03 「レイテの戦い(2)」
「天佑を確信し全軍突撃せよ」
日本艦隊の中核をなす栗田提督率いる第一遊撃部隊司令部は、スリガオ海峡突入の直前にこの電文を旗艦《愛宕》から全てに対して送った。
約50隻となった日本艦隊は巨大台風の真ん中を強引に突っ切り、台風直下のため非常に危険なのでアメリカ軍が十分に警戒できていなかったスリガオ海峡から、アメリカ軍の前に突如出現。
その電文は、台風がようやく通り過ぎたまさにその瞬間のものだった。
その時のアメリカ軍だが、24日早朝に辛うじて偵察可能となった洋上の空母機動部隊が、西から迫る日本艦隊は北のシブヤン海を通ると考え偵察機を送り込む。
だが、目標とした日本の戦艦部隊は影も形もなかった。
このため一時期、アメリカ軍では日本艦隊は攻撃を諦めたのではないか、少なくとも台風の影響で攻撃を後ろにずらしたのだと考えた。
勿論、油断はしていたわけではない。
日本艦隊は何故いないのかと、地団駄を踏んだハルゼー提督のような者も少なくなかった。だが、日本戦艦部隊はアメリカ側の予測を裏切った行動を取り、彼らが守るべきマッカーサー将軍の目の前に突如姿を見せる。
その無茶な行動の裏には、米軍が台風に恐れをなして逃げるのではないかと、日本艦隊の司令部が焦っていたという理由ではあった。
だが、太平洋の荒波の中で作戦行動出来る日本海軍の艦艇だからこそ、そして過去の苦い経験があったからこそ、日本艦隊は台風の真ん中を無事突っ切ることに成功したのだった。
加えて、日本人の熟練した艦隊運用、操船技術が、この時発揮されたと言えるのかもしれない。
そして日本艦隊出現のタイミングは、現地のすべてのアメリカ軍にとってまさに最悪だった。
一つ目の台風通過後の後片付けを、日本艦隊が襲来するかもしれない翌日までに何とかするべく動き始めたばかりで、何から手をつけたものかという混乱のピークにあったからだ。
しかも、警戒・支援にあたる旧式戦艦6隻を中心とする艦隊の半数は、台風とその通過後の荒い波の影響などで、ようやく現地での弾薬の補給作業を開始したところだった。
そして敵襲来の報告を受けて慌てて動き出したところを、戦闘速度も出せないまま一方的に撃破されていく事となる。
この戦いでのアメリカ軍の混乱の象徴は、旧式戦艦6隻のうち半数が補給中で動けない状態のまま、日本艦隊の戦艦群により一方的に蹂躙された事だった。
しかも艦隊司令部ごと。
その惨劇は、第二のパールハーバーとすら言われた。
日本艦隊にとっては「天佑」だったが、アメリカ軍にとっては「奇襲」だったのだ。
旧式戦艦以外の艦艇も、少なくとも半日は日本艦隊の襲来はないという前提の為、台風の片付けの為などでボイラーの出力を下げていたりするなど警戒態勢を緩めていた。このことが、アメリカ軍が一方的に攻撃を受ける大きな原因となった。
なお、目視での日本艦隊発見の遅れは、勿論だが台風が強く影響している。
レイテ湾のそばのスリガオ海峡には、万が一の事態を想定して本来なら船で運んできた魚雷艇部隊と駆逐艦の水雷戦隊が、最低でも警戒配備されている筈だった。
しかし台風通過中は作戦行動が不可能で、台風が通過したばかりの24日早朝も、波の高さから警戒用の魚雷艇部隊をスリガオ海峡に配備できなかった。
駆逐艦も、ようやく台風が通過して波が少しマシになったのでレイテ湾内から動き出したところで、スリガオ海峡に向かうところで日本艦隊が次々にレーダーに捕らえられた。
そして捉えた直後に、最初の砲撃を受けている。
実質的に不意打ちであり出会い頭だった。
また、本来の迎撃の主力となる筈の新鋭戦艦6隻を有する第34任務部隊は、スリガオ海峡ではなく日本艦隊が通過すると考えられた北側のサンベルナルジノ海峡の前に、台風の影響で苦労しつつ陣取っていた。
加えてレイテのアメリカ艦隊でも、サンベルナルジノ海峡を通過後に出現するであろう北西部方面を警戒し、また台風を避ける為レイテから離れるなど、現地の戦力は一時的ではあるが完全に分散していた。
