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05 「レイテの戦いの後」

「どうしてこうなった!」


 10月24日以後、レイテからの報告が届くたび、それを聞いたアメリカ政府中枢の人間が、あまりの惨状に殆ど意味のない言葉を報告した相手に投げかけてしまったと言われている。

 レイテでの戦いはそれ程予想外、想像すらできない結果だった。


 当然、レイテでの戦いの結果に世界は非常に驚いた。

 勝利した当の日本艦隊ですら、自分達が成し遂げたことに驚いたのだから、逆に驚かない者の方が少数派だった。

 巨大台風という自然要因が、あまりにも日本側に利した結果とはいえ、もたらされた結果は戦争の帰趨すら左右しかねないと言われた。


 フィリピンのレイテ島を巡る海での攻防戦は、一般的には史上最大の海戦と言われる。少なくとも、作戦参加した艦艇の数、規模は第二次世界大戦で最大だった。

 単にアメリカ海軍の規模が大きいというだけではない。戦艦だけで13隻が直接砲火を交えている。

 だがその戦力差はアメリカ軍が圧倒的に優位で、日本軍が圧倒的に不利だった。


 1943年に入ってからの戦闘を見れば、そしてレイテの少し前のマリアナ諸島でのアメリカ軍の一方的な戦闘を見れば、状況は明らかだった。

 しかもレイテの戦いではアメリカ軍の戦力はさらに強化され、日本軍の戦力はさらにすり減っていた。

 普通に考えれば、日本に勝ち目はなかった。あったとしても、それは確率論の上でしかない。


 だからこそ日本海軍は、無謀とも言える作戦を立案、そして実行した。

 それまで戦争で主力となった空母機動部隊を事実上の囮としてアメリカ軍の主戦力を誘引し、その隙にこの戦争で主力の座から滑り落ちた戦艦を中心とする水上艦隊を用いて、侵攻してきた敵上陸部隊を粉砕する。

 作戦自体は、このように辛うじて合理性を保っていた、とされる。だが実際は、日本海軍の「殴り込み」とまで言われた無謀な作戦だった。


 だがその日本側から見て絶望的としか考えられなかった戦闘で、日本艦隊は戦闘での損害を含め殆どの艦艇が出撃したボルネオ島のブルネイへの生還を果たした。

 しかも両軍の戦力と損害を見ればわかる通り、近代海戦史上では希な圧倒的劣勢な側の空前の大勝利だった。


 日本艦隊が沈めたアメリカ軍艦艇の数は質量共に自分達の数より多く、その上に無数の揚陸艦船、輸送船舶が上乗せされ、両軍の沈没艦船の排水量差は100倍にも達する。

 さらに日本軍には、上陸した地上部隊の撃破までが戦果として上積みされる。

 つまり、圧倒的に劣勢な側が作戦目標を完全に達成した上での大勝利という、さらに希な状況だった。

 天候を味方につけたとはいえ、近代史上稀に見る劣勢な側の圧倒的勝利だった。

 


 一方戦場の外では、アメリカは予想外の大敗北を前にしてハワイの司令部もワシントンも大荒れとなる。

 最初は誰もが誤報と考えた。次に、日本艦隊も全滅させたのならばと考えた。そして最後に、負ける筈のない戦いでのあまりの一方的な敗北に呆然となった。

 圧倒的優位な側による負ける筈のない戦いで、ワンサイドゲームをされてしまったのだから、その心理は当然と言えた。


 だからこそアメリカ政府は、予想外の大敗北に対して正確な情報が判明するまでという理由で一時的に箝口令を敷こうとする。

 誤報だったり、誇張があってはいけない報告をされていたのだから、この判断自体は間違いとは言えない。


 だが、すぐにも敗北と膨大な人的損害があった事が国内外に漏れ伝わり、事実を隠蔽しようとしたとしてアメリカ市民の政府への批判が一気に高まってしまう。

 そればかりか、たった1日で10万を超える戦死者が出た事に、厭戦感情までが一気に高まった。

 戦争の勝利が見えている段階での大損害が、そうした状況を大きく助長した。


 リークされた情報については、大統領選挙までは「10月24日の戦闘での戦死者数は10万人以上。最大で20万人に達すると見られる。これに対して我が軍が日本軍に与えた損害は非常に軽微と見られる」というもの。

