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11 「停戦後すぐ」

「国負けて山河あり」


 日本のオタワ宣言受諾にアメリカは慌てた。

 何より自分達の想定よりかなり早く、異常と言えるほど早さで日本側が両手をあげてきたからだ。


 アメリカとしては、「オタワ宣言」から最低でも1ヶ月はかかるとみていた。早くても、日本中枢が沖縄戦の実情を見てか、その前の呉空襲の結果が宣言受諾の最後のひと押しになるだろうと予測していた。

 様々な予測を平均しても、停戦まで3ヶ月を予測していた。

 だが結果は、日本側に案を提示して半月もかからなかった。

 それどころか、実質的にわずか10日だった。


 勿論、異常なほど素早く両手をあげた日本だが、幾つかの大きな理由があった。

 軍事面では、アメリカの機雷戦術で海上交通が呆気なく壊滅したというのが一番の理由だった。政治面では、ドイツが完全に降伏するより早く停戦する方が政治的に優位だと考えた。

 だが一番の理由は、ソ連に攻め込まれない為に満州など北の大地への進駐軍の派遣させる為だ。


 そして宣言を出した側のアメリカは慌てた。

 日本政府が、1日でも早く北に軍隊(占領軍)を送り込めと言ってきたからだ。しかも3ヶ月以内に送り込めないのなら、自分達が送り込むと言った。当然、許可を出せと言ってきた。

 そして理由がソ連に隙を見せない為なので、アメリカとしても可能な限り早く対処しなければならなかった。アメリカとしても、日本に譲歩して早期停戦した意味がなくなるからだ。


 この為沖縄戦、その次の硫黄島戦に準備していた、陸軍3個師団を急ぎ満州・朝鮮半島に、海兵隊2個師団を台湾などに送ることを決定する。

 また、東南アジア方面に侵攻予定で準備していた陸軍2個師団、海兵隊3個師団も、可能な限り早く満州に追加で送り込む事が終戦すぐにも決められた。

 本当は、監視団などの名目で日本の首都東京にまとまった地上部隊を強引に送り込む予定だったが、その目論見は少なくとも延期せざるを得なかった。

 アメリカの国益の為に、ソ連につけ入れられるわけにはいかないからだ。


 だが、日本との戦争が終わった時点で、アメリカ軍は太平洋にあまり多くの地上部隊は配備していなかった。

 日本本土侵攻や占領統治はドイツとの戦いが終わってから半年ほど先を考えていたし、その為に必要な主力部隊の多くをヨーロッパから持ってくる予定だった。


 その予定なのに、レイテでの戦いで太平洋戦線での陸軍の主力部隊と言える1個軍4個師団を完全に失っていた。

 失われた4個師団は急ぎ再編成中だったが、新規編成にすら等しい状態なので再び投入するには1年の時間は最低でも必要と考えられた。


 そしてそれより早く日本との戦いが終わったので、太平洋方面のアメリカ陸軍は主力の4個師団を欠いた状態で、日本の植民地の占領統治を行わなくてはならなかった。

 兵力不足の為、日本との早期停戦に際して日本本土占領の条件と計画を、大幅に修正せざるを得ない程だった。


 なお、戦争終了直後の頃のアメリカは、日本の軍事力が簡単に事実上の降伏に従うとは考えていなかった。日本本土の占領だけで、最低60万の兵力が必要と見ていた。

 満州、朝鮮、台湾などを含めると、中華民国軍、英連邦軍を加えても100万以上の兵力が必要と考えられた。

 そしてこの上に、満州などでソ連を牽制する兵力が必要となる。


 だが、そんな膨大な兵力は、太平洋方面にはなかった。

 太平洋方面では、ただでさえ地上戦力が少なかったのに、戦死者の総数はヨーロッパ方面と同程度の約20万人にも達していたとなれば尚更だった。

 しかも中華民国軍がアテにならないのが明らかになっており、紅軍(中華共産党軍)は論外なので、事態は非常に深刻と考えられた。


 この為アメリカは、日本軍に対して火急速やかな動員解除を求める、すぐの武装解除は求めなかった。

 日本の勢力圏以外では武装解除も禁じ、まずは日中戦争以前の勢力圏への移動を求めた。そして中華方面にいた日本軍の多くは、日本本土の海上交通が機雷で閉じられている以上、取り敢えず満州に向かうしかない。

