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足軽と懐妊



1516年1月下旬、今川館に呼ばれた羽鳥の里の衆、名主他20名の主だった者達が千寿の下で田植えに付いての指導を受けていた。



「今一度説明する、この様に稲と稲の間を開け、水の流れを良くし、日も当たるようにするのだ、さすれば雑草も取りやすく稲の管理が出来るのじゃ、田植えは少し面倒となるが米が増えるので喜びの方が多い、必ず羽鳥ではこの方法で行うように!! 聞きたい事があれば聞くが良い!!」


「・・皆がお方様と話すには恐れ多いようですので、私名主からお聞きいたします、新しい田植えで上手くいかず米が減収した場合はどうなりますでしょうか?」


「たしかに初めてではその不安も理解出来る、だが安心するが良い、米が減収しても大丈夫じゃ、百姓達に渡す米は減らさぬ、減った場合は私に納める年貢米を減らせばそれで良い、必ず良い結果になるから皆で行ってくれ!!」


「判りました、ありがとうございます」


「他はないか?」


「無いようであるな、では里について妾の考えを伝えたおく、羽鳥の里は確かに妾の領地となったが、そこに住む百姓達には今川家一番の豊かな農民が住む場にしたいと考えておる、駿河国、遠江国一番の豊かな里にじゃ!! それと里には主人を亡くして後家となり子育てに苦労している者はおるかな?」


「はい、何人かおります」


「そうか、では田植えが終ったらで良いのでその者達をここに連れて来て欲しい」


「・・・お方様、子供も含めれば30人程にもなりますが、宜しいでしょうか?」


「ほ~結構いるのう、30人いても大丈夫じゃ、その者達も安心して暮せる様に手を打つ安心致せ! 今木こり達が木を切り開墾している所には実のなる苗木を植える予定じゃ、それと山林の中に小さい小屋を作ったその周りには誰も近づいてはならぬ、周囲に縄を張る、その中には入っては成らぬぞ!! では頼んだぞ、皆には土産を用意しておる、それそれその笑顔じゃ、今川焼を沢山用意しておる、各々家の者の分も今日は用意しておる、全ての者に行き渡るように配って欲しい、それと名主と村長は少し残るように!!」



── 瑕疵の年貢 ──



「今日はご苦労であった、田植えについてはしっかり頼むぞ!! 残ってもらったのは年貢の事なのだ、昨年名主の説明では里での石高は1600石だと聞いたが過去に遡って調べたところ、以前は2000石となっていた、しかし里の収穫高は今現在も2000石で報告されておる、本当の石高はどちらが正しいのかな? 名主と村長であればこの違いについて何か知っておるのではないか?」



顔色を変え顔を伏せてしまう4名、沈黙が続く中震えだす村長も。



「・・・何か理由がありそうだが・・怒っているのではない、理由を知りたいのじゃ、そなたらの暮らしぶりも調べておる中抜きもしていないであろう、本当の事を知りたいのじゃ!!」


「お方様! お許しください・・里の収穫高は2000石なのですが、城に報告される収穫高は1600石なのです、差となります400石は米問屋に納める事になっております、ですから我らが納める年貢は1600石となります」


「では妾が調べた帳簿では20年程前からそうなったという事か? 誰の命でそのようになったのじゃ?」


「勘定方からの命にて米問屋に納める様にと、我らは命じられた通りにしているのです、騙すような説明で申し訳ありませぬ!!」


「ほう! 勘定方からの命であったか、では米問屋に納めた米代金は皆の手元には無いのだな!?」


「はい、命じられた通りに納めているだけです」


震えながら話す名主の言葉に嘘は無いと判断し安堵させることにした。



「説明については了解した、安心するがよい名主殿を咎めている訳では無い、勘定方の件は新たな命があるまでこれまでと同じくするが良い、今日はご苦労であった!」


羽鳥の里は今川館から近くの場所であり監視されやすい場所であり中抜きなどの不正は無いであろうと、それより勘定方の命で米問屋に納める話に疑義をより一層深めた千寿。



日本の歴史資料として江戸時代以降の人々の暮らしや武家社会の事柄の資料は多く残っており社会の仕組みはそれなりに千寿も前世での歴オタとして知り尽くしている、しかし、戦国期の信長も登場していないこの初期の仕組みには統一されたものは無く各地の守護大名によって独自の運営がされておりその元になる年貢に付いても大きな違いがある、戦国時代を通して一番農民に手厚い年貢の大名は小田原北条家であったのでないかという話は有名である、北条家では5公5民という年貢であったようである、何故それほど低い税率だったのか?


