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仕置と採用




無事に双子を出産してより半年が経過、千寿は赤子を乳母に預け家老の関口を呼んでなにやら話し込んでいた、関口は今川家の縁者であり一族の者である。



「お方様!! お加減よろしゅうようで何よりです、龍様も五郎様も健やかにて今川家は安泰でございます、これも皆お方様あっての今川家であります、我ら一族の者も安心しております、それとお呼びとの事で何か御用でもありましょうか?」



「実はまだ殿にも相談しておらぬ事があり、無事に子が生まれた慶事でもあり果たしてどのように致せば良いか思案しておりました、殿に相談すれば折角の慶事が飛びまする、ゆえにここは親族であり家老として差配する関口殿と妾にて取りまとめた方がよろしいかとお呼びたて致したのじゃ!!」



「なにやら由々しきお話と言う訳でありますな、某で役に立つなら何なりとお申し付け下さい!!」


「ではもそっと近づいて下され、大きい声では話せぬ事に成ります!」



「実はのう殿から拝領した化粧領地の石高が当初聞いていた話と違く400石余り減少していたのじゃ、そこで独自に調べた処減少では無く、勝手にある者達による中抜きがされていたのじゃ、それが妾の領地だけでなく今川家直轄地の年貢米が皆同じ様に中抜きされていたのじゃ、各国人領主達の米は中抜きされておらず、この館に届く直轄の年貢米が中抜きされていたと言う事態が生じていたのだ!!」



「なな・・・なんですと!? 何者達がそのような悪事を・・・磔にせねばなりませぬ、その一族皆磔に・・・実に恐ろしき悪行でありますぞ、お方様その者達とは誰でありますか?」


「まあ~そうなるのう・・・関口殿先ずは落ち着かれよ、今の話は関口殿と妾だけの話ゆえ磔云々は後でじゃ、お仕置きは必要であるが、それに気づかぬ家老達にも責任が及ぶ話ぞ、だから今は二人だけの話として聞いて欲しいのじゃ!!」


「お方様がそう言われるのであれば、今は静かに委細を聞く事に致します」



「是非に頼む、関口殿が騒げば取り返し付かなくなる、では先ず事の初めは殿が当主となる際に今川家で起きた家督相続を巡る争いがきっかけで今川家の財政が立ち行かなくなり勘定方が殿の為に銭雇兵を集める為に元手となる銭づくりの為に年貢を利用した事に始まる、当時の事を委細聞き呼ぶに成程と褒める思案を導き出したと感心致したが、その後も更にそれを今も続け、米問屋と謀り今も中抜きされていると言う話なのだ!!」



「要は殿の為に銭で足軽を集め~~~の為に支払い・・・~~となり、その銭は~~問屋に納め・・・搾取していたという事になる、この話は昨年妾が勘定方の松本殿と米問屋を問い詰め判明しておったが、妾が懐妊となり仕置の機を逃し今日に至る、今年の年貢は昔通りの年貢が納められており一応解決はしてはおる、この話如何思う関口殿!?」



「・・・確かに当時は当主になる殿に歯向かう者もおり今川家は舵取りが難しい時でありました、勘定方が知恵を出し銭を作り銭雇の者達を利用していた時であります、その銭の出所が米問屋でありましたか・・・年貢を担保に捻出した訳でありますな・・・その後も織田、武田と、時には北川様の小田原北条殿とも小競り合いも多くありました、平時では中抜きされ、戦時には銭と変え給金としていた訳でありますな!!」


「お方様の懐妊と和子様の出産との目出度い慶事の時であります、公にすれば私とて監査の責任は問われる事に成りましょう、松本殿の責任だけが問われるだけで済まぬ話となりましょう!! いかように仕置すれば良いのやら・・・」



「関口殿!! これは勘定方だけの責任ではござりません、妾からみれば殿である今川家の責任であります、殿が幼少時に父を亡くされ、その取り巻きの関口殿も含めた当時の家老達全ての責任でもあります、勘定方に銭を工面させその後も放置した責任は重いと妾は考えまする!!」