 これによりアメリカは、当面のソ連の満州への進出を防ぎ、満州での共産主義勢力の拡大を未然に防ごうとした。


 大陸での移動は、国民党、共産党に対して武装解除する事で共産党に武器弾薬、その他の軍事物資が渡る事を阻止する目的があった。

 実際日本軍は全てを抱えたまま移動を開始し、続々と鉄道だけで移動できる満州を目指した。もしくは日本への帰還の為、上海や広州など沿岸部の港湾都市を目指した。


 中華民国及び中国共産党軍に対しては、日本軍が退いた場所への領土回復と進出を認めたが、混乱を避ける為に満州国地域、内蒙古自治政府地域、各租界への進駐は現時点では禁じた。台湾やその周辺に対しても同様だ。

 日本軍にも、入らないように強く通達が出された。

 太平洋・極東方面のアメリカ軍の地上戦力が不十分な以上、混乱は極力避けるべきだったからだ。


 一方で、日本本土の軍事力に対しては、北海道、南樺太、千島以外での動員解除を進めさせる。特に本土決戦準備で進められていた、根こそぎ動員とも呼ばれる過剰な動員状態の解除を先に進めさせた。

 もっとも、根こそぎ動員は始まったばかりなので、すぐにもそれまでに編成、動員された戦力の、国内での動員解除が進められた。


 日本本土での動員解除を進めさせたのは、日本が暴発した場合の力を少しでも落とす為だった。

 そして日本政府も状況は理解していたし、兵士を養う金も何もないので受け入れた。


 日本軍の状況に対してソ連は、日本ではなくアメリカに強く抗議した。

 何しろドイツとの戦いが終わった直後のソ連極東軍は、ロシアを含めたソ連の歴史上最も兵力が減少していた。

 満州の日本軍が減るのに合わせて、自分達もヨーロッパへと戦力を傾けた為だ。

 しかも残した兵力も、装備が貧弱な上に兵士も子供や老人ばかり。さらに、スラブ系以外のロシア語を理解できない民族出身者ばかりだった。


 それだけソ連はドイツとの戦いに全力を傾けていたからであり、また1944年秋までの満州の日本陸軍は弱体化していたからだった。

 だが情勢は急速に変化しつつあり、ソ連も慌てて極東に戦力を戻す動きを活発化させる。

 しかしその動きは、日本に攻め込む為ではなく、あくまで防衛的なものだった。


 日本の停戦調印が終わり1945年6月になると、アメリカ軍の艦艇が日本海、オホーツク海にも姿を見せるようになる。早くも進駐軍(占領軍)の先遣隊の移動が始まった事も、ソ連の極東での防衛姿勢を強めさせた。

 ソ連側から見れば、もしソ連が極東で何かすれば日本を盾にしてアメリカが攻撃してくるようにしか見えなかった。

 そして極東ソ連軍は、戦力が全く不足していた。少なくともソ連はそう考えた。


 結局ソ連は、日本の占領統治参加を申し出るに止まる。

 しかしソ連は日本と戦争を行なっていないとして、アメリカなど連合国各国は謝絶。事実上の門前払いとした。それでもソ連は、連合国としての面から参加を申し込むも、認められたのはオブザーバーとして文官の派遣にとどまった。


 そうしてソ連は一旦引き下がらざるを得なかった。

 だが一方で、中国大陸の奥地またはモンゴルで中国共産党の紅軍への武器供与、兵士の訓練を実施するようになる。

 中国共産党は、日本の戦争終了時に当てにした日本軍装備を手に入れられなかったので、ソ連を頼る他なかった。


 一方の国民党は、日本軍が中華民国領内から引き上げると横滑りで入り、満州国、内蒙古の境界まで半年足らずで国土を回復する。半年かかったのも、100万もの日本軍の移動に時間がかかったからに過ぎない。

 しかしそれより北は、境界線にいたアメリカ軍に越える事を許されなかった。

 自分達の政権交代時に朧げながら判明した、中華民国へのアメリカの支援や資金援助、それにレンドリースの横領など不正行為があまりに酷かったのもあり、アメリカは中華民国を信用していなかった。


 表向きは、アメリカと中華民国の交渉がまとまらないのが原因で、台湾でも海を越える事は出来なかった。中華民国が一度強引な進出を行おうとしたので、海峡にはアメリカ軍艦艇が警戒に当たるようになった。