北条早雲は祖であり伊豆国を下剋によって小田原北条家が成り立った経緯がある、その為に農民を懐柔する必要と国人領主達を北条家に従わせる必要から5公5民にされたようである、諸国の守護大名では6公4民、7公3民と年貢は違っており、戦争に備え関所は各地に築かれそこを通るには関税が必要であり国々が鎖国政策を行っているとも言えた、国を豊かにする事より隣地を奪い取る、奪い取って石高を上げるこれが常識であった、今川家もそういう意味では右習えであり同じと言えた。



「忙しいのに済まぬのう!! 松本殿であったな?」


「はい、勘定方の松本であります、お呼びとの事でありましたので急ぎ参りました、何か入用の事でもありましたでしょうか?」



松本は正室のお方様より話があると聞き、勘定方の自分に声が掛かると言う事は何某かの入用《費用》を用立てて欲しいとの要望であろうと察していた、本来渡される化粧料地4000石だった処2000石で良いとの事で台所事情が苦しい事に成ったと理解し呼ばれたと判断していた。



「実はのう、殿より頂いた化粧料の羽鳥の里なのだが、2000石と聞いていたが実際は1600石だったのじゃ、そこで蔵奉行に過去から帳簿を調べて頂いた処、その昔は確かに2000石であっが、20年ほど前から1600石になった事が判明したのじゃ、そこでよくよく調べた処、今現在も収穫高は2000石あるが勘定方の命にて400石の米は米問屋に納める事になっておるため妾に届け出来る年貢は1600石からになると判明したのじゃ! よって400石の行方は判明したが、何故米問屋に納めなければ成らぬのか、どうしてそのような事になったのかを教えて欲しいのだ!!」



徐々に顔が青ざめて行く勘定方の松本、これまでこのような詰問及び説明を求められたことは無く無難に今川家の財政は廻っており勘定方の地位は高く揺ぎ無い物であった、そこへ正室からの質問なれば適当にあしらう訳にも行かず、かと言って事の経緯を話す事で自分の地位を窮地に追い込まれる危険もあった。



「お方様! 今の話ですと減った400石を戻るように某が手配り致します、何かの行き違いと考えまする、里の者にも安心して頂けるよう某自ら出向き安堵させますのでご安心ください!」


「そうであるか、松本殿に相談して良かった! 400石が戻るとなれば妾も一安心じゃ!! そこで松本殿!! 」もう一つ肝心な事が抜けておる、その点はどうじゃ?」


「さすれば20年程前の事ゆえ経緯については手違いなのか些か失念しております、このような事が無いようにお調べ致し改善致します」



松本は幼い正室の千寿を侮っていた、米が戻れば解決出来る話であると、400石分の米など勘定方の自分であれば簡単に動かせる、何しろ米問屋と繋がっているのは自分なのだからと、誤魔化せば済む話だと安易に判断した事で罠にはまる事に。



「実はのう、妾は疑問に思った事は調べる性質なのじゃ、松本殿とこのように話しているが、正直に説明すればお目こぼしをする予定じゃったのじゃ!! 妾は米問屋から先に理由を聞いておるのじゃ、その当時戦が頻繁に起こり戦費が必要となり、勘定方の策にて米問屋と謀を行い、一部の米は問屋へ卸し、代わりに戦費となる銭をお貸ししたと、問屋の帳簿を差し押さえ調べた処、今川家から買う値段よりも3割安く仕入れる条件で金を貸したと、その後もこの関係は続いていたと、その首謀者は松本殿であると!!!」



