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開発と嫁入り



「姫様!! 我らが共に付従う事は中御門様は御承諾されましたでしょうか?」


「案ずるな! 先程ご理解を頂いた、よって二人は妾の直属の者と正式になった、これより二人は妾の直臣となったのじゃ、身分は当然侍ぞ! 嫁入り時には侍の姿にて付従うのじゃ、それと彦六に付き従っている者達には別の任がある後で中庭にて談合致す、ここに銭50貫がある太刀と侍衣装と着替え等を用意するのじゃ、嫁ぎ先の者達より見劣りしてはならぬ、何しろ妾最初の直臣の侍なのだ!! 上を向き堂々としていてもらわねば成らぬ、遠慮もいらぬぞ!!」



千寿姫の嫁入りが残り半年となった所で一善と彦六、中御門家の侍女5名が共に嫁ぎ先に上がる事に成った、注目すべきは中御門家の侍女長は母方の甘露寺家の遠縁にあたる公家の池尻家の娘夕子が千寿に付き従う事に成った、公家の世界に精通した侍女長夕子を付ける理由は嫁ぎ先での奥をしっかりと千寿が手綱を引くとの意思であり千寿たっての要望で引き抜いたという事であった。

女の世界は男と違い魑魅魍魎とした危険なものと言える、男子は入れず自ら地位を築くしかない世界である、この奥にいる女性達を支配する為の良家の出である夕子の存在は欠かせないというのが千寿の考えであった。


武家の世界では男は表で戦い、女は裏で戦う、女達の中には自分の地位を守るために、地位を脅かす者を罠に嵌め追い落とし、時には毒殺まで行う者までいる、女は美しい顔で心では全く別の事を考える、権力と言う世界で住む事になる千寿に取って一善も彦六も侍女長夕子も勝ち上がる為の大事な駒である。


千寿は嫁入り道具に鍛冶師に数々の料理道具を作らせ手配していた、戦国時代に無い料理道具であり嫁ぎ先で革命とも言える甘味の品々を披露する事にしていた、菓子類とデザート類の多くは手作りであり道具と材料があれば似たような物が再現できる、この時代は甘味と呼ばれる物は自然の恵みをそのまま食しておりそれらの材料を工夫して新たな菓子類やデザート等を創作する事はしていなかった、その大きな理由に砂糖の普及が無かった事にある、料理を行う者はあくまでも朝夕の食事の手配であって菓子などを作る料理人では無い、千寿は前世でフルーツサンドの店を経営者でありパティシエールであった。


千が鍛治師と飾り職人に作らせたものにフライパン数種、包丁数種、フライ返し、おたま、計量カップ、木製ボウル、すりおろし器、計量スプーンと大小のスプーン数十個、キッチンバサミ、竹製トング数種等多数、他に特別に造らせた鋳物が数種。


千寿は戦国史に特化した歴オタであり、この時代の事については精通した知識の持ち主である、数々のアドバンテージを持つ千寿と言えた、一通りの嫁入り道具の手配は勿論の事、この時代には無い遊び道具も手配し整えつつあった、嫁入り道具を運ぶ長持ちはついに100個となり中御門家の屋敷は長持ちで手狭となる始末であった。


何しろ軍資金を持っている千寿であり米転がしをその後も幾度となく繰り返しており何時しか米転がし長者と家中で呼ばれる程であった、ある時父の宜胤に米転がしに付いての千寿との問答が起こった。



「千寿のお陰で我が家は米に困らず銭を得た事で心なしか穏やかに過ごす事が出来ておる、仕えている者達も安心している様じゃ、この事については千寿に頭が上がらぬが、噂は聞いておろう、其方は大丈夫なのか?」


「その事でありますか、私は誉め言葉として受け止めております、米を転がして銭を得ただけでは商人であり私欲の亡者との誹りはありましょうが、私の行いは戦を食い止める一つの手段として、中御門家の娘として米転がしを戦だと思うております、転がす理由は戦であり、売りさばく理由は戦の戦費を少しでも削る事が出来れば戦は長く出来ませぬ、戦費を堂々と削り早く止めさせるための手段として米転がしをしたのです、朝廷を蔑ろにし勝手に戦を始めるなど懲らしめる必要があります、朝廷にも、公家にも兵力は無く戦を止める手立てはありませぬ、だが知恵を使えば戦費を削る手立てがありました、それが米転がしという事です、父上様のもとに多くの公家が集って来ております、その費用は米転がしから得た銭が元手になっております。