 そして、戦力差から負ける筈のない戦いでの大敗に加えての箝口令に、政府、軍への批判が一気に押し寄せた。


 最終的に判明した戦死者15万名もの大損害は、それまでの太平洋戦線でのアメリカ軍の戦死者数の3倍以上に及んだ。しかも欧州での戦いでも、一度にそのような大損害は発生していないので尚更批判は高くなった。

 そしてこの大損害が、実質的に数時間で発生した事が衝撃をさらに大きくした。加えて、多くの戦死者の遺体、遺品が回収できない事も、アメリカ市民に衝撃を与えた。

 また、独立予定とは言え自らの植民地の奪回での敗北という点も、心理面でマイナスとなった。


 そして戦場での敗北は、政治に大きな影響を与える。

 特にアメリカの内政に与えた影響は決定的とすら言われた。

 日本軍のレイテでの勝利は、ワシントンを直撃したとすら言われた。


 戦闘から2週間後の11月7日に行われた1944年アメリカ合衆国大統領選挙において、前人未到の4選を狙っていた現職のフランクリン・ルーズベルトがまさかの敗北を喫したからだ。


 しかもルーズベルトは、選挙敗北による失意で選挙後すぐに持病の悪化で倒れ、次の大統領への引き継ぎを前にして執務不能に陥ってしまう。

 勿論、副大統領が執務を代行したが、選挙に負けた事と合わせてアメリカ政府は能動的な行動が一時的であれ殆ど取れなくなってしまう。


 その一方でルーズベルトは、レイテでの敗北の知らせを受けた直後に、向こう1ヶ月間は太平洋戦線で戦死者を出してはならないと受け取れる強い命令を出していた。

 さらに、フィリピンからは全面撤退。太平洋戦線での、当面の攻撃的、能動的作戦を禁止するという命令まで出していた。


 この命令の前にアメリカ軍上層部は、日本軍に更に自分達に大きな損害を与える力は残っていない、フィリピンのレイテ島はこのままでも確保できると説得した。

 力の根源である空母機動部隊は健在なので、戦力的に日本軍を圧倒していると力説した。


 だがルーズベルトは聞き入れなかった。

 戦闘に勝つ事よりも、1人も戦死させない事が大統領選挙に必要だとルーズベルトは強く考えたからだとされる。

 だから選挙に勝った後に、命じた期間内でも命令を撤回するつもりだったとも言われる。フィリピン侵攻も、再興する予定だったとも言われる。


 しかしこの時点では、命令は下されていた。

 太平洋戦線のアメリカ軍は、日本艦隊と2つの台風でミキサーされたレイテ島の友軍救援と撤退に全力を傾けるも、日本軍への攻撃は明確にレイテ島の友軍を志向するもの以外は無視。

 その後のフィリピン方面での作戦及び実質的な戦闘行動も、周辺部のものを含めてすべて中止した。

 周辺海域での戦闘自体も、自衛戦闘以外は行われなかった。


 そして現地日本軍の動きが低調なのもあり、アメリカ軍のレイテ島からの撤退は無事完了する。

 大半の輸送船舶、揚陸艦船を失ったアメリカ軍だが、戦死者の数があまりにも多く、生存者の数があまりにも少なかった事が皮肉にも撤退を容易なものとした。


 だが戦闘の結果、アメリカ海軍は大損害を受けた。

 上陸支援の第7艦隊は文字通り消滅した。無数の艦船を有していた揚陸船団は、1から再編成しなければならない状態に追いやられた。侵攻部隊に随伴していた補給艦船の損害も無視できなかった。

