第229話 過去との決別を、声高に叫べ
「それにしても……こんな仕事すら満足にこなせないのか」
呆れたように周りを見たお母様は地面に倒れ伏すティアラにそう声をかけた。実の妹に向ける者とは思えないくらい低く、冷たい声だった。
「あ……も、申し訳……ありません姉上……カイラスが……裏切りを……」
「ほう? あの小僧、この土壇場で裏切りか。ゴミクズめ、化け物側に情報が流れていたか……」
「姉上……助け……」
「いや……だがこの状況……逆に好機か?」
地面を這いずりながらゆっくりとお母様に近づいていくティアラ。お母様に、最後の希望に縋るその光景に、やけに嫌な予感がしたけど私は声を出すことすらできなかった。
「姉上……」
「情報が洩れていたとしても、ユースティティアもオーロラもここにいて」
――ダメ
本能がそう告げる。さっきまで敵だった筈のティアラに願う。それはダメだと。それを選んだらきっと、破滅すると。
「姉……上……」
「ひょっとすれば、あの化け物の一番大切なノヴァも出てくるか?」
――ダメ、やめて
止める力も何もないけれど、この後何が起こるのか、分かってしまったから。
「助け……て」
「うるさいぞティアラ、失敗した者が私に指図をするな。使えない駒め」
お母様の手が輝き、ティアラの背中を正確に打ち抜いた。
命が一つ消える残酷な音が、あっさりと耳を通り抜けた。
「姉……上……なん……で……」
ティアラが苦悶の声を上げた後にお母様の事を呼び、そして動かなくなる。絶命したのが分かった。さっきまで戦っていたティアラが、こんなにもあっさりと世を去った。
「……実の妹ですよ? それをなぜあっさり……」
ユティお姉様がお母様を非難する。私も気持ちは同じだ。ティアラとは敵対した。でも殺すつもりはなかったし、死んでほしいとまでは思っていなかった。なのにお母様は、あっさりと止めをさした。
「失敗した以上、ティアラはどうでもいい……お前達ならば別だがな。ユースティティア、オーロラ」
「……あ」
名前を呼びかけられて、視線を向けられて体が震える。思わず膝をついて自身を両腕で抱きしめた。けれど震えは一切止まらなくて。
「オーラ!」
私の体を、暖かい熱が包む。ユティお姉様が震える私に気づき、抱きしめてくれていた。
「大丈夫……大丈夫ですから……」
「ユティ……お姉様……」
少しずつ体の震えが収まってくる。ユティお姉様の熱が、私の恐怖を溶かしていくみたいに。
「そう思ったが……いやはや、弱くなったものだな、ユースティティアもオーロラも」
心の底からの軽蔑のまなざしを向けるお母様。その視線は今も怖く、少しでも油断すれば心の底から湧き出す恐怖で震え出しそうになる。
けれど、ユティお姉様のお陰でそれを押さえることが今は出来ていた。大丈夫。向き合える。
私はお母様以上に強くて怖い人を知っている。
私はお母様以上に私を見てくれて、私を愛してくれる人を知っている。
ユティお姉様、お姉様、ノヴァお兄様、リサ、ソニア……色んな人達の姿を次々と思い浮かべて。
震えを、完全に止めた。
「弱く……なったんじゃありません」
「……ほう?」
「強くなったんです」
もう、怖くない。お母様が目の前に居ても、少しも怖くない。それを怖がっていたのは昔の、塔に閉じ込められていた時のオーロラだ。今の私じゃない。
お母様が目の前にいるのがなんだ。そんなの、お姉様に気持ちを伝える時の方が怖かった。ノヴァお兄様に告白する時の方がずっと緊張した。それに比べれば、こんなの大したことない。
もう、何も知らない私じゃない。色々なことを知ったからこそ、過去に囚われたりなんかしない。
エリザベートなんか、少しも怖くない。
ゆっくりとユティお姉様の腕に触れる。もう大丈夫だよと伝わるように。
「ありがとうユティお姉様」
「オーラ……」
私の震えが完全に止まったことを悟り、ユティお姉様は腕を離してくれる。私がゆっくりと立ち上がれば、ユティお姉様も立ち上がった。エリザベートを強い目でじっと見て、彼女と対峙する。
「私の最初の相手はお前達二人か? 面白い」
「最初じゃない、もうこれで最後だよ」
「……生意気を言うようになったなオーロラ。これは再教育が必要か?」
「死んでもごめんだよ」
敬語すら無くし、ただの敵としてエリザベートと睨み合う。こいつは敵、大好きなお姉様とノヴァお兄様を害する敵だ。
それこそ、私達にとっての宿敵。
「オーラ、力を送ります」
「うん、お願いします」
ユティお姉様と頷き合えば私の体をユティお姉様の魔力が少しずつ満たしていく。流石にさっき程の力は感じられないけど、やっぱりユティお姉様は補佐の能力が高い。それを感じて、青い防御魔法を展開した。
さっきまでなら絶対の防御だと自信を持って言えた私の防御魔法。でもそれ越しにエリザベートを見ると、今はあまりにも頼りなく感じた。
「実の娘を斬るのは忍びないが」