「父上のもとに公家の力が集まればやがて武家の者達も見過ごせなくなるでありましょう、父上に公家の力が集まれば朝廷の権威も高くなると言う道筋が出来ます、その糧となる銭が戦の戦費となる筈であった銭を削った銭であったとなれば一矢報いた事になるでありましょう、私の考えは間違っていますでしょうか? 父上のお力に、中御門家のお力に成りとうて行ったのです!」


「これは恐れ入った、そこまで深く考えての転がしであったか、そなたが男子であれば大将軍となって日ノ本を治めるであろう、儂の考えが浅はかであった、それにしてもしや・・・千寿は・・・もしや・・・まさか・・・上宮之厩戸豊聡耳命うへのみやのうまやとのとよとみみのみこと様の生まれ変わりではあるまいか!?」


「父上様、それは褒めすぎであります、父上こそ摂家の家では無いのに、権大納言として帝より熱き信頼を得ております、大きい声では言えませぬが既に摂家の上に立ち朝廷をお支えしております、それこそ太子様と同じお仕事をされております!!」


「これこれ、ここだけの話と致せ!! この事聞けば帝がお嘆きになる、まったくもって嘆かわしい事じゃ!!」


「千寿を嫁がせるのがなんとも寂しい、かと言って尼にする訳にも参らぬ、此度は良い縁談であると願っている、相手の家より起っての願いにより儂が吟味した家である、安心して今川家に嫁ぐが良い!!」


「はい、父上のお心は充分に千に伝わっております、まだ家におりますのでもう少し父上に甘えという御座います!」




── 開発 ──



耕助は前世での知識をある程度簡単に作れる板バネを作っていた、板バネは長さの違う長方形の板を3~5枚程度合わせる事で弓のようにしなり荷台の過重と衝撃を和らげ車輪にもダメージを軽減させる技術であり現代でも大変に多く利用されている、この時代の荷車は車体が重く日常生活で使用するには小型で軽くしなければならない、簡易的な一輪車は普段自宅で便利に使用出来るが数倍の量を運べるリアカーの開発を始めた。


ゴムの空気が入るタイヤはこの時代には無理でありその衝撃を和らげる役割となるのが板バネという事であり簡単な構造ではあるが画期的な現代の技術と言えた、1人で荷運びが出来き、重さも100キロ程度であれば積める、箱の大きさは幅60cm長さ90cmとし子供二人が入れる大きさの荷車開発を行い完成させた、それと同時並行に秋の収穫にあわせて竹製の千歯扱き《せんばこき》を作成していた、これまでは稲や麦の脱穀作業は竹板二枚で挟んで実を取っていたが数十本の稲から一気に実を脱穀するこの時代には発明品と言えた、簡単に作れる事から5個作成し集落で回して利用する事にした、この千歯扱きは昭和の戦後まで普通に使用されている農機具であり古い農家の納屋には今も眠っている器具の一つである。


そしてもう一つ、米の収穫と干物と銭が集落に入った事でさらに一押し上げる事に挑戦する事にした、農民は読書きが出来ない、何故か? 教える人もいなければ読書き出来ずとも生活に困らないと言う鎖に縛られた環境が読み書きを蔑ろにしていた、耕助の教えで兄弟はなんとか読書き出来るように育っていたが集落だけでも20人以上の子供がおりその子供達に文字を教える事が出来るのは耕助しかいないと言えた。


文字を子供達に教える事と引き換えに必要なのが家での労働時間を減らすには千歯扱きを利用する事で脱穀に要する時間を大幅に減らし、その減らした事で更に新たに家庭にいる女性達に紙漉きによる和紙作りをしてもらう事でより賃金の銭を得てもらう三重の効果を考えた耕作だった、脱穀で労働時間を減らし、子供に読書き、紙漉きで家計の手助けという方法は理に適っており雨風の時でも屋内で出来る作業であり女性に取って適した労働と言えた。