その分散の極致と言える時間帯こそが、日本艦隊がスリガオ海峡出口に出現した時間だった。
一方のアメリカ軍の再集合だが、困難を極める状況だった。
サンベルナルジノ海峡はレイテ湾まで約400キロ。高速戦艦部隊が急いでも10時間程度かかる。
空母部隊に至っては、大半が半日以上、つまり航空機が作戦不可能な夕方になるまでに、レイテ湾を作戦行動圏に捉えられない場所にいた。
対する日本艦隊は、スリガオ海峡の発見された場所から目的地のレイテ湾まで、せいぜい50キロ。艦隊が全速で進めば、僅か1時間強の距離だ。
当然、各個撃破の好機を日本艦隊に与えただけに終わった。
警戒配置に向かった少数の駆逐艦部隊は、日本艦隊に追い立てられ、そして次々に沈められつつレイテ湾へと後退、いや逃走した。
行えた事は、発見と同時に全軍に日本艦隊発見を急報する事ぐらいだった。
あまりの驚きに、煙幕の展開すら忘れるほどだった。
しかし急報当初は、何かの間違いだと各艦隊司令部、地上にいたマッカーサー将軍も考えた。遠くで聞こえる轟音も、風雨や波浪の響きや雷の音だろうと思った。
自分達にこれほどの被害を与えた台風のど真ん中を強引に突破してくる事など、常識的に考えて出来る筈がないと考えられたからだ。
そうした心理的な常識が邪魔をして、レイテ湾の米軍はさらに迎撃態勢を整える準備が遅れた。
レイテ湾の米軍が日本艦隊の出現を確信したのは、遥か彼方から飛来した巨大な砲弾が、一撃でオルデンドルフ艦隊旗艦の旧式戦艦の《ペンシルヴァニア》を轟沈させた時だった。
この時、旧式戦艦の《ペンシルヴァニア》は上陸作戦の支援で消耗した砲弾を補給する為、同じく旧式戦艦の《テネシー》、《カリフォルニア》と共に、台風の後始末で混乱が続く上陸船団の邪魔にならないところで補給艦から補給を受け始めていた。
そこに、距離にして3万8000メートル、日本の《大和型》戦艦が搭載する46センチ砲の最大有効射程距離で放たれた砲弾が、半ば偶然に命中。
放ったのは、日本の戦艦部隊の先頭を進む《大和》だった。
もっとも、《大和》の放った砲弾は多くが外れた。最初の試験的な砲撃で、通常なら当たる筈のない砲撃だから当然だった。
だが1発だけ、偶然に《ペンシルヴァニア》の甲板に命中。砲弾はそのまま艦内を突進して、艦内深くのボイラーの一室で炸裂する。
しかし、致命傷は甲板上で起きた。
当時 《ペンシルヴァニア》は主砲弾の補給作業中で、艦内への収容待ちで甲板上に並べられた多数の主砲弾、主砲弾を発射する為の装薬がかなりの数並べられていた。
その砲弾と装薬に引火。大規模な誘爆が発生する。
誘爆は人が意識できないほどの瞬間的に広がり、数十発もの主砲弾と装薬が一斉に炸裂して巨大な爆発が発生。誘爆は瞬く間に全艦に広がった。
こうして戦艦 《ペンシルヴァニア》は、艦隊司令のオルデンドルフとその幕僚、乗組員を全員巻き込んで爆沈した。
何が起きたのか理解する間もなかっただろう。
しかもその誘爆は、隣にいた弾薬補給船にほぼ一瞬で連鎖。
次の瞬間、さらに多数の弾薬が一瞬で誘爆。《ペンシルヴァニア》以上の爆発が発生し、さらに周辺に凄まじい爆発と爆風を叩きつけ、一部の船に誘爆を広げる。
誘爆が広がった中には、弾薬補給船の反対側で補給作業中の《テネシー》がいた。ただし《テネシー》は少しばかり運が良く、補給の順番待ちをしていたところだったお陰で、少なくとも甲板上に砲弾が並んだ状態ではなかった。
しかしすぐ隣で猛烈な爆発の熱と爆風を受けて、艦の上部構造物の装甲化されていない箇所の多くが破壊され、さらに甲板上にいた多くの乗組員が巻き込まれた。
加えて誘爆の余波で艦上で大規模な火災が発生。
外観上はそれほど損害を受けたようには見えなかったが、戦艦としての戦闘力は完全に失ってしまう。
その誘爆の最中、補給待ちで少し離れた場所にいた《カリフォルニア》が同じような大爆発を引き起こす。
相互の距離の問題から少し遅れて砲撃した戦艦《武蔵》の砲弾が命中したものだった。
