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青年期編・・・今川家



戦国時代の中で海道一の弓取りとは誰の事か? 今川義元の事と思っている方も多いと思うが、海道一の弓取りとは『今川氏親』の事である、東海の覇者、又は海道一の弓取りと比喩で呼称された呼び名である、義元は氏親の息子であり、後に織田信長に桶狭間にて首を獲れらた事で一躍有名となった、戦国時代の今川家はこの氏親と後に氏親が亡くなり氏親の正室の寿桂尼によって最大規模に興隆したと言える。


今川家は足利将軍家とも縁ある家でありその家格の権威力は一目置かれる存在として戦国期一流の家と言えた、その今川家第九代当主氏親は44歳というやや高齢に差し掛かった時に正室を迎えた。

その正室とは中御門宣胤の娘、千寿姫15才の時であった。


氏親の説明で大事な事がある、忘れてはならないのが小田原北条家との関係である、後北条とも呼ばれてる北条家の事である、この今川氏親の母親は北川殿と呼ばれた北条早雲の兄弟であり甥には幻庵がいる、氏親には北条家の血がしっかりと流れているという事である。


母親は北条家の祖早雲の姉、妻となる中御門家は公家の娘、そして今川家は名門の家柄その三つの要素が絡み合った中で氏親は戦国期を乗り越えようとある意味独立国家として歩みを始めようとしていた、その大きな一歩が千寿との結婚が契機となる。


氏親の中では戦乱の世となり足利将軍家の力が弱くなった事でそれに代わる家が必ず次代の将軍が誕生する筈だと、その資格を持つ者とはこの氏親かも知れぬと言う戦国武将としての意識は持ち合わせていたが足りない物があった、それは帝に通じる道であり公家との深い繋がりが必要と考えこれまでにも疲弊した公家達を今川の領地で庇護していたが弱った公家達では帝へ通じる道筋が見えなかった、そこへ中御門家の娘千寿との婚姻の話が持ち上がり、中御門家は権大納言と言う名家の中で最高峰の位であり摂家をも凌ぐ力を持ち疲弊せずに公家衆がその中御門家の力に頼る姿にこの上ない縁談話に飛びついた。



中御門家にしても力の強い武家が後ろ盾になるという事は家を安定させると共に帝を支える事にも通じる話であり両者の思惑が一致し千寿姫15才の時に嫁入りし婚礼を行った、100箱もの長持ちを持たせ練り歩かせての駿河国今川家への嫁入りは距離もそれなりにあり10日もの間、輿に揺られての移動、中御門家の従者、今川家からの警備の侍達併せて3000名もの大軍での大移動であった。


事前に通る道々の国人領主への嫁入りの通過承諾は権大納言の家の娘と言う事で問題なく得られていたがその見事なる嫁入りの大行列に国人領主達も驚き今川の名をより一層喧伝される事に成った、今川家でも正室を迎えるにあたって夫婦が住まう御殿を新しく建築しての千寿を迎い入れた。


この嫁入りで関わる中御門家に費用として氏親より1000貫《1億円》を渡した所500貫は受け取ったが、残りの500貫は返された、その理由に驚く氏親であった、後日この事でより氏親の名が天下に広まる事に成った。


式を終え数ヶ月が過ぎた初秋に今川家大評定が駿府今川館で軍議を目的とした評定が開かれる事に、その席に何故か正室となった若き千寿のお方様が参加していた。



「今日は皆に挨拶を述べたいとの事で我が妻である千寿も座っておるが此度の軍議評定は先程関口が述べた件につき皆の意見を問うものである、一通り意見を述べよ!!」


「では某福島は此度要請通り今川家として京に出陣し将軍家を御助けするのが宜しいかと思われます、何しろ将軍からの要請であり縁者であります殿の御立場を鑑みすればそれが最善では無かろうかと判断致します」


「お方様! 某岡部 親綱であります、お見知りおきを、私の意見は本当にこの要請を受けるべきなのか思案がまとまりませぬ、京の事情が・・変遷が激しくその将軍家の意見が・・今の将軍様であります足利 義稙様は血筋で言えば八代様であります義政様の弟君でありさらに短い期間で将軍様が代替わりしております、全ては将軍家の内紛によっての変であります、そのような時に将軍様をお助けした場合に次の将軍様が誰になるのかによって今川家の立場はどうなるのかという危惧があります、殿のご命令であれば先陣を切る覚悟はありますが、正直判断に迷っております!!」


