第66話 魂の悲鳴
ゲートを通って研究所へと戻ってくれば、部屋にはナタさんとシアがいた。シアは用事があるって言っていたけど、その用事は終わったみたいだ。
でも二人は何やら難しい顔で紙を見ていて、俺が戻ってきたことにも気づいていないみたいだ。
「あっ、ノヴァさん、おかえりなさい」
足音を立てて戻ってきたからか、シアが真っ先に気づいてくれた。笑顔で迎えてくれたけど、その笑顔がどこかぎこちない。
「ただいまシア。なにかあったの?」
「それが――」
「待って当主様、先に言わないと」
シアは答えようとしてくれたけど、その前にナタさんがシアを制止した。何のことか分からないけど、シアは首を横に振る。
「いいんです。流石にこっちが優先ですから。
ノヴァさん、実は今、ナターシャの姉のセシリアさんから手紙が届いたんです。書かれている内容は家族間で行うよくある近況報告の手紙だったのですが……」
「……その中で、気になるものがある」
シアの言葉を引き継いだナタさんは、手紙を差し出した。それを受け取って目を通すと、最初は確かに他愛のない話だ。
でもフォルス家を訪れたことが記載された辺りから、雲行きが怪しくなっている。
「……これは」
そしてその部分を読み進めて、俺は思わず声を上げていた。
「そこに書いているフォルス家の小さなメイドは、おそらくノヴァさんが以前に言っていたソニアちゃんではないでしょうか?」
「うん、きっとそうだよ」
俺から事前に話を聞いていたシアも同じソニアちゃんを思い起こしたから、あんな難しい顔をしていたのか。
でも彼女の言う通り、フォルス家で小さいメイドと言えば十中八九ソニアちゃんだろう。
「け、蹴飛ばしたって……」
「……正直、ここ数日はノヴァさんを見ていたからちょっとマシかなって思っていたけど、全然違った。やっぱり、クズはクズ」
吐き捨てるように言い切ったナタさんは心底ゼロードの兄上を嫌悪しているようだった。
「……しかも、それだけでは飽き足らずまだ手を出そうとしたとか。セシリアさんがいなければ、ソニアちゃんはもっと痛めつけられていたでしょうね」
「…………」
ゼロードの兄上は暴力的なのは俺が一番よく分かっている。けどまさか、ソニアちゃんのような小さな子にまで手を上げるなんて。しかもそれが、たかだか水を誤ってかけられたからだって?
あまりの仕打ちに、俺は信じられない気持ちになっていた。
そんな俺の様子を見ていたシアは俺の元へ歩いてきて、手を握った。
「……シア?」
「ノヴァさん、フォルス家に行きましょう。大丈夫だとは思いますが、念のためにソニアちゃんに会って話を聞きましょう」
「……あぁ、そうだね。ソニアちゃんが心配だ」
手紙の到着までの時間を考えると、結構時間は経っているように思える。手紙を見るにセシリアさんが認知している限りでは、それ以降ゼロードの兄上は暴力を振るっていないらしいけど、彼女の見ていないところでやっている可能性だってないわけじゃない。
仮にそういったことがなかったとしても、この一件でソニアちゃんが思いつめて傷ついていないと良いけど……。
シアは頷いてすぐにフォルスの屋敷につなげるゲートの準備を始めてくれる。けどその最中に、ナタさんが声を上げた。
「待ってノヴァさん、お願いがある」
「? なんですか?」
「……お姉ちゃんの手紙で知ったってことは、言わないで欲しい。特にあのろくでなしには」
「……ナタさん」
彼女も彼女で、お姉さんであるセシリアさんが心配なんだと思った。ソニアちゃんに手を上げる程ゼロードの兄上は機嫌が悪かった。それを知った間接的な原因であるセシリアにも暴力を振るうかもしれないと心配しているんだろう。
「分かりました。絶対に言いません」
「ソニアちゃんの事についてはアークゲート側で知って、それを私が共有したということにしましょう。
ノヴァさん、準備出来ましたよ」
ナタさんにそう返すと、すぐにシアが言ってくれた。俺とシアは互いに目を合わせて頷き合う。
「……ありがとうノヴァさん、当主様」
「うん、じゃあ行ってきます。ナタさん」
そう言って俺はシアの手を取る。今まではシアに引かれるか、あるいは一緒にゲートに入っていたけど、今回は俺から彼女を連れてゲートへと足を踏み入れた。
×××
久しぶりのフォルスの屋敷。シアは屋敷の入り口前に繋いでくれたみたいだ。時間はもう日も暮れかけている。
「ひっ!」
声を聞いて横を見れば、ちょうど通りかかったメイドが驚いて声を上げているところだった。
「ローエンさんを呼んできてくれ」
直接ソニアちゃんの所に行く前に、まずは管理をしているローエンさんを呼んでもらおうと思ったけど。
「…………」
メイドは俺をじっと見て黙っているだけだった。
「聞いてる?」
「は、はい! ただちに!」
驚いて動きを止めていたメイドは、俺の声を聞いて弾かれるように立ち去っていく。いったい何がどうなっているのかよく分からなかったけど、これまで命令をしたこととかなかったから反応に困ったとかなのか。
少し待っていると、入口の扉を開けてローエンさんが俺達の元へ駆けてきた。以前は籍を入れた報告の時に会ったけど、今日のローエンさんはとても疲れているように見えた。
「ノ、ノヴァ様……」
「ローエンさん、ソニアちゃんの事で聞きたいことがあります。ゼロードの兄上がソニアちゃんに暴力を振るったと聞きました。本当ですか?」
「い、一体誰から――」
「私ですが、何か問題でも?」
間髪を入れずにシアに答えられて、ローエンさんが目を伏せる。さっきから彼の様子がおかしい。何かを隠そうとしているというよりも、何かを必死に堪えているみたいな、そんな感じがする。
「……か、彼女は怪我もなく……」
やっぱりおかしい。いつものローエンさんならはきはきと受け答えしてくれるはずなのに、言葉を発するのも苦しそうだ。
「……ローエンさん、なにがあったんだ」
「…………」
「ローエンさん!」
俺の言葉に、ローエンさんは両方の拳を強く、震えるほど握りしめた。
「……お願いがございます。
私はどうなっても構いません。どうか……どうかあの子を助け、護ってあげてください……」
絞り出すような声で言われたのは、予想もしていなかった言葉だった。