和紙を作る紙漉きは経験を重ねる事でより綺麗で丈夫な和紙が製作できる、この時代の和紙は紙漉き職人が行い、貴族社会、宗教勢力、そして何より武家社会では必然のアイテムであり高価な物と言えた、品質こそ劣るであろうが和紙の制作は特別難しい物では無く三つの道具から構成されている、和紙の原料が入って居る四角い漉き船と和紙の材料となるコウゾ、ミツマタ、ガンピ、桑等の樹皮樹木の繊維、材料を柔らかくするための蒸し器、が主要な材料と道具と言える。


綺麗な和紙を作るには材料となる樹木の汚れを落とす事と後は経験を重ねる事で均一な厚みの和紙が完成する、漉き船の中で網を張った箱に如何に細かくなった原料を均一に入れるか、これは経験を重ねる事でレベルアップする、A4サイズの和紙を制作し、当初は品質が悪いであろうがその和紙で集落の子供達に文字を教える事が出来る、筆も不要であり代わりに簡単に作成できる竹ペンを作り筆代わりに利用出来る、竹ペンは細い文字や細かい文字も書ける優れたペンであり万年筆に似た特徴と言える。



── 祝言 ──



1515年5月中旬田植えを終えた小河内集落、耕太の家で息子耕助の祝言が賑々しく行われた、今では集落15軒の顔役となり村長に次ぐ家となり家々の者がお祝いに参集しての祝言となった、何しろ耕助による新しい田植えで米の収穫が田一枚で5俵であったところ3俵増の8俵となった事で集落は活気に満ちており集落に住む者達が祝いに駆けつけていた、この祝言では三保の支配頭良三が娘華を籠に乗せ3日掛かりで漁師達15名を引き連れて参加していた。


耕太の家族と親戚、良三の家族と漁師達、さらに集落の者達が新築の家と既存の家に所狭しの中祝い唄を歌う中盃が交わされた、気をよくした良三が高砂の歌を披露した。


高砂や この浦舟に 帆を上げて  この浦舟に帆を上げて  月もろともに 出潮いでしお

波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて  はやすみのえに 着きにけり  はやすみのえに 着きにけり

四海しかい波静かにて 国も治まる時つ風  枝を鳴らさぬ 御代みよなれや

あひに相生の松こそ めでたかれ  げにや仰ぎても 事もおろかや 

かかるに住める 民とて豊かなる

君の恵みぞ ありがたき  君の恵みぞ ありがたき


涙ながら娘の幸せと耕助と言う立派な若者に出会えた喜びをかみしめての感情こもる高砂であった。

良三は当初5人程度の漁師頭であったが耕助から教えてもらった底引き網漁で漁獲高を一気に上げた事で今川家より侍の身分として美保の漁師支配頭まで出世した、後に網元と呼ばれる漁師達の支配者と言える、今川館に出向く時には騎乗が許された立派な身分と言えた。


その良三が惚れ込んだ耕助が娘の嫁ぎ先という事で、船大工3名を派遣し完成させた家での祝言であり感無量と言った所であった。

無事に祝言を一通り終え、帰路に付く良三に耕助から開発品が渡された。



「また便利な荷車を作りましたな! その知恵はどこから湧きなさる? 千歯扱きといい、あの和紙もそうであるが、この荷車、それにあの炬燵まで、耕助殿が商人であったなら途轍もない財産を築くであろう!! 単なる漁師であった儂が支配頭となる位であるから、娘の華も本当に幸せ者と言う事じゃ!! のう耕太殿!! 」


板バネが採用された現代のリヤカー、アルミなどの金属が無い為に全体を軽くするために竹を主に骨組みにして作られた荷車であり、板バネ効果により車輪に与えるダメージを軽減させた新式の荷車と言えた、大量の魚を運ぶにも重宝するであろう荷車を5台と炬燵を渡した耕助であった。

その荷車には沢山の干し肉と野菜が積まれ意気揚々として戻る漁師達、三保の漁師達とは年3~4回ほどの海の物と山の物との物流が数年続いていた。


以上が少年少女編になります。

少年少女編が終わりましたので、一旦次章掲載まで少しお時間下さい。

次章「青年期・・・今川家」になります。


是非読んだ感想などお聞かせください、よろしくお願いします。

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