 アメリカはとにかく中国共産党と内戦を再開させず、手の届く範囲での統治の確立と治安の安定化を行うよう非常に強く求めた。

 そしてそれが叶えば、順次満州、台湾への中華民国の介入及び返還を進めると約束した。


 アメリカとしては、ソ連に付け入らせない為に余計な混乱を避けたかった為と、日本軍が反抗的態度に出た時に動かせる戦力が大いに不足していたからでもあった。

 加えて蒋介石が、無理解で強欲だったからだ。

 蒋介石とその配下は、通貨(法幣)乱造、強権支配、腐敗横行など非常にまずい支配を回復した地域で早速実施し、急速に民心を失っていった。


 そしてさらに中国共産党との関係を悪化させた。

 これは1年を経ずして内戦再開へと繋がる。しかも支那事変の間に華北地域の農村部では中国共産党の勢力が非常に強くなっていたので、自らの悪政と重なって短期間で統治と治安の維持すらままならなくなっていく。

 当然だが、アメリカが中華民国を台湾、満州へ入れることを拒む向きを日に日に強めていった。


 そして中国共産党との対立と強権による治安維持で国民党側に兵力の余裕がなくなった事もあって、満州、台湾への中華民国軍の進駐は先送りされた。

 その代わり、急速な動員解除と大幅な兵力削減を実施した日本軍の武器、弾薬、アメリカ軍の余りのお下がりの武器、弾薬が、中華民国の国民党軍に無償で供与されていくようになる。


 そして日本の実質的な占領統治を行おうとしたアメリカだが、結局はヨーロッパから回した兵力の多くを満州に注ぎ込んだ。

 ソ連が極東に大軍を回したので、自らも積み上げざるを得なかったからだ。それに台湾での占領統治も続いた。

 占領軍司令部も総司令部こそ東京に開かれたが、実質的な司令部は満州は新京の関東軍司令部に置かれた。

 日本本土には、帝都東京に象徴的な部隊を警備用として少しだけ送り込むにとどまった。

 他は文官が入ったに過ぎない。


 アメリカとソ連の間にはまだ明確な対立は始まっていなかったが、ソ連が極東に踏み込んできたらアメリカが極東の全てを手に入れる算段が崩れてしまうからだ。

 そしてアメリカが満州を得たことで米ソの対立は早々に始まり、極東での防波堤となる日本に対する措置を甘くせざるを得なくなる。

 加えてアメリカの共産主義に対する姿勢は、中華地域での事実上の内戦再開により硬化していった。

 そうした国際情勢の下で、日本に対する実質的な占領統治と大規模な民主化政策と改革が、連合軍主導で行われていく事になる。


 そして人々は少しだけ思った。

 レイテの戦いで日本海軍の奇跡の大勝利が無かったら、どのような戦争の結末とその後の状況ができたのか、と。







 レイテ沖海戦を日本のバカ勝ちにするのが目的だった筈が、結局そこからどうやって最良の終幕へと向かうのかという点を書く方が多くなってしまいました。


 もっとも、レイテでバカ勝ちした後の「リアルな結末」は、アメリカとの戦争が多少違っていても、原爆を落とされソ連が攻めてくると慌てて戦争を終えるという、史実と大して違わないオチになる可能性が高いでしょう。


 本作でのソ連が攻めてくる「かもしれない」という段階で日本が戦争終結に大きく動く可能性、アメリカが政権が変わったからと言って無条件降伏を下げる可能性もかなり低いでしょう。


 一方で、レイテで極端に大敗した場合、アメリカで政権交代が起きる可能性はかなり高いでしょう。

 それに共和党政権になれば、共産主義、ソ連と距離を置く可能性も高い筈です。


 もっとも、日本分断の可能性はかなり低いでしょうね。



 なお、某作品のオマージュも兼ねて沖縄での台風の下での水上砲撃戦をやろうかとも考えたのですが、題名詐欺になりかねないのと、終戦が史実と変化ないか史実より悪い終戦(敗戦)になりそうなのでやめました。

 戦争を終わらせるのって難しいですね。



 あと最後(次話)に、一部の設定資料と戦後すぐの状況を紹介して終わりにします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 完結お疲れ様でした! 極彩色の敗戦、といった感じですね。  今作も楽しく読ませていただきました!  ありがとうございました〜♪ 
[良い点] まさかの最善手を打つ日本 力を残しすぎたせいで普通にソ連もビビってるのは笑いました
[良い点] 短期決戦完結、お疲れ様です。 日本国内は「なんか戦争終わったようだな」って感じで戦前そのままの町並みと、暫く続く復員or葬式の日々の中で「時々米兵がいるな」とか思いながら日常と変化を受け入…
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