「お方様! 某瀬名 氏貞と申します、お見知りおきを!! 某は福島殿の意見も岡部殿の意見もいずれも正しいかと思われる、将軍家が今川家を頼るという事こそ大事ではなかろうか、殿の命であればそれこそが正しい道ではなかろうかと思われます!!」



いろいろな意見が交わされ将軍家の要請を受け意見は纏まりつつあった、将軍家を助けるべきという意見がほぼ纏まり、氏親より初めての評定を見た千寿に問いかけた。



「これが今川家の評定である、武家の者達は皆堂々と意見を述べ衆議一決した際は当主と共に突き進む、どうじゃったかな、初めての評定は?」



「このような機会を下さり皆様に挨拶出来ます事嬉しく誇りに思います、殿並びに皆様方大変にありがとう御座います、私は縁あって今川の家に嫁ぎ今は今川の者として自覚しております、この5月に京より今川の地に参りました、ここに一つの文が私の手元に届きました、この文は細川様に付き従っている阿波国守護職三好之長様から頂いた文に成ります、三好様は我が父であります権大納言の推挙により官位を頂戴いした経緯により中御門家と縁がある家に成ります、私が今川家に嫁いだことで京の情勢を度々お知らせして下さいます!!」


「この頂いた文をお読み致しますのでお聞き下さい、三好家は管領家に翻弄され道が見えぬ隘路に差し掛かった様になっております、誰が味方で誰が敵なのかも・・油断しますと味方と思っていた者に背中に刃が向けられます、姫が今川様へ嫁がれて京より駿河におられる事に心より安堵しております、父上様であります大納言様の事は私三好がおりますのでご安心下さい、何れ今川様へご挨拶にと思うております、姫様の健やかなる駿河での言祝ぐを祈念しております!!」


「以上であります、殿には皆様がおりますので心配はしておりませぬが、一つだけ心配があります、嫁いだばかりでありか弱い女子と思うて下され、将軍様をお助けする為に京に向かわれました我が殿は何時頃もどる事が出来るのでありましょうか? 誰が味方で誰が敵なのか不明な地で夫となりました我が殿は戻る事は出来ますでしょうか? それだけが心配であります!」



千寿の意見を聞き沈黙が支配する中、今川家親族衆の評定差配役の関口が危惧する事を口にした。



「確かにそうじゃ!! 我ら今川が将軍の要請に従い京に軍勢をすすめた場合、還って来るあてはあるのであろうか? 半年、いや一年もしくは数年と戻れぬ事になるやも知れぬ、その事を失念していた、殿が戻れなくなる場合もあるやも知れぬ、お方様からの文を聞き我らは本当に行くべきなのであろうか?」



千寿は意見を述べた後そっと退室した、これで京への出陣は防げるであろうと、出陣するとしても規模は小さく様子見の部隊で済むであろうと・・・これこそが千寿の作戦であった、史実での今川家は将軍家の要請で出陣しているがなんの効果も得られず無意味であったという事を知っている千寿の策であった。


足利将軍家本体が揺れ動いている時期であり京と離れている今川家が軍勢を率いても無意味と言えた。

結局この日の評定は千寿の思惑通りに事が運び氏親の出陣は見送られ代わりに銭100貫《1000万》を支援として送る事に成った、その後恒例となった酒宴の場に再び千寿が訪れ皆にある品が披露された。



「これは何でありましょうか? 何やら香ばしいような甘いような匂いがしておりますが?」



「これは皆様にと殿の許しを得て用意した菓子であります、先ず小さい菓子は麦にて作りました中御門家の銘菓麦菓子であります、それと太鼓の様な丸い菓子は中にたっぷりな餡が含まれております、今川焼という名の新しい菓子となります、殿方には甘い餡など失礼かも知れませぬが奥方様には喜ばれる菓子かと思われます、帰りに土産の品としてもご用意しております、どうぞご賞味下され!!」


酒宴と言う事もあり盛り上がる中での新作の菓子『今川焼』が披露された、表に今川家の家紋が焼かれた現代の今川焼である、地域によって大判焼とも呼ばれている、スーパーや祭りで露天商が売るなど全国には100種類もの今川焼が存在している。


今川焼という名の由来として、江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主・今川善右衛門が架橋した今川橋付近の店で、桶狭間合戦にもじり『今川焼き』」として宣伝、発売し評判となり広がったとする説がある、そういう意味では今川焼は今川家とは縁がある菓子と言える、簡単に作れる今川焼であり現代の転生者である千寿の手に掛かれば戦国時代に又新たに銘菓が誕生した事になる。