エリザベートは右手に剣を出現させ、それを勢いよく振るう。たったそれだけで濃密な魔力があふれ出し、風が舞った。
目を見開く。お姉様に及ばないのは分かる。けれど今まで見た中で誰よりもお姉様に近い程の魔力量に密度。それこそ、さっきのティアラなんて足元にも及ばない程の。
「娘を躾けるのも親の役目か」
剣が振り上げられる。それだけで分かってしまった。『こんなもの』、何の役にも立たないと。
「ユティお姉様っ!」
「っ!?」
咄嗟にユティお姉様を突き飛ばし、その力を利用して私も横に跳ぶ。突然の行動にユティお姉様は驚いていたけど、これが最善の選択だった。だって次の瞬間には、振り下ろしたエリザベートの剣から出た黒い斬撃が私の青い防御魔法をまるで紙のように切り裂き襲い掛かっていたから。
ギリギリでその場を離れた私もユティお姉様も刃に当たることはなかったけれど、驚異的な威力のそれは地面に当たるなり魔力を放出し、私達は吹き飛ばされる。
地面を転がりながらも、すぐに体勢を立て直す。エリザベートの攻撃がこれで終わるわけがないと思ったから。
けれど足音は聞き取れない。それなら狙いは、私ではなく。
「ユティお姉様っ!」
名前を叫び、土煙の向こうに居る大切な存在を確かめようとする。正確な場所は分からないけれど、大体どこら辺に飛ばされたかは分かる。だから防御魔法をそこに全力で張った。
次の瞬間、土煙は風で消える。見えたのはエリザベートの剣が振り払われて風が巻き起こる様子と、それを防ごうと私の防御魔法が展開した瞬間。
そしてその後すぐに、防御魔法は剣にあっさりと負け、砕け散る光景だった。
最悪の予想が頭を過ぎる。しかしユティお姉様は追撃を予期していたのか後ろに跳んで避けようとした。けれどそれすらも。
「逃がすか」
エリザベートは剣を突き出そうとすることで追撃。ユティお姉様は咄嗟に防御魔法を展開しようとしたけど、私のでも防ぎきれないなら焼き石に水だ。私も少しでも手伝おうと防御魔法を使うことで、ユティお姉様のと私ので二重にした。
パリンッ、パリンッと、割れる嫌な音が二回響いた。
エリザベートの突きを止めることは叶わず、刃がユティお姉様に襲い掛かる。致命傷を避けるようにお姉様は体を翻したけど、それでもわき腹を浅く斬られて、魔力による衝撃で吹き飛ばされた。人が出してはいけない速度で雑木林の木にぶつかるユティお姉様を見て、私は思わず駆けだした。
さっきまでの私とユティお姉様、ティアラの間にあった相性関係は今はもう意味をなさない。圧倒的な力の前にそんなものは無力だ。私の防御魔法も全てが破られるなら確実に負ける。にも関わらず、私が前に出るという選択は悪手中の悪手だ。そもそも魔法使いが前に出ること自体が間違い。
でもそんな事言ってられない。もし私がここで動かなければユティお姉様が死ぬ。
「エリザベートっ!」
初めて名を呼び、渾身の魔力で攻撃魔法を練り上げて発射する。攻撃魔法は得意でなくても、それなりに勉強も訓練もしてきた。
けれどそんな私の全力の一撃はエリザベートが展開した黒い防御魔法に打ち消された。ティアラが赤を、私が青を展開したのに対してエリザベートは黒。全てを飲み込む、闇のような暗く濃い黒。
その背後を、人影が強襲する。しかし。
「なっ!?」
その人影、システィが驚く声を上げた。システィもシスティでユティお姉様を助けるために動いたけれど彼女の振り下ろした短剣も黒い防御魔法に防がれてしまっている。
「ほう? ノクターンの娘か、大きくなったものだ」
「ぐっ!」
剣を持っていない腕を軽く動かすだけで砲撃と言えるほどの太い魔力の奔流が射出され、システィを飲み込む。私がついさっき使ったものよりも大きく太いそれに、システィは成す術もなく巻き込まれ、宙を舞い、やや離れた地面にボロボロの体となって落ちた。
ユティお姉様とシスティ。そのどちらも、私から見て強者。詳しくは知らないけれど、アークゲートの暗い部分を担ってきた人達の筈だ。それが、こんなにもあっさりと。
「くっ……」
悔しさに奥歯を噛みしめるしかできない。これまで戦った時間はティアラと戦った時間の半分にも満たない。けれど分かってしまう。分からされてしまう。
エリザベートとの間にある、絶対的な差を。
魔力量でも、魔力の扱いでも、戦闘中の動きでも、経験値でも、あらゆる点で私は彼女に勝てない。私だけじゃない。ユティお姉様も、システィもそう。こんなのに勝てる存在を、私は一人しか思いつかない。けれどその頼りのお姉様は今、動けない。
だからエリザベートはこの瞬間に攻めてきた。彼女にとって絶対の好機は、今なんだ。
「させないっ!」
だからどうした。例え彼女と私の間に絶対的な差があったとして、諦める理由にはならない。なる筈がない。いまここで私が諦めたら全部終わりだ。システィとユティお姉様でもダメだった。なら止められる可能性があるのは私しかいない。私だけなんだ。私しかいないんだ!
