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納得した公爵に、今度はアントワネットが質問する。
「そういえば閣下。この先に控えているであろう魔王との戦争に、何か不足はございますか?」
公爵は不審そうな表情を浮かべた。
「不足どころか、何もかもどれだけでも欲しい。商人の真似事でもするのか? そういえばセフポン卿とつるんでいるのだったな」
「ええ。セフポン卿とは懇意にさせていただいております。いえ、そうではなくてですね。幾らかお金の当てはあるのですが……それを閣下の為に使うのもやぶさかではありませんが、少しばかり閣下にも失っていただくものがありまして」
「失う……」
対価として差し出せ、ではなく「失う」とアントワネットは表現した。取引ではない。
「何を失えばいい?」
「名誉です」
「金で名誉を売れと。それを貴族に言うか」
「ええ。だからこそ、高い値段がつくのです、閣下。それに名誉は戦勝の誉れで買い戻せるものですから」
「話を聞こう」
執事はぐっと手を握りしめ、怒りを堪える仕草をした。公爵が興味を示さなければ、この場でアントワネットを殺していたかもしれない。
貴族にとっての名誉は、ときとして命より重い。戦場で一対一の決闘が成立するくらいには、彼らは名誉に敏感だ。
「とある投資の話を、国中の貴族に持ち掛けたいと思っております。中身も実態もないものになりますが、閣下にその最初の被害者になっていただこうかと」
「詐欺と知った投資話に乗れと」
「はい。閣下が騙されることで、他の貴族の方々に持ち掛けるときに、箔がつきます」
「そして集めた金を戦場に回す、と?」
「ええ。具体的には、その資金にて兵と糧食をヨーゼンラントに送ります」
公爵は自身の手に視線を落とした。
そこに嵌められているのは、複雑な彫金が施された大きな指輪だ。公爵家としての手紙に、封蝋を押す際に使うスタンプである。まさに公爵家としての信用を象徴するものだった。
「――どれくらい集められる?」
「正直なところ、わかりませんわ。一応資料は用意しましたので、見ていただけませんか?」
アントワネットのあけすけな言葉に、公爵は噴き出した。
「このワシに、詐欺の添削をしろと! わははははは! 図々しいのもここまでくれば英傑だな!」
「あら、そんなに褒められても、私が心に決めたのはクリスチャン様ですわ」
「白々しい! 早く資料とやらを出せ!」
ドレスの胸元から、細く巻かれた羊皮紙がするりと抜き出された。とても淑女に見えぬ隠し場所だが、問題はその中身だった。
手早く広げ、眉間にしわを寄せながら読み込んだ公爵は言う。
「これは――本当に詐欺なのか?」
「ええ。セフポン伯爵領発、王都経由、ヨーゼンラント公爵領行き。グリーズデン王国横断鉄道の計画ですわ」
この世界では、いわゆる鉄道というものは実用化されていない。だが、鉱山付近でトロッコの輸送手段として、部分的に蒸気機関車というものが使われ始めていた。
先見の明がある者は、機関車が持つ可能性に目を付け始めている。
「鉄道が実用化されない理由。それは、大規模な工事に対して費用対効果が保証されていないこと。それに、各領地の貴族との調整の難しさ。私にはそれを解決できる手段がございます。――ね、それっぽいでしょう? 閣下」
公爵は頭を抱えた。
「確かに、セフポンとヨーゼンラントを結べば、物資の需要と供給を満たせる。中間地点の貴族領も潤う。目下派閥拡大中のマリアンヌ様の名前を使えば、貴族の説得も容易で、投資と配当の名目で通らない位置の貴族にも餌を出せる……。逆に、なぜこれを詐欺とする?」
あまりにも実現性の高い計画だった。それこそ、これを詐欺にするのは惜しいくらいに。
「なんてことをおっしゃるのかしら。そんな悠長に鉄道なんて作っていては、戦争に負けてしまいますわ!」
「とんでもない女だ」
公爵は指輪を抜き取り、握りしめた。拳が白くなるほどに。
「いいだろう、乗った! その詐欺の片棒を担いでやろう。失望させてくれるなよ」
「感謝に堪えません。失望はさせませんが、後悔は必ずさせましょう」
神妙な顔つきで言うアントワネットに、公爵は破顔した。
「息子にはもったいない女だ。あいつのことを褒めてやろう」
「まだ清い関係ですわ」
「ならまだ褒められないな」
「閣下はクリスチャン様にいささか厳しすぎるのではありませんか?」
公爵は嫌そうにする。
「むしろ甘やかしすぎた。あいつはヨーゼンラントの血が濃いのに、臆病すぎる」
「優しいのも素敵な個性ではありませんか」
「臆病を優しいと言い換えるな。結局のところ、過保護だったのだ」
大事な一粒種だった。
だからこそ、心身が充実するまで戦場に出したくなかった。それが尚武の気質たるこの地では、見下される原因を作ってしまった。
人間は社会的な立ち位置で性格が変わってしまう。性格というのは、他者と関わるための表皮なのだから。
「では、私と関わったことで、臆病が勇気に変わったのかしら」
「そうだといいんだがな……」
それはきっと、公爵の心からの願いだった。