直轄地の年貢2割が中抜きされたという事は想像を絶する大きな罪であり見過ごしてきた者達も同罪であるという千寿の説明に首をうなだれるしかなかった。



「そこで相談なのだが、ここからが肝心な話になる、罪の罪状は既に明白だが、むしろ今後の事が大切な事なのだ、蔵奉行に確認した処、この館には戦費用の米が常に5000俵は蔵にあると申していた、館詰の多数の兵が半年間は籠れる糧食だとの事じゃ、妾の見立てでは京の戦と同じ様な広がりが益々増えであろうと見ております、今川家の領地は駿河と遠江の二国です、これより10年20年と、いや50年100年と守り切るにはとてもとても今の石高では今川家は守り切る事は出来ませぬ!!」



千寿の話を聞いている内に年貢の中抜きの話かと思われていたが、まさか正室のお方様が10年、20年、いや100年先までの今川家を憂いている話に刮目すると共にもはや今の自分にはとてもとても付いて行く事が出来ぬ話であり只驚き聞くしかなかった関口である。



「そこでどうであろうか、今話した仕置で良かろうか?」


「・・・お方様!! 申し訳ありませぬ、もう一度仕置の中身をお願い致します!」



「これから戦は何処までも大きく成る、その時に必要なのは米と銭だという事は間違いない、今この館に蓄えられている米は5000俵じゃ、実に心もとない、最低でもこの十倍は必要じゃ、それの蔵造りを罰として米問屋に普請としてはどうかと思うのじゃ!! 松本殿からは銭500貫を私財を売り払い届けられておる、確認した処、松本殿の俸禄は600貫だという事だと聞いた、勘定方の内政を預かる最高位の者が600貫とは実に心もとない俸給であるが、武家であるから内政の者は俸禄が少ないのであろう、今は仕方なしであり賞罰として600貫から500貫へ俸給を下げ、依然と同じく勘定方を務めて頂く! どうであろうか?」



「米の備蓄を5万俵・・・松本から銭500貫《5000万》・・俸禄が600貫から500貫・・・ととと、殿にはなんと説明すれば?」


「殿には関口殿から勘定方と米問屋で長年間違った計算で年貢の勘定と米問屋に余分に支払っていた事が発覚したと自ら申し出があり一部銭にて返金があり、米については問屋側から館に多数の石蔵を作り米を返却するとありましたので、不届きではありますが自らの申し出でありましたのでそれを許しましたと、殿の和子も生まれ慶事が続いている時でありますので某が《関口》安生良く差配しておきました、と申し述べておけば問題にならないであろう!!」



既に問題提起と解決策迄説明された関口に意見などは無く、口を開けて聞くだけであった。

そして何故か帰りに今川焼を渡され帰路に付く関口氏貞であった。



── 召し抱え ──



千寿はこの冬に更にもう一つの大きな一手を打ち放った、将来に備えての動きであり、手駒を増やす一手であった。



「その方が山本であるな、良く参られた、なんでも諸国を回り見分を広めたいと聞いたがどのあたりを廻る予定なのだ?」


「はっ、某この駿河しか見知った所は無く京を中心に見分を広めたく考えておりました」



「後ろ盾はあるのか? 京は危険な処ぞ! 見分を広めるのは立派であるが命を落とすやも知れぬ、むしろその危険の方が大である地ぞ!! 修行僧であっても野盗に襲われる地である、そなたのもとに会いに行ったそこにおる一善が今言った修行僧でありながら野盗に襲われなんとか一命を取り留めた者ぞ!! 後ろ盾が無いと寺院にも泊まる事が出来ぬ、京は魔物の巣窟ぞ!!」



「それほど荒れておりますか、某・・・この通りの身なり故・・最初から野盗と映るやも知れませぬな、処でお方様はどこで某の事をお知りに成りましたか?」



「何! 一風変わった男がおると、書物を読みふけり何やらブツブツと独り言を言う足軽大将の息子がいると、それも年は間もなく20となるのに女子にも興味を示さずに部屋に籠っていると、最近父上と喧嘩をしたそうな、旅に出ると言うて!! その噂が妾の処に届いたので関心を示したのじゃ!!」



「いやはや・・お方様も風変わりなお方でありますな、某の様なちんちくりんに興味を示すとは、某確かに父上と喧嘩を致しました、家の後を継がずに諸国を回りたいと・・なんとも親不孝な息子で御座います、でも書物を読めば読む程に胸が熱くなります、片目も見えず、手足も少し不自由ゆえ父上の後は継げぬでしょう、であればこそ見分を広めたいのであります!!」



