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 クリスチャンに領内の案内を頼み、アントワネットとマリアンヌは市街地を散歩していた。

 護衛の騎士数人と、セフポン伯の兵士数人が護衛についている。


 市街地はぐねぐねと入り組んでおり、極端に直線を排した造りになっていた。

 また、建物と建物の間には洗濯物を干す紐が渡されている。


「景観よりも防衛を重視しているのですね」

「これくらい入り組んでいると、大地魔法で押し通ることもできないからね」


 クリスチャンにとっては慣れ親しんだ風景だ。なんともないことのように言った。


「浮浪者の方もそこそこいらっしゃるのですね」


 アントワネットの視線の先は、建物の間の細い路地だ。置かれた木箱にもたれるて、襤褸ぼろを身にまとった老人が寝息をたてている。


「そうだね。特に浮浪者の排除もしていないから。元気な男性だったら軍に強制的に放り込むけど、老人を入れても仕方がないしね」


 浮浪者は都市でしか生きていけない。そして都市には必ず浮浪者が生まれる。

 どちらが先かはわからないが、都市と浮浪者には密接な関係がある。これを力づくで排除することは出来るが、ヨーゼンラントでは放置されていた。


「保護などはされないのですか?」

「しないよ。していてもキリがないし」


 クリスチャンの言葉は冷たいものだった。

 一瞬だけ自分の発言を後悔するようにアントワネットに視線を向けるが、彼女が気にしていない様子を目にし、顔を前に戻す。


「王都でのことは知らないけど、うちは貧民でも出来ることがあるから。健康なら軍に、健康じゃなくても体が動くなら、軍関係の内職がいくらでもある。体が動かないのに家族に助けてもらえない人もいるだろうけど――」


 ゆっくりと言葉にするクリスチャンの目は遠くを見ていた。


「そんな人は農村でもどこでも、ひっそりと死んでいる。都市だから、目に見える場所だからと特別扱いは出来ない」

「それが現実……なのですね」

「きっと」


 クリスチャンとて世界中を見て回ったわけじゃない。自領が完璧な統治をしているとも思っていなかった。


「この一例だけで現実はそうだと決めつけない方がよろしいですわ。それよりもクリスチャン様、私、軍の方々を見たいのですが、案内いただけますか?」

「あ、ああ。構わないよ」


 アントワネットからすれば、ちらほらホームレスがいるからなんだ、くらいの感覚だった。むしろ新宿区の方が多いんじゃないか、くらいの印象だ。

 もちろん行政として救いの手を差し伸べられるならそれが理想だが、果たしてこの世界にそれだけの余裕があるのか。


 クリスチャンの説明によれば、ヨーゼンラント軍は幾つもの軍団に分けられているらしい。

 都の付近にいるのは近衛騎士団、憲兵隊、新兵団の3種類とのこと。

 近衛騎士団が新兵を鍛えるのが、ヨーゼンラントの伝統だった。


「上が腐れば下も腐っちゃうから。上質な騎士に、まだ何にも染まっていない兵士を訓練してもらってる」

「まぁ、とても合理的な考え方ですのね。ヨーゼンラントらしい質実剛健さですわ」


 他の領ならそうはいかないだろう。

 騎士は一応、特権階級だ。どこの馬の骨とも知れない平民に訓練するのは嫌がる者が多い。ましてや領主の懐刀、エリート中のエリートとも言える近衛が訓練をつけるというのは、ヨーゼンラントならではだった。


 ひたすら槍の素振りをしている新兵たちの体はまだまだ細く頼りない。それでも泥にまみれ走る彼らの目には強い光があった。


「女性が見ても面白くないかもね」

「そうでしょうか。頑張っていらっしゃる殿方は魅力的ですわ」

「そうかな。ちょっと僕も混ざってこようかな」

「あら、ぜひ」


 単純なのか、クリスチャンが近衛騎士に話しかけにいった。


「いいねえ、男の子って感じ」

「うーん、アントワネットさんとクリスチャン様の関係性がよくわかりません」

「仲良しさ。王都の外の景色はどう?」

「どうなのでしょう。貧民の方を直接見るのは初めてでしたから、少しばかり驚きました」

「ふうん」


 クリスチャンが先に丸めた布をつけた槍を受け取る。騎士の一人と向かい合った。


「お、模擬戦でもするのかな。貧民は初めてというけど、あれはマリアンヌに見せられる程度のものなんじゃない? 戦をしている地域なんだから、手足がなくて這いつくばってる人だの、孤児の集団だのもいるんじゃないかな」

「そんな……」

「おー、クリスチャン様上手いねぇ。近衛騎士の攻撃を上手くいなしてる」


 クリスチャンは気弱そうな雰囲気とは裏腹に、苛烈な騎士の攻撃を上手く受け流している。お互いに魔法を使っていない、純粋なフィジカルの打ち合いだ。


「新兵たち、体は細いけど頬はこけてないし、ちゃんと靴をはいてる。裸足の兵士がひとりもいないから、軍事にはけっこうお金をかけてそうだ」

「確かにそうですね」

「それがないと、この都市には浮浪者じゃなくて死体が転がってるかも」


 クリスチャンの槍が騎士の槍を絡めとり跳ね上げた。


「というのを現実としておいて、それはそれで理想があるのは良いことだと思うけどね。もっと悪い現実があって、そこから理想に燃えた人たちがここまで『マシ』にしてきたんじゃない? 知らないけど」

「――真面目な話もできたんですね」

「そりゃあもう、日ごろ真面目な話しかしてないよ! クリスチャン様! 素敵でしたわ!」


 おどけたように言ってから、わざとらしくクリスチャンに黄色い声をあげるアントワネット。マリアンヌは少しだけ笑顔になった。

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