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人の心を弄んだ天罰が下った。
アントワネットはそう思っている。
純粋な青年の心に押し入るような真似をしたから、彼やアントワネットが自分の心に入り込むようになってしまった。
勝手に心配して、勝手に苦しんで、勝手に抱え込んで。バカみたいだが、それで良いのだと。
「お酒に逃げた次は、仕事に逃げるつもりですか?」
「いいじゃないか、これで救われる人がいるんだ」
「それで誰かが救われるなら、手伝わせてくれてもいいじゃないですか……」
「強情だね」
アントワネットは溜息をついた。
「いいかい、王家の人間というならば、恨まれる以上に尊敬されなければいけない」
どれだけ他者を思いやって行動したところで、結果的に恨みを買うなら、人はついてこない。
詐欺なんて、大きな目で見たときに国の為になっていたとしても、個々人の恨みを塗り替えられない。
「クリスチャンは立派だよ。魔王軍がどんどん増え、挑発的な威力偵察が増えてきたそうだ。魔法騎士隊を率いて、毎日のように戦闘しているみたいだよ。ヨーゼンラント閣下はすごいね。民をどんどん後方に送り、物資を周辺から集めて、餓死者が出ないようにしているみたいだね。兵站線を上手く構築して守っている」
冷めてしまったカップは、静かに机の上で佇んでいた。
「セフポン卿はあんな感じだけど、やはり諸侯というのは侮れないね。欲しいものを確実に用意してくれる。それどころじゃない。運送系のギルドと手を組んだのをいいことに、王都に息子さんと騎士を送り込んできているみたいだよ。前線で足りなくなるのは指揮官と精兵だから、ヨーゼンラントに送るんだってさ」
アントワネットはわざとらしく両手を挙げる。
「私には、こんなやり方しかできないんだ。マリアンヌが手伝ってあげるべきは、他の人だよ。清濁併せのむにしても、もっと格好いいやり方があるじゃないか」
「私は、貴女を支えたい」
マリアンヌの真っすぐな言葉に、アントワネットは息を飲んだ。
狼狽し、そして言う。
「マリアンヌにそんな風に言われる人間じゃない」
「私を変えたのは、貴女です。貴女がいなければ、私はまだ男爵に保護されるだけの、屋敷を管理する何も持たない子どもでした。魔王を恨みながら、ヨーゼンラントの滅びを眺めていただけのはずです。そして、そこで実際に何が起きるのか想像もできず、自分がそうなる日まで王都で漫然と暮らしていたはずです」
アントワネットは苦しそうな顔をした。
「興味本位だったんだよ。ただ面白そうだったから、首を突っ込んだだけなんだ。面白そうだったから引っ掻き回しただけなんだ」
――本気で何かをしたいと思ったのは、つい最近のことなんだ。だから、そんな真っすぐな目で見ないでくれ。
しばらくして。
アントワネットは降参したように項垂れた。
「じゃあ、少しだけ手伝ってもらおうかな。実は調べ物の人手が全然足りてなくてさ。ルージュラントの貴族の血縁を洗い出したいんだけど、紋章官の男爵が全然動いてくれないんだよ。私のことを危険視しているみたいでさ」
マリアンヌは微笑んだ。
「お安い御用です」
ヨーゼンラントの地での戦いは、激しさを増していた。
雷鳴の魔術が飛び交う。
紫電が宙を焦がし、破裂音が兵馬を威圧していた。
数十からなるケンタウロスが隊列を組んで駆ける。
人間の部分にも馬の部分にも鎖帷子を着込んだ、ヴァイキングを想起させる出で立ち。手にするハルバードは、とても人間が振り回せそうにない大きさをしていた。
4メートルはある槍と、その横についた斧の刃が、凶悪な唸りをあげて振るわれる。
巻き起こる土煙。そして、ケンタウロスを守るように盛り上がり、草木を破壊しながら突き進む大地の高波。
人間の魔法使いが放った炎は、大地にぶつかって掻き消えた。
「魔法騎士隊、風雨の魔術準備」
馬に乗ったクリスチャンが槍を掲げる。
先端には長い水色の房が飾られていた。それが風にたなびき、兵隊の視線を集める。
正面から迫る土石流に向かい、槍が振り下ろされた。
「放て!」
波濤が生まれた。
大量の水と土がぶつかり合い、どろどろの濁ったうねりとなる。方向性を失って荒れ狂う波に、ケンタウロス達は棹立ちになった。
「突撃!」
ざばざばと濁流に乗り込む騎士たち。先頭を駆けるクリスチャンの槍が、ケンタウロスの屈強な体を貫いた。水色の房が、真っ赤に染まる。
「ヨーゼンラントに栄光あれ!」
『ヨーゼンラントに栄光あれ!!!』
人間という種の咆哮が響いた。




