新しい局面を迎えて行くことになる。
前世での夫である農民の耕助が今川家の正室千寿に近づいたようですね。
次章「出会いと別れ・・・2」になります。