 『レイテ湾はアメリカ軍の鉄で舗装された』、『鉄底湾』などと言われるようになる。そこには無数のアメリカ軍艦船と、数隻の日本軍艦艇が眠っていた。


 また、レイテ湾とレイテ島はアメリカ軍の巨大な墓標となったと言われるように、人的損害も深刻だった。

 熟練した船を操る無数の水兵と将校下士官を失った事は、数百隻の艦船を失った事よりも深刻な損害と考えられた。

 船ならすぐ作れるし補充も十分に可能だが、人を育てるには長い年月が必要とされるからだ。


 戦闘の蚊帳の外にいた第3艦隊(第38任務部隊)は、救援活動と台風による被害からの復旧で大わらわだった。

 そしてその混乱がひと段落すると、厳しい命令が待っていた。敗北の責任を取れそうなのが彼らしかなかったとも言えるが、日本軍の行動予測を外したのも間違いなかったからだ。


 第3艦隊は、台風の危険性を軽視して無用の損害を出しただけでなく、日本艦隊の進撃路を見誤り、また日本の囮艦隊に釣り上げられて侵攻部隊の護衛を疎かにしたとして、ハルゼー提督以下の司令部全員を更迭。

 しかも日本軍の攻撃に対応する為のレイテへの転進で、第3艦隊は北から南下してきた日本軍の空母機動部隊への攻撃すら出来ずに終わっていた。


 その後、マリアナ作戦の時の第5艦隊司令部が早めに第3艦隊司令部と交代するが、アメリカ海軍太平洋艦隊は再編成に多くの時間と労力を割かなければならなくなる。

 第7艦隊再建の為、第5艦隊からも一部艦艇を拠出。さらに欧州と本国からも大量の艦艇を回す。それらの再編成作業などもあって、3ヶ月程度は全く身動きが取れなくなる。

 当然、日本への攻撃は殆ど行われなかった。

 いや、行いたくとも行えなかった。


 だがアメリカ海軍は、まだマシだった。

 太平洋方面のアメリカ陸軍は、ある意味で致命的と言える損害を受けたからだ。

 総司令官のマッカーサー大将が司令部ごと行方不明となり、命令系統のトップを失った。しかも、太平洋方面の主力部隊の2個軍団、4個師団を、再編成が不可能だと言われるほどの、文字どおりの全滅という形で失った。


 第6軍司令部、麾下の軍団司令部、師団司令部を部隊ごと全て失っており、損害の大きさは目を覆わんばかりと言われた。

 彼らは歴戦の将軍たちであり将兵たちだった。

 そして太平洋方面での総司令部と主力部隊を失って、身動き取れない状態となる。


戦死者15万名もの大損害:

 史実アメリカ軍の第二次世界大戦での戦死者総数は約29万人。うち10万人が太平洋戦線。

 さらに太平洋戦線での戦死者の半数以上が、マリアナ沖海戦以後の戦死者。1944年11月頭時点だと、15万名という数字は欧州での戦死者数と同じくらいの数が一度に戦死した事になる。


(史実の戦死者:フィリピン戦が2万3000人、沖縄戦が2万人、硫黄島戦が約7000人。パラオ戦が2000人。日本本土空襲が3000人。合計5万5000人。対日戦全体の戦死者が約10万人。)



彼らは歴戦の将軍たち:

第6軍司令のクルーガー中将は、米西戦争(1898年)に従軍した米陸軍初の兵隊からの叩き上げの将軍。

第1騎兵師団は、アメリカ陸軍の最精鋭部隊。他も精鋭師団ばかり。



1944年アメリカ合衆国大統領選挙:

史実での得票率は、民主党53・4%、共和党45・9%。今までの3回に比べるとルーズベルトに不利だった。

それでもルーズベルトは、十分に余裕のある勝利だった。

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[良い点] 神風最高や! 人類は自然には勝てへん! [気になる点] アメリカこれからどうするんだろ? それと日本の出方が……
[一言] これドイツのバルジの戦いにも影響を与えていそう(米陸軍の士気や戦力の太平洋方面への抽出で)
[良い点] 天災によって政権が吹き飛びましたか。 原因が天災なだけに、敗北は天の声と考えるアメリカ人さえいそうですね。
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