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その一報は王都を激震させた。
まず、魔王軍の討伐に成功したこと。
ルージュラントを含め数か国を滅ぼした魔王を、グリーズデン王国軍が撃滅した。偉大なる戦勝である。
そして、王とヨーゼンラント公の戦死である。
人類最大の軍を率いた英雄グリーズデン6世は、ヨーゼンラント公とバロウンス公との3人がかりで魔王と相対し、2公爵の力を借りて魔王と相討ちとなった。
バロウンス公は、魔王の馬体を得意の魔法と肉体で受け止めた。己の利益を最大化することばかり考える彼らしくない、捨て身の献身だったという。息はあるが、未だ予断を許さない状況らしい。
ヨーゼンラント公は水を纏い、火炎渦巻く魔王の一撃を受け止めた。流麗な剣技を得意とする彼とは思えない、泥臭い阻止だったという。
そして王は、魔王と互いの胸を刃で抉りあった。
倒れるときも、その体は前に向かったという。
戦勝の喜び。そして敬愛する王を失った悲しみ。
グリーズデン王国の民は、複雑な感情を持て余した。酒を飲み、快哉を叫び、怨嗟を叫び、怒りに吠えて、そして偉大なる貴き者たちを讃えた。
王よ!
我らが王たちよ!
その血は確かに青く気高い!
王城内にある礼拝堂。
神を祀るそこは、純白の石材で建てられてこそいるが、神像も壁画も置かれていない。ただ絨毯が敷かれているのみ。
神を偶像として崇拝しない、この国の宗教観が出たものである。何にも邪魔されず、ただ神と、そして己の内面と向かい合うために存在する。
跪くマリアンヌの後ろ姿を、入り口の柱にもたれかかるアントワネットが眺めていた。
呼吸ひとつにすら気を配るような静寂。
一心不乱に祈りを捧げる乙女の姿は、まるで神話の光景のような美しさと神秘性をたたえていた。
アントワネットもその瞼を下ろした。
彼女はこの世界に来てから、初めて礼拝堂に足を運んだ。
気まずかったのだろうか、直接神に会ったことがあるからこそ、なんとなく礼拝堂を避けていた。
それとも。
――この世界に神の存在を感じないからかもね。
もしかすると、神の関わらない手放された世界なのかもしれない。だからこそ、人と魔王が争い、多くの命が無為に散らされていく。
神がまだ見守っているなら、人はもっと笑顔になれるはず。
いや、だからこそか。
神に見放された世界だからこそ、人々は逞しい。己の2本の足で立ち上がり、恐怖に立ち向かうのかもしれない。
人間は、人間自身の力で未来を切り開いたのだ。
アントワネットも手を組み合わせ、祈る。
クリスチャン。ヨーゼンラント公。王。セフポン伯の息子。そして、名も知らない兵士たち。
彼らの死後が、彼らにとって望ましいものでありますように。
そして、彼ら英雄たちの名が、後世未来の果てまで人々の記憶に残りますように。
ふと、アントワネットは前世のことを思い出した。
――もっと歴史の勉強をしておけばよかったかな?
歴史に刻まれた名は、退屈なお勉強なんかじゃなくて、誰かが残したいと願った名前だったのかもしれないのだから。
立ち上がったマリアンヌは、ドレスの皺を伸ばすことも払うこともせず、アントワネットを振り返る。
涙の残る頬。赤い目元。形の変わってしまったドレス。
その全てをひっくるめて、アントワネットは言う。
「綺麗になったね、マリアンヌ」
「急にどうしたんですか?」
「いや、なんも。陛下に見せてあげたかったな~」
「そう……ですか」
別れは惜しむが、その死は惜しまない。
迂闊なことを口にすれば、彼の意思や戦果を貶めてしまうような気がしたからだ。
叶うならば生きていて欲しかった。
だが、死を覚悟した男たちの行く末を、生かしてもらった側が勝手に後悔などできはしない。
差し出されたマリアンヌの手を、自然にアントワネットがとる。
手を繋いだ2人は礼拝堂を出た。
戦後の処理は難航した。
現地で指揮をとれる者の不在。そして大量の死傷者と難民。
嫡子も当主も戦死したヨーゼンラント公爵家の混乱も相まって、平穏までの道のりはひどく長い。
魔王軍との戦闘期間よりも、戦後の方が多くの犠牲が出たのではないか。そう思えてしまうほどの混乱の中、王城でも火種が大きく燃え上がっていた。
マリアンヌと第一王子の後継争い。
その決着をつけるべく、両派閥は水面下で動き始めた。
世間的な評判においてその決着はほぼついている。マリアンヌと第一王子そのひとを比べたとき、第一王子がマリアンヌに勝てる要素はほぼない。
しいて上げるとすれば、偉大なる王に容姿が似ていることくらいだろうか。王の血を確かに感じさせるその姿は、それだけで人に期待を抱かせるものがある。
とはいえ。
不幸により市井に落ちながら、大きな成果を出して王城に舞い戻ったマリアンヌの物語は、聞く者の心を動かすストーリー性を持っている。
そして、アントワネットとの1件で、王子は評判を落としていた。
ではなぜ未だ決着がついていないのか。
それは、第一王子を支援する諸侯の中に彼がいるからだ。
地獄から生きて帰った英雄。バロウンス公爵その人である。