評定での三好からの文も話題になった、そこでどのような経緯で三好家の当主と誼を得られたのかと皆が関心を示し質問された事で中御門家の荘園が乱取りされた件と解決した際の話をした事で皆を大いに驚かせた、氏親も知らぬ事であり当時6才程度の幼い幼女が一国の当主と渡り合い縁を結び今日に至る話には驚愕していた。


用事を済ませた千寿は退室するも広間では氏親を中心に千寿の話題が絶えなかった、その一つに中御門家に渡した1000貫の内500貫が戻された話に誰しもが口を開け更に驚く事に。



「皆の家々でも祝言で渡したご祝儀は喜ばれたであろう、関係者に侍女達や下男下女にもご祝儀と称して配ったあの銭の事じゃ!! 覚えておろう!!」


「あ~あの祝儀に配られました銭でありますな!! 皆喜んでおりましたぞ、お手伝いをして良かったと殿の事を褒めておりました、よくも皆にあのように大盤振る舞いをされましたな、某は殿の事を良く知っておりましたので、あのケチな殿がよくぞ配ったと感心しておりました!!」


「あっはははー我もそう思います、儂などは逆に祝儀をよこせと言われるかと冷や冷やしておりましたぞ、あっははははー」


「馬鹿者!! この儂をケチとは・・なんたる不届き者達じゃ!! あの銭はなあー、元々中御門家に嫁入りとして渡した費用の半金なのじゃ!! あの配った銭は500貫《5000万》もの大金ぞ!! 相手は権大納言の家でありその娘となれば天下の今川家としても恥を欠く訳には参らぬ、そこで用意した銭1000貫の内500貫が戻されたのじゃ、千寿が言うにはその500貫は殿の名で関係者全ての者に祝儀として配って下さいと言う言付けで戻された銭じゃ!! 使者の話ではこの祝言で今川家に仕える者達全てに殿の懐の深さを示す事こそ東海の覇者今川家であると言う武威を示す好機にして下さいと言う事で戻された銭じゃ!!」


「まだ15の女子であるぞ、儂より物事を観ておる、公家の娘と侮れば寝首でも欠かれるのでないかとその話を聞いた時にしこたま驚いたのよ、先程の三好の話は知らなかったが正直驚いておる、お前が今食べている今川焼もそうじゃ、なんでその名にしたのかと聞いたら、天下に今川の名を知らしめる為と答えたのよ!! この甘い菓子を食する時にこのように美味しい菓子を作られた今川様に感謝という気持ちで皆が食するでありましょうと、説明を聞いた時に、そうじゃ、お前の顔と同じ顔に儂も成ったのよ、感謝して食するが良い、あっはははー、凄い話であろう!?」


「殿!! 某使者として中御門家に何度か訪れましたが、公家の中で中御門家が一番裕福だという話を聞きました、詳しい理由は知りませぬがお方様が関係しているとか、この麦菓子にも中御門家の家紋がありますが、先程の今川焼と同じ趣旨かも知れませぬ、それともう一つあります、夏になりますと何でも中御門家でしか食せぬ絶品の品が公家衆に披露されるそうです、この世の何処にも無い極上の品だそうです、殿は何の事が知っておりますか?」


「・・・う~・・・極上の品とは・・・夏にしか食せぬ物? 何であろうか? 儂もまだ知らぬぞ!」


「某ある坊主から聞いた事があるのですが、なんでも冷えたぜんざいがこの世で一番美味しい物だという話を聞いた事があります、熱いぜんざいではなく冷えたぜんざいが一番だと、その話を聞いた時に冷えたぜんざいなど美味いわけがないと思うておりましたが、今の夏に極上の品と言う話を聞き思い出しました、間違いなく冷えたぜんざいかと思います!!」


「・・・冷えたぜんざい? 想像出来ぬが・・・夏じゃなくても喰えるぞ!!」


「夏であればお方様は寺社仏閣が沢山ある地の京ですから、僧侶達が食する素麺とか言う点心の事では無いでしょうか?」


「素麺じゃと!! 別にそれとて夏じゃなくても喰えるぞ!!」


結局評定後の酒宴では氏親の正室となった千寿の話題が尽きず深夜まで、最後には夏になれば判るであろうという事で適当に散会し各自就寝した。



史実を知る千寿が今川家を披露するとは、一本取られました。

次章「掌握」になります。


※この章から更新は少し日にちが空きます、よろしくお願いします。

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