「ほう、よくぞ申した、妾も男子であれば諸国を廻りたいものよ、どうじゃ、せっかくなら諸国巡りする中で妾に様子を伝えて頂けぬであろうか? どのような問題が起きており、地域の特産品、或いはその地の当主の評判など見知った事を文で知らせてくれまいか?」



「ではお方様は、某が旅に出る事を賛成して頂けるのですか?」



「賛成だけでは無いぞ、妾が京にお住いの父上に申して権大納言中御門家の朱印状を下げ渡して頂けるように手配り致す、それがあれば何処にでも行けるであろう、今川家の朱印状では間者と思われてしまう、命こそあっての諸国巡りぞ、どうじゃな、それがあれば寺院に泊まる事も容易いであろう!」



「それは誠でありますか? 某の様な者に・・・この勘助お方様に文を書きまする、是非に御朱印を頂ければ幸いであります!」



「そなたは妾の耳目となり諸国を巡るのじゃ、何れ駿河に戻る時が来よう、その時は妾の友となり語り部となりそなた、山本勘助が見知った経験を役立てようぞ、必ず生きて戻るのじゃ、これは厳命ぞ!!」



「はっはー、ありがたきお言葉、この山本勘助この日を忘れまじ、命に刻み出立する事が出来まする、お方様は菩薩様であります!!」



「これは困ったのう、妾が菩薩とは、では今、父上宛てに文を認める、茶請けに麦菓子を食して待っておれ!!」



この山本勘助こそ、後の武田二十四将となる軍師山本勘助である、勘助の父は駿河国富士郡山本の生まれであり父親は今川家に仕える足軽大将、名は山本貞幸であり勘助は三男であった。


山本勘助の幾つかの資料によれば目は片方が潰れており、手足も些か不自由な人物として記載されている、背も130位であり背中が曲がり色黒とされている、史実でも諸国を廻り見分を広めた後に今川家に仕官するが義元がその風貌に嫌気し採用されなかったとの記録が残っている、今川家での仕官が叶わずに武田に仕官する、この時に勘助を採用しておけば信玄の未来も、それこそ今川家の未来も違った一面が描かれたであろうと千寿は判断し、勘助に一手を施したのである。


千寿は軍師と成れるが女性の身であり館から外に出る事は出来ず、後に外交僧として千寿を支える太原雪斎が登場するが、実に人材不足と言って良い、雪斎は外交官であり一軍を指揮する軍師では無い、勘助と比べれば勘助の方が軍才は一段上の者であり人材と言えた。



そして更に耳目となる裏の者達に手を伸ばす千寿であった。



「彦六どうであった? 接触は大丈夫あったか?」


「はい、我ら伊豆服衆の本家でありましたので某の名を知っておりました」


「して首尾は?」


「当主の保長殿の話では、服部党は千賀地、百地、藤林の上忍三家にそれぞれ銭雇で仕えている最中であり今は動けぬとの事でありました、雇の任が解けましたら一度お方様の下に来てお話をしたいとの事です、そのような事情で男は無理であるが女人の忍びであれば今すぐにでも数人お渡し出来るとの事です」


「なるほど上忍三家で仕えているか(私の知る前世での知識と同じだ!) 、では済まぬがもう一度出向いてそのくノ一達を連れて来てくれまいか彦六!」


「判りました、明日にでも出立致します」



「待て待て、彦六も身体を休めてから行くが良い、時間は充分にある、先に女人の忍びが来るとなれば何れ男共も来るであろう、大切に預かろうではないか、何しろ彦六の一族でもあるのでな!!」



服部保長とは後に服部半蔵と名乗る最初の人物である、服部を三河の者と思っている者が多いと思うが、史実は違う、元は伊賀国服部郷が出自であり、この時点の1519年ではまだ伊賀国で上忍三家に使われていた、その後三河に移り住み松平家(後の徳川家)に仕えるのは1540年頃である、その事を知る千寿は庶流と分かれた伊豆服部家の頭領であった彦六を頭領である服部保長と接触を試みたのである。


伊賀の服部が何故史実では三河に移り住んだのか? 銭雇では道が開けぬとして1530年頃に京の足利義晴将軍に仕えるが、余りにも力無く衰退する将軍家を見限り三河に拠点を移したという歴史的な史実がある、その史実を知る千寿が山本勘助と同じ様に触手を伸ばしたと言う事である。


山本勘助と服部半蔵まで登場して来ました、今後何が飛び出るやら!

次章「石高」になります。

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