《武蔵》は、日本海軍の砲術の大家と言われる猪口少将が艦長を勤めていた。その《武蔵》から放たれた砲弾は《大和》より正確で、数発の砲弾が停止している《カリフォルニア》に命中。その砲弾は、2番砲塔、艦中央のボイラー室を直撃。
補給作業の為、隔壁の一部が解放されていた事もあり、砲弾が命中したボイラーで少なく圧力が落ちていたにも関わらず大爆発を起こし、さらに周辺に誘爆が発生。爆沈こそしなかったが、戦闘力を大きく減じる。
しかも《武蔵》の正確な射撃は続き、5分とかからず廃艦にするより他ない損害を受けた。
そして戦艦3隻の爆発炎上を本格的な合図として、日本艦隊による未曾有の殺戮劇が開始される。
不意打ちされた形のアメリカ艦隊は為す術がなかった。
その混乱の中にあっても、アメリカ軍の大上陸部隊を護衛する第7艦隊は、身を盾にして日本艦隊を阻止しようとした。
司令官のキンケード提督も、全ての艦船に「いかなる犠牲を払おうとも」という形で「死守」を命令した。命じた当人も、座乗していた輸送船を改装しただけの対空機銃程度しかない通信指揮艦ワサッチに、日本艦隊への突撃を命じた。
だが、今までの敗北による鬱積を晴らさんばかりの日本艦隊、その残存戦力の大半が属した艦隊を止める事は不可能だった。
そこからは、日本海軍の草刈り場となった。
アメリカ艦隊の迎撃の主力は、司令官亡き後のオルデンドルフ艦隊。主力となるのは旧式戦艦の《ミシシッピ》《メリーランド》《ウェストバージニア》の残る3隻。これに巡洋艦5隻、駆逐艦多数が加われば日本艦隊を押しとどめる大きな力となる。
だがこの艦隊は、既に司令官を司令部ごと失っていた。しかも半数は補給作業中で、警戒態勢にすらなかった。
残りの半数の多くも、戦闘態勢ではなく警戒態勢。警戒態勢の艦の多くは速度もゆっくりで、ボイラーの圧力を戦闘状態にあげるまで多少の時間を要する。
しかも上陸作戦の邪魔にならない場所に散在して、動き出してもまとまって陣形を組んでいる時間がなかった。
当然ながら、半ば分散した形で日本艦隊の迎撃を行うより他なく、突撃してくる日本艦隊の各個撃破の餌食となっていった。
中核となる戦艦3隻も、十分な戦闘態勢を整える前に7隻もいた日本艦隊の戦艦群の滅多打ちに遭う。そして日本艦隊に殆ど損害を与えられないまま、戦闘開始から10分程度しか保たなかった。
戦闘力を失っても浮かんでいた艦はあったが、さらに10分も浮いてはいられなかった。
大きく二つの艦隊に別れた巡洋艦も似たり寄ったりで、十分な戦闘力を発揮できない状態のまま、日本軍巡洋艦や戦艦以外の獲物を狙う高速戦艦からの袋叩きにあった。
それ以外の艦艇の多くも、不意打ち状態という心理状態、全く不十分な迎撃体制や陣形のため、同様の末路を辿っていった。
残る3隻の戦艦が撃破された後は、巡洋艦が戦艦に、駆逐艦が巡洋艦に、護衛駆逐艦が艦隊型駆逐艦に攻撃された。
相手の格が違う上に逃げ場がなく、また湾の蓋をするように日本艦隊が迫り、後ろには無防備な船団があり逃げる事も許されず。現場のアメリカ艦艇は、ただ「義務を果たす」以外なかった。
ごく僅かに、友軍が稼いだ時間で体制を整えた艦艇もあったが、狭い湾内、上陸船団と上陸部隊を守らねばならない不利な状況、大抵は格上の相手という悪い条件しかなかった。
そして湾の入り口を塞がれた状況なので、友軍を逃すという行動もできず、何隻かの日本軍駆逐艦を道連れにし、大型艦に損傷を与える以上の行動はできなかった。
そしてその後も、上陸作戦の為の火力支援の艦隊、輸送船を護衛するだけの小型の駆逐艦群、商船を改装した地上攻撃用の支援船などが、各個に日本艦隊の前に立ち塞がっては呆気なく撃破されていった。
対する日本艦隊は、戦闘可能な艦艇をおおよそ沈黙させた後も、まだ90%以上の戦力が健在だった。そして彼らにとって、護衛の第7艦隊は前座に過ぎなかった。
心理的には戦艦を含む艦隊は本命と言えたが、彼らが死を賭して突撃してきたのはレイテ島に侵攻した敵船団を撃滅する為だった。