戦国初期のこの時期は群雄割拠という大きな戦ではなく、500~2000程度の軍勢を繰り出しての衝突が絶えず繰り返されていた、国人領主達との小競り合い、自派の国人領主からの要請で兵を出すなど多々あり、国人領主達を繋ぎとめる理由が当時の今川家には存在した、今川家では氏親の当主就任に当たり今川家で内紛が起きておりその争いの戦費として米が利用されていた、当時の氏親の地位は安定しておらず戦費調達出来る手立ては確立されていなかった。



「妾は当時の状況を鑑みれば松本殿の行った戦費調達は仕方のない事とも言える、だがその大切な米を今現在まで米問屋に3割安の値で卸す理由には納得出来ぬ、米を町衆に売り、利ザヤを稼ぎ、その利の一部は松本殿の懐に入って居る事も既に判明しておる、米問屋で裏帳簿も押さえておる、銭を懐にいれるとは殿を裏切る事になろう!! 違うかな松本殿!!」



問い詰められる松本ではあったが松本なりに心の中では仕方ない事情があったのだと言い訳を心の中で述べていた、足軽には身分として正式な侍では無く、多くの足軽達は米を得る領地は所持しておらず、ある種の銭雇の下人の者達、もう一つは農民からなる足軽が存在した、銭雇の足軽は浪人であり手柄を上げて侍として採用される道があり、農民足軽は戦時に村から何名という命で駆り出される農民達の2種類が存在した。


問題は銭雇の臨時の足軽達には給金を出さなければならない、これを蔵米という仕組みからその費用を松本は勝手に捻出した経緯がある、要は米問屋から銭を融通させ、その銭で臨時の足軽を雇い費用にあてた訳ではあるが、戦が無い時にもその仕組みを解かずに利益を懐に納めていたと言うのが実態であり、松本には今川氏親を支えたのは自分でありその褒美としてその仕組みを温存させていた、いわば米問屋と松本で利益を搾取していたというのが本当の処であった。


戦がある時だけ銭雇の足軽と農民足軽を利用し、それ以外の時は銭は懐に入れ無難に今川家に貢献しているという姿勢で仕えていた松本と言えた、足軽の給金がある程度安定するのは江戸時代に入ってからとなる、足軽長屋で最下級の侍、その揶揄された給金名に三一さんぴん侍と呼ばれ年俸が3両一人扶持の者達がいる、簡単に言えば年俸30万の足軽であり使い捨ての者達、しかし戦には必要な駒であるため最低限の給金で繋ぎ止めていたと言う実態がある。


今川家でも足軽は必要でありその都度銭雇で揃えていた理由は納得できる、松本と米問屋は利益が一致した事で長年その仕組みを残し利益の一部を搾取していた事になる、これを公に問えば両者の死罪を免れぬであろう事は確実と言えた、悩ましい事態でありそもそも正室の自分がそこまで介入すべき事なのか判断に迷う事柄と言えた。


松本は既に諦めぐうの音も出ない状態となるが、千寿にも身体の異変が現れ始めた、徐々に気分が悪化し横になりたい気分となった。



「松本殿!! 此度はここまでとする、暫しどうするか判断に時間を要する、米問屋とそちが貯め込んだ銭を返却できるよう知恵を絞り用意致すのじゃ、さすれば温情もあるやも知れぬ、妾が殿にこの話を持ち込めば死罪は免れぬ、そなたは今川家の勘定方ぞ!! 残された者達にも罪が及ぶやも知れぬ、妾の話した意味を深く考えよ!」


この日の松本との謁見を終え床に着く千寿ではあったが体調が悪くなった節に心当たりがあった、前世では還暦を迎えた歴オタのおばさんであり、二人の子供を育てている、経験豊富であり現代の荒波を乗り越え小さいながらフルーツサンド中心の甘味屋の経営者でもあった、千寿の感は、体調悪化の原因は恐らく

『懐妊』かも知れぬという予感であった。


勘定方の松本の解任ではなく、本人が懐妊した話でした。 (おじさん臭い洒落でした)

次章「氏親」になります。

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