エリザベートに近づき、振るわれる刃を防御魔法を使いつつ避ける。少しでも止められれば可能性を見出せると思った。けれど相変わらず受け止めることすらできない。だから避けることしかできない。不慣れな回避を必死にこなしつつも、エリザベートは一瞬で私の動きなど見切ってしまう。
「弱くなったな」
「っ」
それまでギリギリで避けていた斬撃が地面に当たり地中から飛び出した黒い魔力の奔流に体を焼かれる。痛い、辛い、力がどんどん抜けていく。気づいたときには地面に伏していて、手足には力が入らなかった。
「……っ」
「情けない姿だな、オーロラ」
首を掴まれ、ゆっくりと持ち上げられる。昔と同じく冷たい目で、見つめられる。
「昔のお前の方が強かったのではないか? 戦いの中で他の有象無象を助けろなどと……私は教えていない筈だが」
「ぐっ……っ……」
腕を持ち上げてエリザベートの手首を掴むも、力の入らない腕では外すことは叶わない。苦しさに歪んだ視界が赤くなり始める。
「ちょうど後継者が欲しかったところだ。お前ならぴったりだろう。なあ、オーロラ?」
「誰……がっ……」
そんなことを認めるつもりはなくて必死にもがくけど、状況は少しも好転しない。歪んだ視界ではエリザベートの目を見ることすら叶わない。
「最高のアークゲートとして、また作り直してやるぞ……オーロラ」
「…………」
その言葉に、腕から力が抜ける。最高のアークゲート。作り直す。
塔に閉じ込められて最高のアークゲートになるように教育を施されてきた私に告げられた言葉。
それに対して、体と心が熱を帯びる。再び両手に力が戻り、目を見開いてしっかりとエリザベートを見る。
その記憶とは全く変わらない、けれど何の恐怖も抱かない目を、強く見返す。
「お断……りだよ……」
「…………」
心を燃やせ、自分を誇れ。私はエリザベートによって作られた人形じゃない。
『オーロラちゃんは、周りを明るくする太陽みたいな子だね』
『オーラが居るからこそ、私達は笑顔になれるんです。自慢の妹ですよ』
『まったく、あなたはいつも私や当主様を困らせて……でも、それもあなたらしいですね』
私は皆に愛されて、そして皆を明るくする、そんな幸せな子。だから。
「最高のアークゲート? ……そんなの、要らない」
私はもう、アークゲートの名に囚われない。
「私は……オーロラ・フォーゲートだ」
新しい私は……お前になんか屈しない。
そういう強い気持ちをもって、エリザベートを睨み返す。
「どうやら、痛い目に遭わせて徹底的に心を壊すしかないようだ。お前の前でユースティティアを始めとする姉妹を一人一人惨く殺せば折れるか? それともお前が今大事に思っている者達を残らず拷問でもすれば泣き叫んで止めてと言ってくれるか? 楽しみだな」
「ぐっ……」
エリザベートの手のひらに力を入れられ、呼吸がさらに苦しくなる。視界が、再び赤くなる。もうダメ、意識が、堕ちる……。
「眠れオーロラ。目覚めれば地獄だぞ。楽しみにしていろ」
「誰……がっ……」
エリザベートの言葉に対して、決して心は折れずに言い返しつつも限界ギリギリを迎えそうになった時。
首に掛けられた手の感触が消え、遠くなっていた聴覚でも聞き取れる程の大きな音が響き渡った。地面に膝をついた感覚に気付く。視界がゆっくりと鮮明になり、苦しさが消えていく。地面に手をついて、肩で息をした。
「お前……何してる?」
地を這うほどの怒りを聞いて、心が震えた。待ち望んだ声だったから、それを聞いて顔を上げる。
背中が、視界に入った。何度も見た背中。それが今は輝いて見えた。何度も何度も、あの塔で願った姿。いつか私を助けてくれるかもしれない人。
「よくもユティさんとオーロラちゃんを……」
それが今は、私だけでなく私達を助ける人として駆け付けてくれた。
目の前には私を守るように剣を携え、怒りの感情を全身から痛いくらいに出したノヴァお兄様が、立っていた。